古事記のあらすじ

かつて古事記の物語は、日本の歴史として学校で教えられていたので、年配の方はみな知っていると思いますが、若い人たちはほとんど知らないと思いますので、ここにあらすじを掲載し、資料としたいと思います。


<上巻>

天地のはじめ、まず高天原(たかまがはら)に、アメノミナカヌシ以下、イザナギ・イザナミまで七代の神々が生まれた。一同は、イザナギ・イザナミに矛(ほこ)を与え、国を作るよう命じた。二人が矛で海水をかき回すと、その先からしたたり落ちた塩が積もって、オノゴロ島になった。

二人はオノゴロ島に降りて、結婚の誓いをし、子を作ったが、蛭(ひる)のような子や淡(あわ)のような島しか生まれなかったので、どうしたらよいか神々に占ってもらった。すると、結婚の誓いのときに、女のイザナミのほうから声をかけたのがまずかったことが分かった。

そこで結婚をやり直し、男のイザナギのほうから声をかけたところ、淡路・四国・隠岐・九州・壱岐・対馬・佐渡・本州などの国土が生まれた。続いてオオワタツミやオオヤマツミなど、たくさんの神々を生んだが、最後にヒノカグツチを生んだとき、妻イザナミはやけどを負って、死んでしまった。

イザナギは嘆き、ヒノカグツチを斬り殺してしまった。それから、妻に会いに黄泉(よみ)の国を訪れ、まだ国作りが途中だから、帰ってくるように言った。妻イザナミは黄泉の神のところへ相談しに行ったが、いくら待っても戻らないので、見に行くと、イザナミの体には蛆(うじ)がわき、恐ろしい雷の神々が乗っていた。

これを見たイザナギは怖くなって逃げ出したが、イザナミは「恥をかかされた」と怒り、黄泉の軍勢を出して夫を追いかけさせた。黄泉の国の入り口まで逃げ延びたイザナギは、大きな岩で道を塞(ふさ)いだ。イザナギとイザナミは、この岩をはさんで離別の誓いをした。


黄泉の国から帰ったイザナギは、けがれを落とすため、禊(みそぎ)をおこなった。まず、投げ捨てた杖や衣類から、フナトなどの神々が生まれた。また水に入って体を洗うと、ワタツミなどの神々が生まれた。このワタツミの子、ウツシヒカナサクが、阿曇(あづみ)族の祖先になった。

それから左目を洗うとアマテラスが、右目を洗うとツクヨミが、鼻を洗うとスサノオが生まれた。イザナギは、これら尊い神々が生まれたことを喜び、アマテラスに高天原を、ツクヨミに夜の世界を、スサノオに海を、それぞれ統治するよう命じた。

ところが、スサノオは言われたとおりにせず、母に会いに黄泉の国に行きたいと泣くばかりだったので、イザナギは怒って、スサノオを追放することにした。そこでスサノオが、姉のアマテラスに別れを告げようと天に上っていったところ、アマテラスはスサノオが国を奪いに来たと思い、武装して待ち受けた。

スサノオは、自分に邪心がないことを証明するため、アマテラスと誓いを立てて子を生むことにした。結果、アマテラスからは五人の男神が、スサノオからは三人の女神が生まれた。この結果を見てスサノオは、自分に邪心がないことが証明されたと言って喜び、田のあぜを壊す、糞をまき散らすなど、大暴れをした。

スサノオの乱暴ぶりに、はじめは我慢していたアマテラスだったが、ついに暴行にたまりかねて、天の岩屋戸(あめのいやわと)に閉じこもってしまった。すると、高天原も地上も真っ暗になり、さまざまな災いが起こるようになった。そこで神々は集まって相談し、アマテラスを岩屋戸から引っ張り出す計画を立てた。

まず木の枝に、鏡や勾玉(まがたま)を取り付けて準備し、祝詞(のりと)をあげ、それからアメノウズメに裸踊りをさせ、にぎやかな笑い声を立てた。アマテラスが不思議に思ってそっと岩屋戸を開けて問うと、アメノウズメは「あなたより尊い神がいるので、みな喜んで笑っているのです」と答えた。

アマテラスは、差し出された鏡に自分そっくりの神が映っているのを見て、ますます不思議に思い、身を少し乗り出したところ、アメノタヂカラオがその手をつかんで外へ引っ張り出した。それから綱を張って、岩屋戸の中へ戻れないようにした。これで高天原にも地上にも光が戻った。それから神々は、スサノオのヒゲを切り、爪を抜いて追放した。


