力石(ちからいし)


その昔、若者たちが、重い石を持てるかどうか力くらべに使った石です。娯楽の少なかった時代、そんな素朴な遊びをして、ありあまる力を発散していたのでしょう。村の寄り合い所などに置かれていたようで、重さなどが彫ってあるものもあります。


左:岡谷市 川岸。どこか別の組へ持っていかれないように「的場組」と記名されている。
右:下諏訪町 諏訪大社 下社 春宮前。重さの違う石が並べてあり、自分の体力に合わせて挑戦したのだろう。

たとえば、この石が持ち上げられるようになったら一人前とか、成人になるための一種の通過儀礼になっていた地方もあるようです。農作業が機械化されていない時代、男にとって、力持ちであることは、何より大事なことだったのでしょう。

安曇野地方では、ばんもち石、でいもち石、などと呼ばれています。丸い石ではなく、かつぎやすいように少し長細い石が好まれたようです。


安曇野市 豊科。

富士見町乙事下社跡にある力石は、お試し石とも呼ばれ、願い事がかなう時は軽々と持ち上がり、かなわない時は持ち上がらない、と言われています。


富士見町 乙事 諏訪神社下社跡。

力くらべの遊びがエスカレートすると、今度は道祖神や地蔵などを持ち上げてしまう若者も出てくるわけです。「あの道祖神を持ち上げた」という評判が立てば、力もちとして娘たちにモテるわけです。ただし、道祖神をうっかり落として割ってしまうこともあったのでしょう。割れた道祖神が修復されたものを、ときどき見かけます。


富士見町。この道祖神で本当に力くらべをしたかどうかは知るすべもない。別の理由で割れたのかもしれない。

さらにエスカレートすると、道祖神をかついで、隣の村まで持っていってしまうこともあったようです。たぶんこれが「道祖神盗み」の起こりだったのではないでしょうか。そんな悪さをする若者たちを、大人たちは「しょうがないやつらだ」と思いながらも、「この道祖神、かつげたら、くれてやる」くらいの大らかな目で見ていたのかも知れません。力もちの若者がたくさん育ってくれることは、村にとって頼もしいことですから。