合掌像


合掌(がっしょう)像は、その名のとおり、手を合わせている様子を描いたものです。僧侶の姿であることが多く、また、どちらが男神でどちらが女神か、区別がつかないことが多いです。


諏訪市 湖南 北真志野。櫛型中区、合掌像。

不思議に思うのですが、道祖神は男女の神のはずなのに、どうして僧侶二人が並ぶ像があるのでしょう。僧侶は結婚できず、生産活動もしません。それなのに、僧侶ふたりが並んだ図に、いったい何の意味があるのでしょう。それよりも、男女ふたりが並んだほうが、夫婦和合・子孫繁栄・五穀豊穣の神として、自然な図だと思います。

学者の中には、「僧侶の像は古く、男女の像は新しい」と主張する人が多いですけれども、私はあえて、『男女一対という基本図式がまずあって、そこに石仏を当てはめたものが、僧侶の合掌像になっていった』という仮説を唱えたいと思います。


ふつうの墓石とは別に、供養のために石祠を作ることがあります。私の家にも空っぽの石祠があるのですが、中身の入った石祠を、富士見町で見つけました。


富士見町 小六。石祠の中に双体像が見える。

その昔、亡くなった両親の供養のために、石祠を作って、石仏を入れる習慣があったらしいのです。両親の姿ですから、双体像を入れたのだと思います。

たとえば浄土宗の教えによれば、人の死後、阿弥陀(あみだ)様の導きによって極楽浄土に生まれ変わり、そこでさらに修行を積んで、成仏(じょうぶつ)を目指すと言われています。そのさい、女性は差しさわりがあるので、みな男に生まれ変わって修行をするというのです。これを変成男子(へんじょうなんし)と言います。

それで、男女の区別のつかない双体像が作られたのであり、極楽に行ってもまだまだ修行中の身ですから、僧侶の姿で合掌をしているのではないか、と思うのです。

われわれが道祖神だと思っているものの中にも、実は両親の供養のために作られた石仏が、けっこうあるのではないでしょうか。


左:富士見町 先達城址。墓場のように双体像がたくさん集合しており、供養のための石仏と思われる。
右:富士見町 木の間。たくさんの石祠が並んでおり、中に双体像が入っている。

昔は“神仏習合”といって、神さまと仏さまを区別なく祀ることが、普通に行われていました。夫婦和合をあらわす道祖神に、両親供養のための石仏を当てはめても、おかしいことではなかったのだと思います。

しかし、江戸時代の後期以降、村々が競って立派な道祖神を建てるようになると、地味な合掌像よりも、しゃれた男女一対の像のほうが、好まれるようになったことでしょう。それで、「新しい道祖神は男女一対」という傾向になったと思われます。もちろん、あくまで「傾向」であって、古い時代に男女一対の像がなかった、というわけではないと思います。