<くなどの神>
さて古事記では、冥界から逃げ帰ったイザナギが、けがれを落とすために禊(みそぎ)をするのですが、そのときに投げ捨てた杖(つえ)から、衝立船戸(つきたつふなと)の神が生まれた、という記述があります。衝立(つきたつ)は突き立てること、船戸(ふなと)は「来な所(くなど)」で、「来るなと言ってふさぐ所」のことだと言われています。
古い日本語の発音では、ハ行がカ行に置き換えられることが多々ありました。たとえば「韓」という字は韓国では「ハン」と発音するのですが、これが日本に伝わって「カン」と発音されるようになりました。ですから「ふなと」は「くなど」と同じ言葉であるという説が有力です。
なんにせよ、杖のような棒状のものを立てることで、悪霊や疫病などの災厄の侵入を防ぐという思想が、古くからあったのでしょう。富士見町立沢には、縄文時代のものと伝えられる石の棒を、石祠に入れて道祖神として祭ってあります。
富士見町 立沢。明和五年(1768)。石棒道祖神。
石の棒は、男根を連想させます。実際、男根の形をした道祖神もあるわけです。(東北地方では、こういう形の道祖神が一般的だと聞きます)
辰野町 横川 飯沼沢。陽石。
ところで、諏訪大社では七年に一度、御柱(おんばしら)という祭りがあります。山から木を切り出して、市中をひきまわし、大社の四すみに立てるのです。
この祭りにどんな意味があるのか、いろんな説があるようですが、ひょっとしたら四すみに柱を突き立てることで、「ここから出てくるな」という結界を張っているのではないでしょうか。諏訪大社の神はタケミナカタ(建御名方)といって、古事記によれば、出雲から追われて諏訪まで逃げてきた神です。そのとき、「ここから出ませんから、殺さないでください」と命乞いをしたと伝えられています。
諏訪市 中洲 神宮寺。後ろに双体神が隠されている。
(諏訪の人たちは、どんな小さな祠(ほこら)にも御柱を立てたがるのです)
「くなど」は「久那斗」と書かれたり、「岐」の字をあてたりします。
立科町 野方。文字碑「岐神」。