海音寺潮五郎 私設情報局

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『赤穂義士』:日本史上の大ロマン

日本精神文化の大遺産

世界は広いもので、過去を振り返ったとき、特筆すべき事件が何一つない、何の変哲もない歴史しか持たない国がなかにはあるそうです。
しかし日本はそうではありません。海音寺潮五郎さんは、
 源平の争覇興亡盛衰
 楠公父子を中心とする南北朝の物語
 川中島の戦いを中心とする甲越両雄の争覇戦
 織田・豊臣・徳川の覇者交代の歴史
 明治維新史
など、日本史上に起こった重大かつ劇的な歴史的出来事を
 「日本民族の大ロマン」
であると評しています。

そして、上述した事件と並べて、赤穂浪士たちが成し遂げた壮挙を取り上げて、海音寺潮五郎さんは次のように述べています。

しかし、僕は思うのだ。赤穂義士のことは、日本人が歴史上に持っている大ロマンだと。
(中略)
だからこそ、これらの事実の中から数えきれないほど多数の小説や演劇が出来た。文化の大宝庫である。これらの小説や演劇をはずしては、日本の文化はどんなに貧しくなるかわからない。日本人の精神文化面における大遺産である。永遠なる歴史の流れにくらべれば、ほんの一瞬に過ぎない一時代の特定な思潮などで抹殺してよいものではないのである。日本人は国民的教養の一つとして、これらを知っている必要があるとさえ思っている。
(『赤穂義士』より)

「赤穂義士のこと」とは、つまり「忠臣蔵」、「赤穂浪士の仇討ち」としてよく知られてる歴史的事実です。しかし、世間一般に忠臣蔵のイメージと共に広まっている話は虚実がないまぜになっているため、事件の真の姿を後世に伝えるために海音寺潮五郎さんが執筆した作品が『赤穂義士』です。
海音寺潮五郎さんは生涯に数多くの史伝を手がけていますが、この『赤穂義士』もそのひとつです。

『赤穂浪士伝』は別の作品

海音寺潮五郎さんには『赤穂浪士伝』という作品もあります。名前が似ていて紛らわしいですが、『赤穂義士』とは別の作品です。
これは四十七士の一人一人を短編の形で取り上げた歴史小説です。一方、ここで紹介している『赤穂義士』は松の廊下の事件から討ち入りまでの事件全体を描いた史伝です。
『赤穂浪士伝』の方が執筆時期が古く、かつ、先の戦争遂行当時の日本当局の意にそぐわなかったため、連載打ち切りの憂き目にあっています。

『赤穂義士』はもともと昭和19年に『大石良雄』と題して潮文閣から出版した作品が土台になっています。当時、潮文閣が人物伝を出すにあたり何人かの作家に執筆を依頼し、海音寺潮五郎さんには「大石良雄」が割り当てられたのだそうです。
(説明不要と思いつつ、念のために書きますが、大石良雄とは大石内蔵助のことです。)
ところが、この『大石良雄』には肝心の討ち入り場面が描かれていませんでした。これは海音寺潮五郎さんの意見として、
討ち入りの場面は先人たる福岡日南の『元禄快挙真相録』で描き尽くされており、これ以上創見の入る余地がない
ために省略したのだそうです。
ところがこれを知人から
 「読者心理の研究が足りない」
として非難されます。討ち入りは事件のクライマックスなので、これを外すのは不心得だというのです。この意見を是として、討ち入り場面を書き足し、この『赤穂義士』が出来上がったわけです。

武士道の完成と義士快挙の意義

大石内蔵助を中心とする赤穂義士達の行為については、
 良く知ってるよ
という人も多いと思います。しかし、先に述べた通り、その良く知られている話の多くは虚実を混ぜ合わせて作り上げたもので、全体としてはフィクションとして扱うべき内容です。
一方、海音寺潮五郎さんの『赤穂義士』は史伝ですので、虚構を排除した事件の真相を知るための良書です。例えば、「忠臣蔵」で良く知られている、吉良屋敷の絵図面入手に関わる話については、同志の一人が大工の棟梁の娘を口説いて手に入れようとし、それを見つかって「おとっつあん!見逃して下さい!!」とかいうのでは全くなく、



屋敷の絵図は、ずっと前堀部安兵衛が手にいれた。しかし、これは、前住者の松平登之助時代のものであるから、いくらか参考になるという程度のものにすぎない。それを、吉良邸の裏門近くに商店を出している前原伊助と神崎与五郎とが惨憺たる苦心を以て、火事だといえば屋根にかけあがり、風雨だといえば物ほしにあがって吉良邸を見渡しては、少しずつ補正して行って、大たい髣髴がうかがわれる程度のものにしあげた。
(『赤穂義士』より)

と作品中に説明されています。
他にも、作り話をもとにした赤穂浪士のイメージを持っている人にすれば「目から鱗」な話が色々と掲載されており、実は史実の方が趣が深かったということにも気づかされたりするのが、この『赤穂義士』です。

少し挙げてみると、
・赤穂城受け渡しを前に失踪した家老・大野九郎兵衛はその後どうなったか?
・脱盟して不義士に転落した高田郡兵衛がやってしまった恥の上塗りとは?
・吉良邸で十四日に茶会開催の情報を最初に仕入れたのは大高源五ではなかったが、それは誰か?

などです。
誤解のないように補足しておきますが、海音寺潮五郎さんはけっして従来の説を無理矢理曲げた奇説を立てようというのではありません。あくまでも、膨大な史料を渉猟した結果浮かび上がってきた事件の真の姿を説明しているのです。

ところで、赤穂義士の行為が壮挙!快挙!!とされるのは、武士道の成立と深い関わりがあると海音寺潮五郎さんは言います。
武士達が戦国時代に互いに覇を競い、それが日本の統一運動となり、結果として江戸幕府が成立します。しかし、この当時の武士達は勇敢であること、己を潔くすることを尊ぶ気概こそもっていたものの、まだ「武士道」と呼べるほどの昇華された規律ではなく、せいぜい「武士気質」という程度の観念でした。
それが江戸時代に入り、ほぼ恒久的な平和が訪れたこと、また儒学の盛行などと相まって、社会を維持していくための道徳規範として「武士道」が次第に整備されていったのです。

この武士道もさらに時代が下ってくると、次第に魂が抜け、実用に遠ざかったものになってしまうのですが、大石内蔵助たちが身につけていたこの時代の武士達の規範について、



赤穂浪士の義挙は気魄充満の「武士気質」時代と、形式美の絶頂に立つ「武士道」時代との中間に立って、両者の長所をかねているもので、花も実もあるということばはここにも適している。
(『赤穂義士』より)

と海音寺潮五郎さんは述べています。こうした当時の武士達が行ったことだからこそ、胸を打つ美談になっているというのです。
「忠臣蔵」といえば、ほぼ毎年のように年末になるとドラマなどで取り上げられる話ですが、その事件の真の姿を知るためには、海音寺潮五郎さんの『赤穂義士』はまず外すことができない重要な書物であると言えると思います。



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