陰陽師収録 第二話のSpoilerっスから、良い子は読んじゃダメだよ。
土御門大路にある安倍晴明の屋敷を、源博雅が訪ねたのは、皐月も半ばに入ってからである。
太陰暦の五月−−−現代で言うなら六月の中頃であった。
「忠見どのはお元気か」
二杯目の酒を口に運びながら、晴明が言った。
「うむ。時おり、宿直の晩に見かけるよ」
博雅が答えた。
忠見というのは、壬生忠見のことである。
昨年の三月に、内裏の清涼殿で行われた歌合わせで詠んだ歌が、平兼盛の詠んだ歌に敗れ、食わずの病になって死んだ男である。
壬生忠見の記述と、半ばに入ってから
と云う記述から、
応和 1年 5月15日 〜 17日頃 (ユリウス暦 961年06月30日 〜 7月2日)と思われる。
月齢の記述(88頁、97頁)から推測すると、
応和 1年 5月15日(ユリウス暦 961年06月30日)の可能性が高い。
顔を半分出して見上げると、かえでの梢越しの天に、みごとな上弦の月が出ていた。
博雅が晴明の屋敷を訪ねるシーンの8日前の事。 つまり、応和 1年 5月7日 〜 9日頃 (ユリウス暦 961年06月22日 〜 6月24日)と思われる。 上弦の月は、月齢6〜7(7〜8日)であるから、9日ではない。
空にかかっているのは、満月であった。
博雅が晴明の屋敷を訪ねるシーンの夜。
つまり、応和 1年 5月15日 〜 17日頃。
満月は、月齢14(15日)、故に15日に批准出来る。
問題も残る。天文学が未発達で在った頃、満月を正確に計測出来なかった時代、
14、15、16日をまとめてもち月としていた時代があるらしい。
その場合、16日である可能性があるが、このケース(陰陽師)の場合、
主人公、安倍晴明が天文博士で或る事を鑑み、
そういや晴明じゃない。賀茂さんちのボンの方だったけか、
陰陽道が天文学‥‥‥暦学を含む当時の科学体系だった事は違いないだろうから、
敢えてこの可能性を無視する事にした(笑)
ユリウス暦 | 和暦 | 記事 |
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