海音寺潮五郎 私設情報局

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史伝文学復興への苦難

悪源太義平でスタートした『武将列伝』

『武将列伝』は昭和34年「オール読物」に掲載されたのが最初ですが、記念すべきシリーズの第一作は「悪源太義平」です。『武将列伝』として連載されたシリーズ中、海音寺潮五郎さん自身が人選したのは、この「悪源太義平」のみで、残りの人物の選出は全て作品を掲載している「オール読物」の編集者の要望に従ったということです。
これは編集者は読者の代表であると海音寺潮五郎さんが捉え、その要望に応えることが読者の要望に応えることだと考えたからです。

一方で、この『武将列伝』と対をなす『悪人列伝』で扱っている人物は、全て海音寺潮五郎さんが人選したのだそうです。この事実は、誰が選んでも大きな差が出にくいであろう「武将」というくくりの人物達と、日本史を知るためにその事績を残しておきたいと海音寺潮五郎さんが考える「悪人」達との違いと捉えることができるかもしれません。

史伝文学というものが全く衰退している中で執筆された『武将列伝』の「悪源太義平」ですが、作品が雑誌に掲載された後、例の編集者が海音寺潮五郎さんのところにやってきて、こう言ったそうです。

次回からは、小説として書いてください。それがご無理なら、せめて一章だけでも小説の形式にしていただきたい

当時、海音寺潮五郎さんは既に一流作家として確固たる地位を築いていたため、編集者からのこの注文を突っぱねることができ、史伝の形式での連載を続けることができたのですが、そうでなければ編集者の意に添う形式への変更を余儀なくされ、自然、史伝文学の復興という偉業も達成することができなかったかもしれません。それを思うと、何かをやりたいと思い、実際にそれに着手するにしても、タイミングというのが大事だと言えると思います。
ちなみに、この史伝形式での連載は読者から好評で、編集者もその後は同じ事を言い出さなかったということです。

史伝執筆に込めた思い

さて、この「悪源太義平」を手始めに、数多くの人物史伝を執筆した海音寺潮五郎さんでしたが、それらの史伝を精力的に執筆する動機となった
 日本人に日本歴史の常識をもってもらい、それによって正統的な歴史小説の育つ土壌を培養したい
という思いは簡単には達成できませんでした。
海音寺潮五郎さんの抱えている不満は、世に日本史を題材にした小説は多々あるけれども、そこに描かれているのはいつの時代で場所はどこなのか判然とせず、過去の時代を舞台にしているとはいうものの、日本史上にかつて実在したことのない時代と場所を描いた作品がほとんどだという状況にありました。そして、そういったありもしない歴史に仮託した作品が数多く生み出され、それが世の中の読者に受け入れられてしまっていることにあったのです。
海音寺潮五郎さんは、



こんな読物や文学が月々、日々、ごく多量に生産され、大いに迎えられているのは、書く側にも、読む側にも、歴史知識がないからである。戦争中の学校教育の放棄、戦後の歴史教育の禁止、その後の歴史教育の変化の傷痕はこんなにも深いのである。
「とうてい、一人の力でめぐらさるべき形勢ではない」
と、ぼくは時々深い絶望にとらえられることがある。
(『悪人列伝』「あとがき」より)

と当時の心境を述べています。

その海音寺さんが亡くなられて既に30年もの月日が経過していますが、日本人の歴史知識の乏しさというのは実はほとんど解消されていないのが今日の実状ではないかと思われます。歴史問題が政治問題として取り上げられたりするたびに、私も深いため息が出ている次第です。



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