明治大学ローツェ登山隊2002 行動概要

8月14日 先発隊(高橋、森、医師)出発。カトマンズ入り。
8月17日 本体(加藤、天野、松本)成田発。香港で三谷合流。カトマンズ入り。
8月20・21日 悪天候のためルクラ〜カトマンズのチャーターフライト中止
8月22日 隊員6名、ドクター、シェルパがカトマンズからルクラへ。
8月23日 ルクラ(2804m)より、BCに向けて隊員キャラバン開始。隊荷が全部ルクラに届かないため、サーダー等は隊荷待ち。
8月24日 ナムチェ・バザール(3440m)到着。75チューレンヒマール、81エベレスト西稜登山隊のサーダーであったアヌー・シェルパに会う。隊員の泊まっているロッジのすぐ斜め前の家であった。隊員は25日と26日、高度順化と隊荷待ちのため、ナムチェ・バザールに宿泊。クムジュンやエベレストビュー方面に行く。
8月28日 ペリチェ(4252m)着
8月29日 高度順化のため約4800〜4900mまで往復。上部には雪が残っていた。
9月 1日 ゴクラシップ(5150m)よりBC(5350m)入り。BC建設。BCには既に片山右京隊(エベレスト)、ブラジル隊(エベレスト、ローツェ)が入山していた。BC着後片山隊の訪問を受けあいさつ。ブラジル隊に三谷、高橋、サーダーで挨拶訪問する。
9月 2日 「プジャ(BC開きのセレモニー)」を午前中に行い安全祈願する。隊員1名体調悪く、ペリチェに下降する。
9月 4日 隊員2名がBCよりC1(6000m)に向けて行動開始。まだルートはC1まで届いていない。
9月 6日 体調悪く下降していた隊員がBCに戻る。
9月 7日 BCよりC1予定地へ、隊員とシェルパで荷上げ。
9月 8日 エベレスト西稜側より雪崩があり、C1(6000m9予定地のデポのうちマット紛失。後日少し上部に移動。
9月10日 C1建設。隊員3名とシェルパがC1入り。
9月14日 C2(6450m)建設。隊員3名とシェルパがC2入り。
9月22日 C3(7200m)建設。隊員3名とシェルパがC3入り。22日夜半、C1付近で再度の雪崩があり、C1のテント近くまでデブリが押し寄せる。
9月23日 C4予定地(7750m)に到達。
9月24〜28日 悪天候に見舞われる。上部かBCで停滞したり、下降する。
10月2日 C4(7750m)建設。第1次アタック隊の4人がC4入り。当日、上部へ向けてフィックスロープを設置する。(クーロアール入り口まで)
10月3日 第1次アタック隊4名、ローツェ登頂。午前4時にC4出発。9時20分に登頂。11時23分〜12時までにC4帰着。午後4時には全員C2に下降。シェルパは当日中にBCまで下る。
10月5日 韓国隊とブラジル隊がローツェ登頂。エベレストは断念して下山。また、片山右京隊はエベレスト南峰まで登るは断念して下山する。
10月8日 第2次アタック隊4名ローツェ登頂。全員登頂を果たす。天野は無酸素で深夜0時にC4を出発するが、クーロアール入り口付近でチリ雪崩のため断念し、C4に午前2時30分頃に戻る。残り3名は午前3時出発の予定であったが、悪天(強風)のため出発を遅らせる。停滞して翌日のアタックも考えたが、明日の好天もあまり期待できないので出発する。午前7時15分〜30分にC4出発。昼12時35分登頂。少し遅れて午後1時10分に天野が無酸素で登頂に成功する。午後4時10分にC4に帰着。
10月9日 第2次アタック隊の隊員とシェルパがBCに降り、BC以上での登山活動終了。
10月14日 BC撤収、ペリチェに下る。
10月15日 タンポチェ僧院にて、登山終了のお礼と95年パンガでの雪崩事故で亡くなられた炉辺会の先輩の追悼を行う。
10月19日 パクディンよりルクラに隊員、隊荷とも到着。帰路キャラバンを終える。
10月20日 ルクラより飛行機でカトマンズに戻る。
10月22日 ネパール観光省にて、リコリーフィング(下山報告)をする。学生隊員はカトマンズを出発し帰国。
10月25日 高橋、大窪(チョオーユー登山隊から合流)、加藤、森、天野の5名は、来春に計画しているアンアプルナT峰南面の偵察のためカトマンズを出発、アンナプルナ内院へ向かった。三谷はルクラまで同行し、28日まで滞在。
10月29日 三谷はカトマンズを出発、帰国。