追放されたスサノオは出雲(いづも)の国に降りた。すると、老夫婦と娘が泣いていたので事情を聞くと、越(こし)の国からヤマタノオロチが来るので、これから娘をいけにえにしなければならないという。そこでスサノオは、強い酒を用意するように命じ、その娘クシナダ姫をくしに変えて身につけ、ヤマタノオロチを待ち受けた。

ヤマタノオロチがやってきて、酒を飲んで寝てしまったので、スサノオが斬って退治したところ、その尾から立派な刀が出てきたので、アマテラスに差し上げた。これが草なぎの剣(つるぎ)である。その後スサノオは、クシナダ姫を妻にし、御殿を建てて暮らした。

スサノオの子孫の六代目に、サシクニワカ姫の子でオオクニヌシという神が生まれた。またの名をオオナムチ、アシハラノシコオ、ヤチホコ、ウツシクニタマといい、あわせて五つの名を持っていた。彼には、八十神(やそがみ)と呼ばれるたくさんの兄弟がいた。

ある日、八十神たちは、ヤガミ姫という美女に求婚するため、オオナムチに荷物を持たせて、因幡(いなば)を旅していた。そこに、皮をはがれたウサギが泣いていたので、オオナムチは治療法を教えてやった。ウサギは「あなたこそ、ヤガミ姫を得ることができるでしょう」とオオナムチに予言した。

さてそのとおりに、ヤガミ姫はオオナムチとの結婚を望んだため、八十神は怒って、オオナムチを殺してしまった。オオナムチの母親は嘆き、天の神に頼んで生き返らせることに成功したが、このままでは、いつかオオナムチが殺されてしまうと思い、スサノオを頼って行くように教えた。

オオナムチがスサノオのところに行くと、娘のスセリ姫が出てきたので、二人は仲良くなってしまった。スサノオは、ヘビやムカデやハチのいる部屋にオオナムチを泊まらせて試したが、いずれもスセリ姫の助けによって無事に済んだ。

またスサノオは、野に火を放ってオオナムチを焼き殺そうと試したが、ネズミの助けによって無事に済んだ。スサノオはオオナムチを気に入ったようで、ある日、油断して居眠りしていたところ、オオナムチとスセリ姫は共謀し、スサノオのところから駆け落ちした。

目が覚めたスサノオは、逃げてゆくオオナムチに、「おまえは八十神たちを倒し、オオクニヌシとなって、わが娘を妻とし、立派な御殿を建てろよ、こいつめ」と言ってやった。このヤチホコの神(=オオクニヌシ)は、越の国のヌナガワ姫にも求婚したと伝えられ、ほかにも多くの妻子を持ったという。

ある日、オオクニヌシが海岸にいたところ、船に乗ってやってくる神があった。その神の名を誰も知らないので、田んぼのかかしに尋ねると、スクナビコナという神であることが分かった。オオクニヌシとスクナビコナは、協力して国作りをおこなったが、やがてスクナビコナは遠くの国へ行ってしまった。

オオクニヌシが途方に暮れていると、また海からやってくる神があった。この神は「私を祭るなら、きっと国作りがうまくゆくであろう」と言ったので、オオクニヌシは、この神を大和(やまと)の国の御諸(みもろ)山(=三輪山)に祭った。


さてアマテラスは、「この地上の国は、わが子オシホミミが治めるべき国である」と言い、使者としてアメノホヒを遣わして、国の神々を従わせようとした。ところがそのアメノホヒは、オオクニヌシに媚(こ)びへつらってしまい、三年たっても戻ってこなかった。

そこで第二の使者としてアメノワカヒコを遣わしたが、彼はオオクニヌシの娘婿(むすめむこ)になってしまい、八年たっても戻ってこなかった。そこで今度はキジを使わしたが、アメノワカヒコは、キジを矢で射殺してしまった。その矢は天の神々のところまで飛び、逆につき返されて、アメノワカヒコに当たって死んでしまった。

続いて、タケミカヅチを使者として遣わした。タケミカヅチは、オオクニヌシに国をあけ渡すように言ったところ、オオクニヌシは「息子たちに聞いてみないと分からない」と言った。息子のコトシロヌシは釣りに行っていたが、呼び戻されて、国をあけ渡すことに同意した。

もう一人の息子タケミナカタは、タケミカヅチに対して力比べを挑んだが、勝ち目がないことが分かり、信濃(しなの)の諏訪湖まで逃げ、「ここから出ないから殺さないでください」と命乞いをした。二人の息子が降伏したことを聞いたオオクニヌシは、立派な神殿を作ってもらうことを条件に、国をあけ渡すことに同意した。

