「スキルコーディネーション」の私個人的な理由および動機について
(さらなる理解を求める方へ)
もともと私が専攻している運動学習心理学とは、
たとえば技術(スキル)や能力(アビリティ)の習得や保持、およびその転移(適応;応用)を探究する研究分野で、
すべての運動行動の基礎となる認知系の学問です。
以前私は臨床系の心理学を勉強しており大学院で修士号を取得しましたが、
自身の原理的な競技力向上を目指すことを目標にこの世界に足を踏み入れ、今日で約4年になります。
この分野において、現在博士号取得を目指しています。
まだまだ勉強しなければならないこと、勉強したいこと、盛りだくさんです。
運動学習心理学は、スポーツ現場との相互的な関わり合いが世界的に非常に薄く、
両方の分野の融合の可能性を試みる専門家は地球規模で見ても非常に少ない現実があります。
もともと私自身の競技力向上を目指して運動学習心理学方面へ入っていったので、
それをスポーツ競技現場に活かすということには強い関心を持っています。
前途は厳しいですが、行ってみる価値はあるのではと思っています。
前例がほとんどないので、成功にしても失敗にしても、
可能性を探る研究としては大きな功績になると思っています。
確立されていない分野なので、私のスキルコーディネーションは失礼ながら実験的な意味合いが非常に強いです。
よってスキルコーディネーションの効果は保証されるものではありませんが、
それでもやってみようと思われる方がいらっしゃれば、ぜひご一報ください。
もしかしたら、トライアスロンを含めたあなたの生活そのものが、いい方向に大きく変わるかもしれません。
誰かのトライアスロンの目標達成の手伝いができ、生活や競技が充実したものになるのなら、本望です。
現在トライアスロン界の指導者になっている人は、
その指導者自身が優れたトライアスリートであり、経験に裏打ちされた理論を操る識者であり、
「優れたトライアスリート=優れた指導者」という図式が成り立っています。
これはトライアスロンに限ったことではなく、他のほとんどのスポーツや武道の種目において言えることです。
しかしすべての競技者や愛好者が彼らの指導を受けられるほど、
今日のトライアスロンのコーチングシステムは完成されていません。
トライアスロンスクールなども存在しますが、受講できる方は非常に恵まれていると言えましょう。
その原因は指導者の人数の絶対的な不足もさることながら、
シドニー五輪の正式種目化を機に一気に持ち上がった、極度に競技力向上に偏った競技観の蔓延、
それに伴い競技力の向上やジュニア選手の育成に傾倒した指導への自然な流れ、
一段と多様化した各トライアスリートが抱えるニーズや環境の問題、
それらに対する情報の乏しさなど、実にさまざまです。
専門的な指導を受けられるトライアスリートは、プロや実業団の選手およびセミプロとも言える選手、
そして先ほど挙げたトライアスロンスクール受講生にほぼ限定され、
特にプロ選手向けの内容は一般の選手にはそのままフィードバックさせられないものです。
専門の指導者が雑誌などに書いている記事は、それ向けにかなり噛み砕かれています。
現在のトライアスロンの指導者がさまざまなトライアスリートのニーズに対応する力を持っていないと申すわけではないのですが
(むしろ精通していると思います、私などよりも格段に)、
では私はトライアスロンに関していったい何ができるのか、競技経験や知識や研究は社会にどんな貢献や還元ができるのか、
私のトライアスロンが求める方向性のひとつとして、
スキルコーディネーションと銘打って挑戦してみようと思った次第です。
また、私の自己紹介をご覧になっても分かっていただけるように、
私の競技者としてのレベルは高くありません。
出場したレースの数も多くなく、もう丸2年もレースから遠ざかっており、
トライアスリートとして自分を名乗れなくなって久しいです。
だから、もし、自分の経験を元にサポートに当たるとしたら、非常にレベルの低いところに限界があります。
それだけでは私よりも競技力の低い選手しか関われないということになります。
信頼性も得ることはできないでしょう。
指導者の競技レベルや実績の高さはそこに影響を及ぼしていて、理論と経験による指導は説得力も高いわけです。
さらにトライアスロンの指導者はなぜか博識の方が多く、探求心が強く、学術的な研究や報告にも精通されているので、
はっきりいって私が太刀打ちできるわけはありません。
むしろ私が指導を乞いたいぐらいなのです。
ただ私が感じるところに、
トライアスロンの心理面における指導に関しては、他種目に比べて驚くほどに浸透していないようである、ということがあります。
その点に関する研究や報告などの文献もほとんど目にすることはありませんし、
現状としては指導者やコーチそれぞれに一任されていて、それぞれの指導者の理論の下で行われているのではないかと思います。
体力面・技術面に集中した指導内容が主となり、これらの報告は目にしますが、
メンタルトレーニング指導士や研究者が継続的なトライアスリートのサポートを行ったという報告はまず見かけません。
(ひとつだけ見た憶えがあります;九州大学関係の報告集(紀要ではない)だったか...現在福大のYさんの報告)
「心理面の競技力は日々の練習メニューから鍛えられ養われていくものである」とする考え方が、
非常に根強いのかと思います。
その中身は昔ながらの根性論であったりするのではないかという危惧を持っています。
ことに国内の自転車競技ではその傾向が強いのかなと、感じます。
(自転車競技界では指導者・選手ともに「根性」「気合い」という言葉ばかりが返ってきます)
もちろんそういうものも大事だと思いますが、
私的には、その部分こそが心理面の競技力向上の発達の妨げとなり、総合的な競技力の発達の妨げになっていると思います。
「ニーズがない」と言われれば、それまでですが。
じゃあどうするか、
そのひとつの答えを私は導き出したいと思っています。
研究や実験が踏み込めない・反映されない競技などに明日はないと思います。
そこに輝かしい実績はあまり必要ないかと、
むしろ研究対象としてトライアスロンを見たときにそれはかえって邪魔になるかもしれない、
先入観の少ない状態のほうが的確に見ていけるかもしれない、
断定はしませんがそんなふうにプラスの方向に思っています。
もちろん自分のトライアスロン観は持っていますが、
レースからしばらく離れていることや研究対象として捉えるということで、
より広範的に客観的にトライアスロンを見ていけるのではと思っています。
私は必ずしも競技力向上をすべての目標と捉えてはおらず、
トライアスリートそれぞれの目標の達成をサポートしていければと思っています。
望むものは、ひとりでも多くのトライアスリートの心からの笑顔です。
もちろんそこに、自分の笑顔も含まれます。
私の関われる人数は多くないと思いますが、少人数であっても、効果があれば非常にうれしく思います。
効果がなければないで経験になるし、次に活かす糧になるし、
もしかしたら学術的に未開の分野を切り開く先駆けになれるかもしれないという、
大きな野望も私の心の内に秘めています。
研究の世界は情報戦なのでこれ以上思惑を語るわけにはいきませんけどね。
当然、甘いものではありません。
この私の考え方に無理な賛同は求めませんが、
今現在私が感じている、スキルコーディネーションの動機とその理由です。
しかし時が過ぎていけば、この考え方も変わっていくかもしれません。
現在のトライアスロン界、およびコーチや指導者に喧嘩を売っているわけではありません、
「こんなのどうでしょう?」と提案するきっかけとして私は動いていきたいと思っています。