海音寺潮五郎 私設情報局

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『新名将言行録』:NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」によせて

海音寺史伝の先駆け

海音寺潮五郎さんの作品に『新名将言行録』があります。これは江戸時末の武士・岡谷繁実がまとめた『名将言行録』という人物伝を、昭和時代の作家たちが現代語に書き直した作品集から、海音寺さんが担当した部分を抜き出したものです。
オリジナルの『新名将言行録』が出版されたのが1958年(昭和33年)。海音寺さんの代表作『武将列伝』は翌年の1959年(昭和34年)から連載が開始されていますので、海音寺史伝の先駆けとも呼べる作品となっています。

この『新名将言行録』は基になった岡谷繁実の『名将言行録』の内容を踏まえつつ、適宜注釈や独自の解釈を交えた構成となっているため、海音寺さんのオリジナル作品と呼ぶには微妙な立ち位置ではあります。しかし、そこに見られる海音寺さんの解釈は『武将列伝』に継承されている内容が多々あり、読んでいると「確かに海音寺さんが書いた作品だな」と感じさせてくれます。

『新名将言行録』に収録されている人物は源頼義、源義家、源為朝、源義朝、北条時頼、北条時宗、北条高時、竹中半兵衛、島津家久、島津義久、堀秀政、黒田如水、山内一豊、池田輝政、宇喜多秀家、 立花宗茂と多岐にわたります。特に源平時代よりも前に活躍した源頼義、源義家は珍しい人選で、海音寺さんの諸作品に登場することは稀ですので、ファンにとっては貴重です。

「軍師官兵衛」によせて

ご存知の通り、2014年のNHK大河ドラマは黒田官兵衛(如水)を主人公とする「軍師官兵衛」と決まりました。黒田官兵衛は海音寺潮五郎さんが非常に高く評価する人物でもありますので、ここで『新名将言行録』の「黒田如水」から内容を紹介しつつ、このドラマと深く関わりそうな人物や史実について、海音寺さんの歴史解釈をまとめてみたいと思います。

黒田官兵衛は豊臣秀吉を補佐し、竹中半兵衛と並んで当時の人々から「張良・陳平」と称されたそうで、「軍師」の言葉通り、知恵者の代表とも呼べる人物です。当時、黒田官兵衛がどれほど高評価されていたかについて、次のような逸話が載っています。これは秀吉が「自分の没後に天下を取るのは誰だと思うか?」という問答を吹っかけた有名な場面で、その中で官兵衛を評したものです。



「汝らはあいつの知恵をよく知らんのじゃ。わしが高松城攻めから馳せかえって明智を伐って以後、天下を平定するまでの間には、息のつまるような大事な場面が幾度があった。たいていは工夫がついて切りぬけることができたが、どうしても工夫のつかぬこともあったので、ちんばめに相談すると、それはこう、かれはかくと、いともやすやすと策を立てた。その策はおれが久しく心をしぼってやっと工夫しだしたことと同じであった。事によってはそれよりはるかの上策と思われることもあった。このような知恵者である上に、将に将たる器がある。わしが存命のうちでも、天下を取ろうと思うならたやすく取れる男だ。」
(『新名将言行録』「黒田如水」より)

官兵衛を牽制するための秀吉の発言ではありますが、秀吉の偽らざる心であったともとれます。
また、海音寺潮五郎さんは「黒田官兵衛はその能力を自由に活かす機会に恵まれず、どちらかと言えば不遇な生涯だった」として次のように述べています。



如水は不運な人である。一流中の一流の人物であり、稀世の大才を抱き、運と力量さえあれば、立身出世思うがままであったはずの戦国のさなかに生まれながら、十二万二千石の小大名でおわらなければならなかったので。その大才ゆえに秀吉の在世中には秀吉に忌まれ、家康の時代となってはまた家康に忌まれたのである。秀吉や家康と時代を同じくし、ややおくれて出発したことが、彼の不運であったのだ。
(『新名将言行録』「黒田如水」より)

ただし、黒田官兵衛は明日をも知れぬ戦国の世を生き抜いて、悠々自適な生活のうちに天寿を全うしていますので、これを不遇と呼ぶべきか否か、読む人によって意見は分かれるでしょう。

大河ドラマを一層面白く見るために

「軍師官兵衛」の放送にあたり、ドラマに登場する人物が海音寺潮五郎さんの作品の中でどのように取り上げられているか、その人物に対する海音寺さんの評価はどのようなものか、関連ありそうなところを紹介してみます。

まずは主人公の黒田官兵衛ですが、ドラマでは絶対に取り上げられないだろう逸話があります。豊臣秀吉による九州平定が終わり、官兵衛は豊前中津に領土を与えられますが、一部の土豪が服従しないため、官兵衛は実に辛辣な方法を用いて攻め潰しています。

 【作品】『武将列伝』:黒田如水の裏と表

こんな逸話がありながらも、海音寺さんは黒田官兵衛を実に高く評価している点も印象的です。

黒田官兵衛の生涯は、天下取りに挑んだ3人・織田信長、豊臣秀吉、徳川家康との関係なくして語ることはできません。当時の情勢を分析して信長に臣従することを決めたのは官兵衛だったそうですが、その信長を取り上げて海音寺さんは「英雄はすべからく幸運である」という持論を展開しています。

 【作品】『武将列伝 戦国揺籃篇』:英雄の辞書に「不運」の文字はない

桶狭間の戦いの経緯については、意外な感じを受ける方が多いのではないかと思います。

関ヶ原の戦いの際、黒田家は官兵衛、長政の父子共に東軍として戦い、これを契機に家運を上昇させました。一方で、真田昌幸・幸村父子と真田信幸が「東西どちらが勝っても真田家が残るように」と意図的に分かれて戦ったという有名な話があります。しかし、海音寺さんはこの説に反論しています。
 【作品】『歴史余話』:源義経は死なず

人間理解を基本とする海音寺さんの史観がよく分かると思います。

関ヶ原の戦いは石田三成と直江兼続の策謀によって引き起こされたとする解釈が一般的です。石田三成は小身ながらも徳川家康に大勝負を挑んだ志は天晴だ!という声がある一方で、海音寺潮五郎さんは「関ヶ原の敗戦の全ての責任は石田三成にある」と自説を述べています。
 石田三成と関ヶ原の戦い

石田三成ファンを激怒させた海音寺さんの解釈、私のところにまでクレームが来てますよ(汗)



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