海音寺潮五郎 私設情報局

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「ペルシャの幻術師を落とすとは何事か!!!」

日本で最も人気のある作家

亡くなられて既に長い年月が経過した司馬遼太郎さんですが、2006年に読売新聞が行ったアンケート結果によると、今でも日本で最も人気がある作家という結果が出ており、海音寺潮五郎さんと比較すると羨ましいほどの知名度です。一部では、「故人になって以後、美化され過ぎている」という批判もあるようですが、読者の心をつかむという実績において、優れた作家であったことは間違いなく、その作品が与えてくれる面白さというのも否定できない事実であります。

司馬遼太郎さんと海音寺潮五郎さんには非常に深い関わりがあります。一部の人にはよく知られている話ですが、司馬遼太郎さんの名声のみが高すぎるほど高い現在、「海音寺潮五郎って誰?」という人も多数いると思いますので、二人の関係の一部を紹介してみましょう。

海音寺潮五郎さんは、親しく面倒を見ていた後輩の中から3人の優秀な弟子を育てたと言われます。それは、寺内大吉、胡桃沢耕史、そして司馬遼太郎の3人です。司馬遼太郎さんは寺内大吉氏の勧めで本格的に小説を書くようになったそうなのですが、その当時、司馬さんは、
これからの小説の世界では、懸賞小説に当選するほどの腕前を持った人が、その個性を発揮してさらに伸びて行くようでなければ本当に面白い小説を生み出すことはできない。
と言い、懸賞小説仲間(司馬さん、寺内氏の他に、新田次郎氏、杉本苑子氏、伊藤桂一氏などがいたそうです)を集めて「近代説話」という同人誌を企画します。この同人誌に参加するには、
「懸賞小説に一つ以上当選すること」
という決まりがあったそうですが、当の司馬さん自身には当選実績がなく、そのために『ペルシャの幻術師』を執筆し、雑誌「講談倶楽部」に投稿したとのことです。

そこに海音寺潮五郎がいた

その講談倶楽部の懸賞小説で審査員を務めていたのが海音寺潮五郎さんで、司馬遼太郎さんの『ペルシャの幻術師』を非常に高く評価します。ところが、他の審査員は畷文兵氏という方の作品を推し、ほとんど受賞が決まり書けていたところを、海音寺さんが非常な見幕で、
 「ペルシャの幻術師を落とすとは何事か!」
とねじ込んで、強引に同時受賞にもっていったのだそうです。これが司馬遼太郎さんが小説家として本格的に世に認められた最初になるわけです。

その後、『梟の城』で直木賞候補になった時には、既に司馬さんの実力は広く認められており、海音寺さんも含めて多くの選考委員がこの作品を推したそうですが、そこに立ちはだかったのが当時の大御所・吉川英治氏です。
何しろ吉川氏は海音寺さんが直木賞を受賞した当時から選考委員を務めていますからその大御所ぶりも分かりそうなものですが、一人だけ司馬さんの受賞に反対だったそうです。 今度は反対者を説得する側に回った海音寺さんですが、何とか吉川氏を説き伏せ、司馬さんの受賞にこぎ着けたそうです。
ちなみに、吉川英治氏が反対に回った理由として、司馬さんの作風が
「若い頃の吉川英治に似ている」
と評されたからだという話もあります。

他にも、山本周五郎氏(この方も当時のビッグネームですが)が司馬遼太郎さんの作品を読んでいないと聞きつけた海音寺潮五郎さんは、何とか司馬さんのことを認めさせようと司馬作品をいくつか山本周五郎氏のところに送りつけた、などといった逸話も残っており、海音寺さんがいかに司馬さんを早い時期から高く評価していたかが分かると思います。

海音寺さんと司馬さんには『日本歴史を点検する』という対談集があり、ここでは二人の師弟愛(厳密な意味では師弟ではないと思いますが)を伺わせる雰囲気が各所に見られます。 これは 「司馬遼太郎は知っているけど、海音寺潮五郎は知らない」 という人には、うってつけの海音寺潮五郎入門書です。



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