海音寺潮五郎 私設情報局

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国民的大作家・司馬遼太郎 誕生秘話

第42回直木賞に向かって

自らが直木賞作家でもある海音寺潮五郎さんは、作家として大成の後、今度は直木賞の受賞作を選出する立場にまわります。第39回から第63回までの直木賞で選考委員としての役目を務め、この間一度も休むことなく全ての選考会議に出席し、候補作の選評を書いています。 この期間中、池波正太郎氏の候補作を酷評して物議を醸しだすなどする一方で、一人の重要な作家を見出して世間に送り出しています。後の国民的大作家、司馬遼太郎さんです。

海音寺さんが司馬遼太郎さんの才能をいち早く見出したのは、『ペルシャの幻術師』によって司馬さんが講談倶楽部賞を受賞したときにさかのぼります。このサイトでも、「ペルシャの幻術師を落とすとは何事か!!!」として紹介していますが、実際にはここまで乱暴な状況ではなかったようです。この逸話を提供している寺内大吉氏も司馬さんの盟友として、司馬さんの作家デビューに重要な役割を果たしており、別途こちらで「海音寺潮五郎と司馬遼太郎『ペルシャの幻術師』編」として記載しています。合わせてご参照ください。

吉川英治が立ちはだかる

司馬遼太郎さんは第42回直木賞で『梟の城』が受賞作となります。実はこの選考会議の場で、司馬さんの受賞に強く反対した委員がいました。当時の大作家・吉川英治です。
そのときの様子を文芸評論家・磯貝勝太郎さんの『司馬遼太郎の風音』から適宜引用しつつ紹介してみましょう。



昭和三十五年一月、『梟の城』を読んだ海音寺は、忍者のあやかしの世界と奇怪な行動を描いている文章には読者を興奮させ、酔わせるものがあると感じ、直木賞にもっともふさわしい作品だという自信をもって、選考会に出席した。選考がはじまると、意外なことに選者吉川英治が反対した。その記録は残っていないので、理由は不明である。
(磯貝勝太郎『司馬遼太郎の風音』より)

この直木賞選考会で第1回のときから選考委員を務めてるのが吉川英治、文壇でも大物中の大物です。吉川の反対によって他の委員は沈黙してしまいます。司馬さんの直木賞受賞には強烈な逆風が吹いていました。

海音寺潮五郎の真骨頂

その状況を打開すべく口火を切ったのが海音寺潮五郎さんです。



だが、その時のことを回想した海音寺は、つぎのように書いている。
「"どうして先生がこの作品をお気に召さないのか、ぼくにはわかりませんなあ。この人の作風はお若い頃の先生を髣髴とさせますよ"/とぼくが言うと、"だから、いやなんだ"と言った。その気持ちはわからないではなかったから、ぼくは苦笑して黙った。吉川氏はなおこう言った。/"この人は才気がありすぎる。歴史の勉強が不足だ。もっと歴史を勉強しなければ"。/ぼくは心中、/(先生よりたしかですよ。勉強しているだけでなく、自分のものにしていますよ)/と思ったが、それを言うわけには行かない。いろいろとねばったが、落ちるのではないかとはらはらした。しかし、吉川氏以外には買っている人が多かったので、ついに当選ときまった。いろいろな雑誌の小説の選者をしたり、直木賞の選者になってから十年にもなると思うが、こんなにうれしかったことはない」(海音寺潮五郎「司馬君との初見参」『三友』第六十号)
(磯貝勝太郎『司馬遼太郎の風音』より)

海音寺潮五郎さん以外の委員も『梟の城』を受賞作にふさわしいと考え、それなりの発言をしたことが伺われますが、これらのやり取りからすると、やはり海音寺さんが司馬さんの直木賞受賞を決定づけたと言えると思います。
こうした経緯もあって、海音寺さんと司馬さんは進行を深め、親子のような歳の差でありながら親友同士のような付き合いを続けたそうです。双方の家族が会して旅行をするようなこともあったそうですから、その中の良さが推し量られますね。

英雄は英雄を知る

海音寺潮五郎さんと司馬遼太郎さんが、いかに肝胆相照らす仲であったかについては、二人の対談録『日本歴史を点検する』を読むとよく分かります。「まえがき」で海音寺さんが



この対話筆記は、朝の十時から夜の八時まで、途中一回の食事、一回の茶の時間があっただけで、お互い、飛雲に駕し、風に御し、碧落を翔るような気持ちで、語りに語り合い、話しに話し合いつづけたことが速記されたものです。
(『日本歴史を点検する』より)

と書けば、今度は「あとがき」で司馬さんが



氏とむかいあっているときのみ、自分がたしかに歴史の光景のなかを歩いているという実感がありありともつことができるのである。
(『日本歴史を点検する』より)

と返すといった具合です。

海音寺潮五郎さんは史伝の執筆に作家生活の多くの時間を費やしましたが、それは「素材さえ揃っていれば、あとは才能ある作家が魅力的な歴史小説に仕上げてくれる。それが日本人に歴史常識を身に着けてもらうことにつながるはずだ」と考えていました。その海音寺さんにとって、司馬さんの登場は待ちわびた才能ある作家の登場と映ったに違いありません。
その期待に違わず、司馬遼太郎さんが数々の大ヒット作品を生み出し、日本でも最も人気がある作家と呼ばれるほどの地位を獲得しました。
既にお二人とも故人ですが、今なお司馬さんが高い知名度と人気を維持しているのに比べて、海音寺さんの知名度低下は深刻なものがあります。今回紹介したエピソードを通じて、司馬ファンの方々にはぜひ海音寺さんの作品にも興味を持って欲しいと思っています。



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