ちまたの神


<ちまたの神>

古事記の話を続けます。イザナギが禊(みそぎ)のときに投げ捨てた杖から、くなどの神が生まれたことは、すでに述べました。続いて、脱ぎ捨てた褌(はかま)から、道俣(ちまた)の神が生まれた、と記述されています。

イザナギのはかま、つまり下半身の股(また)と、道の俣(また)をかけてあるのでしょう。現在では衢(ちまた)という字を当てますが、この字は「道が分かれるところ」の意味です。


軽井沢町 旧軽井沢 諏訪神社。文化十三年(1816)。文字碑「大衢神」。

実際、道祖神は、道の分かれ目に置かれていることが多いのです。そして股ですから、男根・女陰を連想するでしょう。これが一対になった道祖神もあるわけです。


茅野市 泉野。陰石・陽石。

男根・女陰は生命の根源であり、子孫繁栄・五穀豊穣・夫婦円満・良縁などをかなえてくれる神であっただろうと推測できます。

なお日本書紀では、前述の「ふなと」に、道の分かれ目を表す「岐」という字が当てられています。「ふなとの神」と「ちまたの神」が習合し、同じものと見なされていたことを示しているのでしょう。

<やちまたひこ・やちまたひめ>

八という数字には、たくさんという意味があります。それで、多くの道が分かれる意味で、八衢(やちまた)という言葉もあります。

西暦927年、平安中期に書かれた「延喜式」という法典には、久那斗(くなど)の神と一緒に、八衢比古(やちまたひこ)、八衢比売(やちまたひめ)という神の名が出てきます。ちまたの神が男女一対の神であるという考え方は、遅くともこの頃までに成立していたと考えてよいでしょう。


辰野町 下田。円形中区、文字碑「八衢毘古、八衢比賣、岐神」。

なお、平安後期(930年台〜1150年台)に書かれた「本朝世紀」という歴史書には、男根・女陰が彫ってある男女の人形が、一対となって京の街角に置かれていた、という記述があります。京の都の人々は、どんな思いでこの人形を眺め、おそなえをしたのでしょう。