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『武将列伝』:武田信玄は天下を取れなくて当然だった?

織田信長が恐れた武将

海音寺潮五郎さんによれば、日本の戦国時代、戦場で強さを発揮するという意味では武田信玄と上杉謙信が他の武将に隔絶していたそうです。謙信は領土欲のためには戦いませんので、単純に考えると、領国の統治能力なども含めて天下統一を果たす資格を最も兼ね備えていたのは武田信玄だったということになり、「信玄があと10年長生きしていたら天下を取った」などと評されることもあるようです。しかし、海音寺潮五郎さんの著作を色々と読んでいるとどうもそうは思えません。

私が海音寺潮五郎ファンで、上杉謙信派だから信玄を貶めようとして書いているわけではけっしてありませんが、信玄に欠けていたものとして"人望"というのがひとつ思い当たります。以下、海音寺潮五郎さんの『武将列伝』を引きながら書いてみます。

現在放送されているNHK大河ドラマ「風林火山」でも、このエピソードを紹介済みだと思いますが、信玄は甲州の主となる際に、父であり当主であった信虎を駿河に放逐しています。もちろん、それなりの理由があってのことですが、この行為は信玄が存命当時から大きく問題視されたようで、海音寺潮五郎さんは、



このことは彼の生涯の履歴の瑕瑾となった。何といっても父を追い出しているのだ。彼が偉大な武将に成長すると、そのきずはさらに大きく見られるようになる。当時でも彼の敵にまわった人々は、「親を追い出した不孝者」と彼を罵倒したし、後世儒教全盛の江戸時代になると、その評判は益々悪くなった。
(『武将列伝』「武田信玄」より)

と述べています。いわゆる"下克上"の時代にあっても、もっとも近しい身内である親子の関係を裏切ったわけですから、やはり悪く言われてしまうのも仕方ないのですね。

人は石垣とは言うものの

さて、これはもっと後年のことになり、今回の大河ドラマ「風林火山」では描かれないかもしれませんが、武田信玄は、今川義元亡き後の駿河を攻略するに際して、その今川家から嫁を迎えていた長男・義信が邪魔になったため、叛逆をたくらんでいるという罪名を着せて、長男を殺してしまっています。
一部海音寺潮五郎さんの推測も入ってはいますが、この行為のも当然周囲からは非難の的になるわけで、同じく『武将列伝』の記述によれば、



政策のために子を犠牲にし、これを殺すなど、現代の人の人情には遠い。しかし、この時代は人質になった子を捨て殺しにするのはめずらしいことではなかった。信玄はそうした時代においても忍人(冷血漢)と称せられた人だ。これくらいのことはしたにちがいないと、ぼくは思うのである。
(『武将列伝』「武田信玄」より)

と書いています。
天下を征するためには、戦場での優れた戦闘指揮能力が重要なのはもちろんですが、敵を倒す戦いのみで日本全国を統一していくのは現実的ではありません。これは、その後の秀吉の統一事業を見れば分かることですが、それと比較した場合、信玄には何か重要なものが決定的に欠けていたように思われるのです。

最後にとどめを刺しましょうか。信玄は政治家として後世非常に評判の良い人ですが、隠された悪い面も当然のように存在します。『武将列伝』に記されているところによれば、



妙法寺記によると、彼は天文十六年、信州佐久郡の志賀城を陥れた時、男女の捕虜を全部甲州へ連れて来て、二貫、三貫、四貫、五貫、六貫とそれぞれ値段をつけて奴隷として売っている。ひどい話である。信長が捕虜を虐殺したのをすいぶん残酷だと思うが、売って金にしただけに、ぼくには信玄の方がいやらしく思われる。計算高い忍人(冷酷漢)であったのである。
(『武将列伝』「武田信玄」より)

と評しています。信玄評これに尽きるという感じが私にはするのですが、みなさんはいかがでしょうか?



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