パッケージ

料理人とWebMasterの差異

WebSITEを料理に喩えてみる。
例えばSITEの中身。記述されている本文は料理。 作成者は料理人。 SITEの閲覧者は其れを食するお客。 パッケージング、これを器とする。

和食、イタリアン、フランス料理のフルコース、中華の満漢全席でもなんでも宜しい。 それは料理人の腕次第。 いろんな料理人がいる。 様々な考え方がある。 一つの料理をとっても調理法に違いが在る事だろう。 お客の好みも在ろう、好きな料理を食べれば宜しい

あまりに濃い料理を食べると消化不良をおこす客もいる事だろう。 何を食べるかは最終的に客の選択に任されている以上、客には選択する権利がある。 不味い料理である旨の説明が為されている場合、 食べて不味かったら、不味い料理を食べる事を選択した事に関しては、最終的な決定権を保持している客の責任に他ならない。 無論、料理人に感想を述べる権利も発生する。大いにどの様に不味かったのかを申し立てる事をお勧めする。

料理人が腐った料理を出すのは衛生上問題がある。反則である。
衛生局が飛んできて営業停止である。 本来ならば営業停止であるが、 実状は違うのである。 なぜならば、 営業免許が存在しないからである。 Webとは世界レベルで発展した巨大な家庭料理試食会に他ならない。 こっそり毒を盛る料理人もいるかもしれない。 たいへんである。 毒を盛るのは駄目とされている。 警察におこられるのである。 そして、未成年者に酒などの年齢制限のある料理を出すのもおこられる。


調子にのってもう少し書けそうだけど、此れぐらいで止めとく。 云いたいのはパッケージングの話。 器としておこう。異論も在るだろう。 さておき。 店を構えた。料理も作った。客も来た。 さて、料理を皿に盛って客に出そう。 どんな皿に料理を乗せよう? フランス料理をドンブリに入れて出すレストランはない。 取敢えずない。 ある? あるかもしれない。 一般的ではない。フランス料理をドンブリで食べるのがCOOLだと思う人間がいるかもしれない。 此処でパッケージング=器のラインの重要性が見えてくる気がする。

食べれれば其れで善い。と云う意見がある。 確かにその通り。 コンビニ弁当の入れ物だろうと時価数億円の焼き物だろうと、 中に盛られている料理の価値は不変だ。 しかし、人間はそう単純ではなかろう。 “美味しい料理を食べれば、うれしい。きれいな器で食べれば、なおうれしい” 生物だと思う。 難儀である。業深い生き物である。 悲しいかな、真実である。

パッケージングに凝る事は肯定される。 目を(場合に依っては他の五感を)楽しませてくれる料理は素晴らしい。 きれいだが不味い料理だったらどうだろう? ガックシである。トホホである。 パッケージングに凝る事は肯定される。 しかし、其れが総べてではない。


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