四国八十八ヶ所、西国三十三ヶ所などを、巡礼した記念に建てたものが、巡拝塔(じゅんぱいとう)です。「順拝」と書かれることも多いです。
江戸時代の人々にとって、商人でもないぎり、旅に出ることはなかなか難しいことだったと思います。そこで、村の中で金を出し合って、代表者が巡礼することが、よく行われたようです。
辰野町。「奉順拜 四國八十八ヶ所 西國三十三ヶ所」
一緒に行けなかった村人も、この巡拝塔をおがむことで、お参りしたのと同じ効力があると考えていたのかもしれません。そこで、ただの文字碑ではなく、観音菩薩を彫った巡拝塔もあります。観音菩薩は、蓮華を手にしていることが多いです。
辰野町。つぼみの蓮華(未敷蓮華)を手にした観音。光背に「西國」と書かれており、西国三十三ヶ所の巡拝塔であることがわかる。
百ヶ所観音というのがあって、「西国三十三ヶ所、坂東三十三ヶ所、秩父三十四ヶ所」を合わせて百ヶ所といいます。もともと西国三十三ヶ所が古くからあり、のちに坂東・秩父は、数を合わせるために設けられたのではないかと思います。
辰野町。「奉順拝 東西百番 西三十三所 供養塔」。
各地方にも、ローカルな巡礼地があったようです。
富士見町。「諏訪百番供養塔」。養の字は異体字で「美良」になっている。