さてアマテラスは、地上が平穏になったのを見て、息子オシホミミに天下るよう命じたが、オシホミミに息子のホノニギギが生まれたため、ホノニギギが天下ることになった。そのとき、道で待ち受けている神がいたので、アメノウズメが行って「何者か」と問うと、その神はサルタヒコといって、道案内をしに来たのだと答えた。

ホノニギギは、たくさんの家来を従え、やさかの勾玉・やたの鏡・草なぎの剣をたずさえて、九州の高千穂(たかちほ)に降り立ち、立派な御殿を建てた。それからホノニギギは、道案内してくれたサルタヒコを送ってゆくようアメノウズメに命じ、またこれ以後、猿女(さるめ)と名乗るように命じた。

ホノニギギは美しい娘に出会った。オオヤマツミの娘でコノハナサクヤ姫といった。求婚すると、オオヤマツミは非常に喜び、姉のイワナガ姫も添えて嫁がせたが、イワナガ姫は醜かったので帰されてしまった。オオヤマツミは「コノハナサクヤ姫だけを妻にしたので、命が花のように短くなるでしょう」と言った。これによって天皇家の方々の命は、長くなくなってしまった。

コノハナサクヤ姫は身ごもり、お産をすることになったが、ホノニギギは「たった一夜で身ごもるはずはない」と疑った。そこでコノハナサクヤ姫は、たしかにホノニギギの子であることの証しとして、御殿に火をつけ、炎の中でお産をした。ホテリ、ホスセリ、ホオリの三人を生んだ。


兄ホテリはウミサチヒコとして、漁で暮らしていた。弟ホオリはヤマサチヒコとして、狩りで暮らしていた。あるときホオリは、兄に頼んで道具を交換してもらい、漁に出たが、魚は一匹も釣れず、そのうえ兄の釣り針をなくしてしまった。兄は、代わりの釣り針をいくら作ってあげても許してくれなかった。

ホオリが海辺で泣いていると、シオツチという神が来て、海神ワタツミの宮殿へ行くように教えた。ホオリは小舟に乗って宮殿に着くと、海神の娘トヨタマ姫に出会った。二人は結婚し、三年暮らした。ところがホオリがため息をつくようになったので、事情を尋ねたところ、釣り針をなくした件を語った。

そこで海神が、あらゆる魚たちを集めたところ、鯛ののどに針が刺さっているのが見つかった。海神は、ホオリの兄が落ちぶれるように釣り針に呪いをかけ、さらに潮満ちの玉・潮干の玉を与え、ホオリを地上に送り返した。その後、兄は次第に貧乏になったので、ホオリを恨んで攻めてきたが、そのときは潮満ちの玉を出し、溺れさせて屈服させた。

さて、トヨタマ姫が地上にやってきて、お産をすることになった。ホオリがこっそりとお産の様子をのぞき見したところ、トヨタマ姫はワニの姿になって、ウガヤフキアエズを生んだ。そしてトヨタマ姫は、ワニの姿を見られたことを恥じ、海に帰ってしまった。

その後トヨタマ姫は、妹のタマヨリ姫を地上に送り、ウガヤフキアエズの養育に当たらせた。やがてウガヤフキアエズはタマヨリ姫と結婚し、イツセ、イナイ、ミケヌ、カムヤマトイワレビコを生んだ。このうちミケヌは遠くの国に行ってしまい、イナイは海の国に行ってしまった。


<中巻>

[神武(じんむ)天皇]

カムヤマトイワレビコは、兄のイツセと高千穂の宮殿で相談し、東の国に行くことに決めた。道中の住民を従えながら、筑紫(つくし)・安芸(あき)・吉備(きび)・浪速(なにわ)と、船を進めていった。そこに鳥見(とみ)のナガスネビコが軍勢を率いて待ち構えていて、イツセは矢に当たって死んでしまった。

カムヤマトイワレビコは、そこから敗走して熊野に上陸したが、そこで天の神々から刀を受け取り、やたの烏(からす)を道案内としてもらい受けた。やたの烏に導かれ、住民たちを次々と屈服させながら進んでゆくと、天からニギハヤイの神も駆けつけて従った。ニギハヤイは、のちの物部(もののべ)氏の祖先になった。

