光背(こうはい)とは、もともとは仏さまに後光がさす様子を表したものです。観音像などに使われますが、それが道祖神にも流用されたのではないかと思います。
<舟型(ふながた)光背>
舟の形に似ており、先がとがっているのが特徴です。
左:安曇野市 豊科 熊倉。
右:富士見町 立沢。ストレートな感じの舟型。
<櫛型(くしがた)光背>
先が丸いのが特徴です。元々とがっていたのに、風化で丸くなってしまったものも、あるかも知れません。ですから、舟型と櫛型の厳密な区別は難しいです。(区別が難しいときは、単に『光背碑』と呼べば良いと思います)
諏訪市 湖南 大熊。
<駒型(こまがた)光背>
将棋の駒の形です。上が屋根のようになっている様子が、中世の墓碑などに用いられた板碑(いたび)に似ているということで、板碑型と呼ばれることもあります。
松本市 蟻ヶ崎。文政六年(1823)。
ほかにも、いろんな形の光背があります。
左:安曇野市 穂高。自然石光背。三角形の自然の形を生かしている。
右:茅野市 北大塩。自然石光背。ずいぶん風化しており、割れた形跡があるが、大事に修復して祀っている。
実際に調査に行きますと、何型の光背なのか、わからないものも多いです。光背碑は風雨をまともにかぶるので、風化が激しいのでしょう。中区彫りのものよりも、光背碑のほうが古そうなものが多いです。