海音寺潮五郎 私設情報局

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西郷隆盛への深い思い

生涯をかけた代表作『西郷隆盛』

「海音寺潮五郎」という作家をよく知らない人から、
 「どんな作品があるの?」
と聞かれた場合、私は『天と地と』と回答することにしています。上杉謙信という誰もが知っている戦国武将が主人公であること、現在も文庫版を販売中であること、以前映画化もされているため知名度もある程度有していると思っているからです。
しかし、「代表作は?」と聞かれると、これは『西郷隆盛』と答えるしかありません。海音寺潮五郎さんが人生の多くの時間をこの大長編史伝の完成に向けてつぎ込んだことは、よく知られている通りです。

ところが、
 海音寺潮五郎の『西郷隆盛』
といった場合の作品像が分かりにくくなっているのが、現状ではないかと思っています。それは、海音寺潮五郎さんが西郷隆盛についての作品を数多く執筆していること、そして、いくつかの作品が現時点で(2008年1月)絶版になっていることが大きな原因です。
ここで海音寺潮五郎さんの『西郷隆盛』にどのような作品があるのか整理してみます。

1.長編小説『西郷隆盛 第一部』

 昭和30年8月から翌31年9月にかけて、大系社系の地方紙に連載した歴史小説。海音寺潮五郎さんが西郷隆盛を主題材にして執筆した初めての作品です。残念ながらこの作品は、二百数十回の連載の後、途中で中断となっています。
海音寺潮五郎さん自身は、中断の理由として、「その当時は猥本のような小説が流行っており、西郷隆盛などが受け入れられる状況になかったからだ」と回想しています。
しかし実際には、小説形式で執筆を進めたものの、連載回数に限りのある地方紙では膨大な西郷隆盛の生涯を到底書き切れなかったためだと推測されています。この時の反省を生かしてか、以降、西郷隆盛を描く際に、海音寺潮五郎さんは「史伝」という手法を採ることになります。

2.『武将列伝』に収録された「西郷隆盛」

 これは昭和34年から「オール讀物」に連載された人物伝シリーズの一つで、連載企画の都合から執筆するページ数が制限されており、海音寺潮五郎さんの「西郷隆盛」の中では一番短い作品になっています。
島津斉彬が西郷隆盛の存在をはじめて気に掛けるシーンから書き始められており、幕末、安政の大獄の混乱の中、月照と入水自殺を図り、死に損なった西郷隆盛が、幕府の目から逃れるため大島に入るところまでが描かれています。

3.『史伝 西郷隆盛』

 これは上記2の作品が読者の好評を得たため、構想を新たに昭和36年から「世界」に連載されたもので、一般的な文庫本1冊分の量があります。最近では文春文庫から出版されていました。
この作品は、「郷中教育」という薩摩藩の若手武士に対する独特の教育方法を説明するところから始まり、その後、薩摩藩のお家騒動の端緒ともいうべき「近思録くずれ」と呼ばれる事件へと展開していきます。
作品の最後は、上記2と同じく西郷が大島に行くところで終わっていますが、これは海音寺潮五郎さんが特に意図したものではなく、偶然の一致とのことです。

4.『西郷と大久保』

 昭和40年10月から翌年6月にかけて、読売新聞に連載された作品。新聞社が立てた「近世名勝負物語」という企画に沿って、西郷隆盛と大久保利通の二人を対比させて描く形になっています。この作品は歴史小説風に書かれていますが、海音寺潮五郎さん自身が「あとがき」で語っているところによると、
 この作品は小説風の史伝として書いた
となっており、史伝として扱うべき作品です。
この作品中には海音寺潮五郎さんの長年の研究成果として、それまでは誰も唱えていなかった3つの新説が登場しています。それは、



・島津久光と西郷隆盛が不仲なのは、島津斉彬の死が暗殺によるものであり、その陰謀に久光も関わっていたと西郷が深く信じていることに原因があるとしている点。

・久光が藩兵を率いて上京する際、先発した西郷隆盛が「下関で待て」という久光の命令を無視して、京都方面へと道を急いだことは、大久保利通との事前申し合わせに基づいていることだとしている点。

・征韓論争において、大久保利通が西郷隆盛の反対側についたのは、西郷を新政府から追い出す意図があったとしている点。

です。これらの説は、海音寺潮五郎さんの後の作品にも引き継がれています。

海音寺潮五郎記念館に展示された『西郷隆盛』の草稿

海音寺潮五郎さんが最後まで書き続けた『西郷隆盛』の草稿(海音寺潮五郎記念館に展示されていたもの)。多数のノートにびっしりと書き込まれている。

5.大長編史伝『西郷隆盛』

 海音寺潮五郎さんが
 「今後、新聞・マスコミからの依頼は一切受けない!」
という「引退宣言」を行ってまで完成を目指したのがこの作品です。朝日新聞社から単行本として全9巻、文庫本の場合は全14巻が出版されており、海音寺潮五郎さんの絶筆になった「西郷隆盛」というのは、通常はこの作品を指します。つい最近、再び朝日新聞社から出版されることになり、現在刊行されている最中です。
単行本全9巻中の1,2巻にあたる部分は、昭和36年〜38年にかけて朝日新聞に連載したものです。当初は一般の小説的手法で書くことを想定していましたが、この方法で西郷隆盛の全事績を書き尽くすには、膨大な分量が必要になり、生涯の間に完成しきれないと考えた海音寺潮五郎さんは史伝体小説として書くことに方針転換しました。
ちなみに、昭和44年から刊行が開始された『海音寺潮五郎全集』の第11巻に収録されている『西郷隆盛』は、上述した朝日新聞に連載した内容を補筆訂正したものです。
単行本の第3巻以降は書き下ろしとして世に出されたものですが、一部、昭和49年から「歴史と旅」に連載され、その後、『江戸開城』として出版された作品が第9巻中に含まれているとのことです。
この作品では江戸城開城の後、上野で起こった彰義隊戦争までが執筆されていますが、海音寺潮五郎さんの死と共にここで途絶しました。西郷隆盛の全生涯を描くことは結果として出来ませんでしたが、この作品を読まずして西郷隆盛は語れないといっていいほど、幕末維新史を知る上での重要な作品になっています。

