風化について


どのくらい風化するかは、さまざまな条件が重なり合って決まるものですので、500年の歳月を耐えることができるか、もう500年経ってみなければ分からない、というのが正直なところです。

辰野町内に、永正十六年(1519)に建てられた宝篋印塔(ほうきょういんとう)を見ることができます。宝篋印塔は、本来は経典を収めておくものでしたが、のちには寺の住職の墓碑・供養等として建てられることが多かったようです。


左:辰野町 横川。瑞光寺の裏にある。
右:このうち一基の台座の裏。

「永正十六 己卯」と読めます。苔むした墓地にあるため、ずいぶん風化しており、修理のあともありますが、500年経った今も、これだけの形を残しています。永正二年の道祖神が500年の風化に耐えてきたと考えても、まんざら嘘ではありますまい。


地方によっては、道祖神に対して、わりと過酷な仕打ちをするところがあるので、風化が早まったりします。

・茶碗をぶつける。
・餅をぬりつける。
・棒でつつく。
・転がす。
・火で焼く。

茶碗をぶつけるのは「厄投げ」といって、厄年の人がこっそりおこなう風習です。当然かけらが飛び散りますし、道祖神の表面に傷がつきます。餅をぬりつけるのは「めっつり はなっつり」と言って、お嫁さんがほしい人がおこなう風習です。あの永正二年の道祖神にも、餅をぬりつけた跡を見たことがあります。


伊那市 高遠。茶碗のかけらが落ちている。道祖神の表面も傷ついている。

棒でつつくのは「コンボータ」といって、子どもの遊びとして行われるようですが、けっこう穴ぼこになります。穴を棒でつつくという、性教育の一環だという説もあります。


茅野市 新井。道祖神の上部に、棒でつついた穴ぼこができている。

転がす、火で焼く、というのは、私は見たことがないのですが、どんど焼きの行事でおこなう地方もあるようです。相当いたむと思われますが、こうすることで、道祖神に年々新たな命が吹き込まれると信じられているようです。


ところで、石仏ファンや写真家に人気の高い「修那羅峠(しょならとうげ)」には、数百基もの個性的な石像物が並んでいますが、病気の治癒とか、商売の繁盛だとか、願をかけて奉納したものだそうです。背中にかつげるくらいの、わりと小型の石仏が多いです。


筑北村、修那羅峠の石像群。

ずいぶん風化したものが多いなあと感じます。それで、長い歴史のある場所だと思っていたのですが、実はこれらのほとんどが、幕末から明治以降に奉納されたものだと知りました。わずか百年あまりで、こんなに風化するものかな、と思います。ここの石仏の特徴は、わりと素人っぽい感じの作風が多いので、高級石材ではないのかもしれません。

石材にもよると思いますが、沢底の道祖神が500年もの風雨に耐えてきたのが本当かどうか、ここを訪れると心が揺らぐのです。