やがてカムヤマトイワレビコは国を平定し、大和(やまと)の畝傍(うねび)の橿原(かしはら)で神武天皇として天下を治めた。この神武天皇には妻子があったが、さらに三輪山のオオモノヌシの神の娘、イスケヨリ姫を妻に迎え、カムヌナカワミミなどの子を生んだ。

カムヌナカワミミは綏靖(すいぜい)天皇となり、このあと安寧(あんねい)天皇、懿徳(いとく)天皇、孝昭(こうしょう)天皇、孝安(こうあん)天皇、孝霊(こうれい)天皇、孝元(こうげん)天皇、開化(かいか)天皇と続く。

[崇神(すじん)天皇]

この天皇のとき、疫病がはやった。そして天皇の夢にオオモノヌシの神が現れて、「オオタタネコという者を探して、私の祭りをさせれば、たたりが収まるだろう」と告げた。天皇がそのとおりにすると、疫病はおさまった。またこの天皇のとき、越の国や会津を平定し、謀反を企てる者どもを討伐した。

[垂仁(すいにん)天皇]

この天皇の后(きさき)は、兄サホヒコにそそのかされて、天皇を殺そうとした。しかし天皇に対する愛情を抑えがたく、未遂に終わった。天皇はすぐに軍勢を率いてサホヒコの討伐に向かったが、后はサホヒコの砦(とりで)の中で子を生んだ。后はその子を残し、サホヒコと共に死んでいった。

その子はホムチワケと名づけられたが、いくつになっても言葉を発しなかった。占ってもらったところ、それは出雲の神のたたりだということが分かり、ホムチワケを出雲に参拝させたところ、言葉を発するようになった。

[景行(けいこう)天皇]

この天皇には、オオウス、オウスという息子たちがいた。兄オオウスは、天皇が召し上げた女を勝手に自分のものにしたため、弟のオウスに惨殺されてしまった。天皇は、オウスの激しい気性を恐れ、オウスに「西方の熊襲(くまそ)の国が朝廷に従わないから、討伐してくるように」と申し付けた。

オウスが熊襲の国に着くと、クマソタケル兄弟の家では、ちょうど宴会をして騒いでいた。オウスは少女の姿に化けてクマソタケルに近づき、剣で胸をつきさした。クマソタケルは、「あなたは我らにまさって勇気ある強い方です。今よりヤマトタケルと名乗りなさい」と言い残し、息絶えた。

ヤマトタケルは、帰り道にイズモタケルをも討伐して都に帰ったが、天皇はすぐにまた「東の十二ヶ国を平定しに行きなさい」と命じた。ヤマトタケルは出立し、伊勢に寄って叔母のヤマト姫に会った。そして「天皇は、もう私のことは死んでしまえばよいと思っているのでしょう」と嘆いた。ヤマト姫は、草なぎの剣(つるぎ)をさずけてくれた。

ヤマトタケルは、住民を次々と服従させながら東へ進んだ。さて焼津(やいづ)を通ったとき、土地の者にだまされて、野に火を放たれた。ヤマトタケルは草なぎの剣で草を刈り払い、迫ってくる火に対して逆に火をつけて、危機を脱した。

また、走水(はしりみず)の海を渡ろうとしたとき、波が荒れて船を進めることができなくなった。このとき、妻のオトタチバナ姫が「私が海に入りましょう」と言って海に入ったところ、波が静まり、船が渡れるようになった。七日ののち、オトタチバナ姫のくしが、海岸に打ち寄せられた。

ヤマトタケルはさらに旅を続け、住民や神々を服従させていった。こうして都に向かう帰路についたが、足柄(あしがら)山の峠にさしかかったとき、ためいきをついて「ああ、妻よ」と嘆いた。それで東の国のことを、あづまと言うようになった。

ヤマトタケルが伊吹(いぶき)山にさしかかったとき、「この山の神は素手で征伐してやろう」と言って、草なぎの剣を置いて出かけた。途中、神の化身である白いイノシシに出会ったが、ヤマトタケルは「これは神の使いだから、あとで殺してやろう」と口にしてしまった。それが神の怒りを買い、ヤマトタケルは激しい雹(ひょう)に打たれてしまった。

致命傷を負ったヤマトタケルは、三重まで来たところで息絶えた。ヤマトタケルの魂は、大きな白い鳥になって飛び立った。倭(やまと)のお后や御子たちは、白い鳥を泣きながら追いかけていった。やがて白い鳥は河内にとどまったので、そこに御陵を作った。白い鳥は、そこから天に昇っていった。

(以下略。推古天皇までの系譜が延々と続く。)