海音寺潮五郎 私設情報局

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大作家の蛍雪時代

作家になる前の海音寺潮五郎

作家というのは自己表現によって立っている一種の芸術家ですから、作家ごとの価値観の違いがごく当たり前のように存在しているようです。後に、大作家としての名声を確立した池波正太郎氏が直木賞候補者だった当時、海音寺潮五郎さんがその作品、池波氏の才能を酷評したのは有名な話ですが、実は海音寺潮五郎さん自身が、作家になる以前の時期に、似たような体験をしています。

さて、駆け出しの作家が十分な収入を得られず、生活に苦労するというのはよく聞く話です。しかし、海音寺潮五郎さんの場合、『風雲』が懸賞小説として当選し、歴史小説家として華々しく登場して以降、当初は順風満帆だったそうで、その面での苦労はせずに済んだとのことです。
その代わりというか、まだ専業作家になる前、学生結婚して家庭を持っていた海音寺潮五郎さんは、非常な苦労の中にあったそうです。

これは『史談 切り捨て御免』に「身辺記」として収録されている話ですが、海音寺潮五郎さんが在学する國學院に文芸部が出来るのを記念して、懸賞小説の応募がありました。選者には当時気鋭の作家・小島政二郎氏があたり、一等の賞金は50円とのことで、
 「賞金が手に入れば学費を払えるから
という理由で海音寺潮五郎さんも応募したそうです。

家庭をもっていた海音寺潮五郎さんは、生活費を稼ぐために実は学業どころではなく、アルバイトをするのが優先という毎日を送っていました。学校には試験の日くらいしか行かなかったとのことで、懸賞小説の賞金は喉から手が出るほど欲しかったそうなのです。
残念ながら海音寺潮五郎さんの作品は当選はしなかったのですが、その後日談として、以下のようなことが書かれています。



小島さんが選評をして下さるというので、ぼくは無理をしてその日は学校に出て聞いたが、どうも納得が行かない。小説というものにたいする考え方が根本からぼくと違うように受け取った。
「もうやめだ。既成作家の小説観と、おれの小説観とがこんなに違うものなら、おれは小説のイロハからやり直さねばならない。めんどうだ。第一、おれには創作の才能はないらしい。もう一切創作なんぞせん」
(『史談 切り捨て御免』「身辺記」より)

作家の道を断念したが

こうして小説書きを稼業にすることをいったんは断念した海音寺潮五郎さんですが、生活苦が続く中で、『うたかた草子』『風雲』が雑誌の懸賞小説に相次いで当選したことで、海音寺潮五郎さん自身の言葉によると、
 「ずるずるとこの道に引かれ」
ついに専業の作家として生きていくことになったのだそうです。

後に大作家としての評価を不動のものにする海音寺潮五郎さんが、文名を本格的に確立する最初の契機になったのは直木賞受賞ですが、そのときのこととして、



ぼくが直木賞をもらった時、最も熱心にぼくを推薦して下さったのは、小島さんだったという。ぼくは小島さんの批評が気に入らず、創作から遠ざかったのだが、心の底では頂門の一針として強く感銘するものがあり、しぜんそれが何年か後に小説作法に消化されて出るようになったのであろう。先達者の言うことは虚心に聞くものだと、貴い人生智を得た気持ちでいる。
(『史談 切り捨て御免』「身辺記」より)

と小島政二郎氏との不思議な因縁を語っています。

この小島政二郎氏は、池波正太郎氏が直木賞を受賞する際の審議では、受賞に反対する海音寺潮五郎さんをなだめて、受賞を後押しする役割を果たしています。心の師ともいうべき小島氏にうながされては、海音寺潮五郎さんも身を引かざるを得なかったのかもしれません。



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