6.学習研究社版の『西郷隆盛』

 これは単行本で全3巻出版されており、それぞれ「天命の巻」、「雲竜の巻」、「王道の巻」という副題が付いています。文庫本としては角川文庫や学研M文庫などから出版されていたことがあります。 上記5の作品と混同されることがありますが、分量が全く違いますので、あくまでも別の作品です。『史伝 西郷隆盛』に収録されている「解説」によれば、海音寺潮五郎さんはこの作品を
 西郷史伝のダイジェスト版
と表現していたそうです。
この作品も上記5と同じく、彰義隊戦争までが詳細に記述されていますが、その後も、西郷隆盛の持っていた「敬天愛人」の信念に関する説明から始まり、西南戦争に至るまでについて、簡単にではありますが海音寺潮五郎さんの歴史解釈が記述されています。

7.『西郷と大久保と久光』

 これは少し補足的な立場ですが、上記5の『西郷隆盛』の前半(1巻,2巻)が小説的手法で執筆されていたため、真の史伝という意味では省略されて描き切れていなかった部分を補完するために書かれた作品です。西郷隆盛が大島から帰還する前後(要するに上記1,2の作品の最後に続く時期)から、寺田屋騒動勃発の直前までが描かれていますが、タイトルにある通り、西郷・大久保・久光の人物像を描くことに重点が置かれています。
昭和49年から雑誌「騒友」に連載されましたが、海音寺潮五郎さんの急逝により未完のままとなりました。そのため、海音寺潮五郎さんの絶筆は上記5の『西郷隆盛』と、この作品だと言われているようです。

真の西郷隆盛を書いて、世の誤解をときたい

海音寺潮五郎さんがなぜこれほどまでに西郷隆盛の史伝執筆にこだわったのか?それにはいろいろな理由があります。海音寺潮五郎さんは鹿児島県の出身、というよりも薩摩の出身といった方が適当ですが、氏が子供の頃には西南戦争のことを覚えている故老の方々が多く存命だったそうです。そして、海音寺潮五郎さんはその人々から西郷隆盛のこと、西南戦争のことを聞いて育ちました。つまり薩摩出身の海音寺潮五郎さんにとって、西郷隆盛は最も身近に存在した英雄だったのです。

西郷隆盛は明治維新を成し遂げた最大の功臣である一方で、西南戦争という反乱の中で死んだ賊臣でもあり、その生涯はあまりにも波瀾万丈です。であるが故に、西郷隆盛については様々な人が、様々な見方をしており、あるとき海音寺潮五郎さんが調べたところ、西郷隆盛についての伝記が140種類も見つかったそうです。
イエス・キリストを別にすれば、これほど多くの伝記が書かれている人物は西郷隆盛の他にはいません。それでありながらなお、海音寺潮五郎さんによれば、既存の西郷隆盛伝には本当に信頼できるものが一つも存在しないというのです。

郷里の英雄である西郷隆盛の姿が理解されることなく、誤解された形で後世に伝わってしまっている。その現状を目の当たりにして、海音寺潮五郎さんはある決心をします。
 僕が真の西郷隆盛を書いて、世の誤解をときたい
そうして執筆されたのが、上述した膨大な西郷隆盛に関する史伝なのです。

また、こんな逸話も残っています。西郷隆盛伝の執筆に関わる時間と作業があまりにも膨大なため、海音寺潮五郎さんは一時期、挫折気味になっていました。そんなときふと、
 「西郷伝のつづきは、司馬くんに書いてもらおうかと思っている」
と、冗談めかしく、愛弟子ともいえる司馬遼太郎さんの名前を出したことがあるそうです。私が海音寺潮五郎さんのご親族に伺った話では、さすがの海音寺さんも、西郷隆盛に取り組み続けて飽きがきていた時期があったそうで、この発言もそんなときのことだったのかもしれません。
このように海音寺潮五郎さんが期待している司馬遼太郎さんが、西郷隆盛の登場する小説の新聞連載を開始しました。『翔ぶが如く』です。

海音寺潮五郎さんは連載を読むために購読する新聞を変更し、毎日、司馬さんの小説を楽しんでいました。ところが、あるとき知人に対して、
 僕が天才と認める司馬くんでさえ、真の西郷隆盛を描けていない。
 やはり、西郷のことは僕が書くしかない。

と述べ、決意もあらたに長編史伝『西郷隆盛』の完成に向けて専念したとのことです。これは文芸評論家の磯貝勝太郎氏が述べている話ですが、海音寺潮五郎さんの西郷隆盛に対する深い思い入れと、自らが有する西郷隆盛論への自信がうかがえる話だと思います。



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