おばちゃんの独り言
(2012年3月27日)
春を待つ
春が待ち遠しい。暦ではとっくに春なのに、ポカポカ陽気にならないのでその実感がない。冬が厳しかっただけに、暖かな季節到来を心待ちにしている。
今年の冬のことを言えば、冬は寒いものと解っていてもひどい冷え込みと連日の雪かきに「あ〜ぁ・・」とウンザリした。飛島の降雪、積雪量など豪雪地のご苦労には及びもせず、比較すること自体恐縮至極だが、ここの地にとってはかなりの雪だった。そのうちには消えて無くなるものに、片付けねば日々の暮らしがまかりならないやり切れなさ・・
ラニーニャ、北極バレンツ海の水温上昇などが寒波や大雪の原因らしいが、自然の摂理の前に手も足も出ない無力さを思う。思い上がることの多い人間に、自然界から『アッカンベェ〜』をされているような気がする。
リフォーム
真冬の冷え込む日は一日何もする気が起きない。建物は夏仕様で、冬向きに造られていないのでとにかくジンジン冷える。やる気は減退、動作は緩慢、脳の働きは低下といいことが全然ない。寒さはいろんな感覚を鈍化させる。コタツに入ってストーブをガンガン燃やしても、部屋の中がひんやりとして、しなければならない仕事があっても 「さぁ、やるぞ!」って意欲は湧いてこない。
氷点下の日がなくなった。今までの分 Yさんとあっちこっちのリフォームに精を出した。
私はペンキおばさんになり、厨房の出窓のさんや棚、調理台などを白ペンキで塗りまくった。Yさんは水道の配管を5箇所修理をした。腐食の進んだ処は鉄管やエルボを取り替える工事もした。洗面台を2台新品に取り換え、洗濯機を入れなおしてちょっといい感じになった。Yさんは器用なところがあって、たいていの細工は自前でやってしまう。便利な人である。
「プロの仕上がりと遜色ないね。立派なできばえだ! あなたってマルチな人間だね!」
彼の仕事ぶりを心からねぎらう。妻から褒められることが滅多にないYさんは、喜色満面で急に饒舌になる。
私達みたいに職人さんがいない土地に住んでいると、いろんな事をせざるを得ない。男の人には器用な人が多いし、女性でも小さな物置小屋をそれなりに作る者だっている。必要に迫られると、人はたいていの事をやってのけるのかもしれない。
Yさんは電気製品や機械の修理、前述のような水周りの点検が得意だ。私はもっぱら口うるさい現場監督だが、相性はまぁまぁだ。褒めれば踏ん張って働いてくれるツレに感謝している。
春の旅客シーズンに間に合わせるべく、こうして私達もバタバタ生活を過ごしているのです。
読書から
冬季はまたまた読書を楽しんだ。いろいろな方法で読書を楽しめる時代になったが、本屋さんの棚から手にとって選ぶことにワクワク感があり、読書前の序曲のようで楽しい。意外な1冊を発見することもあり、そんな時はとってもトクした気分になる。
お気に入りのラヴゼイ、S・サンドラは数冊まとめてもとめた。
レイモンド・チャンドラーの<ロング・グッドバイ>、フォーサイスの<ジャッカルの日>は、再読を通り越してまたまた読んでしまった!
ディケンズ、ウォー、チェスタトンもすばらしかった。欧米の文学書は(やっぱり硬いな・・)との先入観で読み出すが、なかなかどうして<華麗なる死者>も<木曜の男>も、スリリングな展開で進み夢中で読んだ。これらの作品は映画にするとヒットするのだろうと、監督になった気分でセットをあれこれ想像して、往年の文学作品を勝手に台無しにしてしまう。
パール・バック<母の肖像>は、背景がくっきり頭に浮かんできて、(母ケアリ)のそのときどきの心情が胸に迫る。祖国アメリカに思いを寄せながら、中国伝道の宣教師の妻として動乱の時代を生きた(母ケアリ)の生涯。喜び、悲しみ、怒り、希望、落胆など、まっすぐ心に響きドキドキしながら「うん、うん」と納得する。勇気と感動をたっぷりいただき新鮮な気持ちになる。長編小説<大地>もそうだが、スケールの大きさはむろんのこと、パール・バックの人間としての深さにググッと引き込まれる。思慮深く、でも大胆で人間愛に溢れた作家であることを確信するばかりだ。
読書することによって、考える力が幾重にも肉厚になる。想像力溢れる人はいろんなことを発想豊かに考えられて魅力的だ。小さいうちから本に親しんでほしいといつも思っている。
私事を言えば昔から本が好きだが、いっこうに思考力がつかないまま今日に至っている・・・ 方程式通りにいかない例外も世の中には数え切れないと、ヒラヒラと薄くて浅い我が身に舌打ちしている。はぁ〜っ!
穏やかに暮らす
小さな島で、同じ顔ぶれで暮らす生活がもう40年も。あっという間の本当に短い40年だ。来る年も来る年も同じパターンで暮らし、「おぉっ!」ということもなく、単純明快な毎日を繰り返している。深刻に悩むこともなく、ここの流れに任せての日々なので、トラブルもなくとっても暮らしやすい。このことはありがたい環境と感謝しているが、考え方もワンパターンになってしまった。
(もっと違うやり方があるのでは?)
(この判断でいいのか?)
(これは他所では通用しないはず・・)
でもチンマリした型枠思考でも、それが島の暮らしに妙にマッチして、これまた『あら 不思議』なのだ。
些細な事でも話し合って決めるので、集会の頻度も多い。一致団結、気持ちを通じ合わすことが島式暮らし方である。
小さな共同体の中で潤滑に暮らす術を、先人達から脈々と受け継いでいる証なのだろう。
ちょっとひと言
@ 大相撲大阪場所は白鵬の優勝で幕を引いた。そして鶴竜の大関昇進が決定。またモンゴル勢に圧倒された場所であった。大相撲も国際的になったものと喜んでいいのか、「日本人力士達、奮起せよ!」と発破を掛けた方がいいのか・・悩ましい限りだ。
心・技・体といわれる相撲道。モンゴル人力士のみならず、他の外国人力士もその精神を理解して精進していることがよく解る。奢ることなく相撲に向き合う姿勢が伝わり、あっぱれである。
日本人だけだったなら、これほど力強い勝負になるだろうか? ってことは、白鵬を筆頭に外国人力士が、大相撲を牽引していることになる。毎度場所を盛り上げてくれとっても頼もしいが、やっぱり
「日本人、もっと踏ん張れ!」
と、言わずにはいられない。
A 「勇気を与える」 「感動を与える」 「癒しを与える」などと言う人がいる。
でもそれらは受けとる側が感じることだ。与えたり与えられたりすることなのだろうか?何かを与えるなんて気負わなくても、想いが伝わる時は自然にスッと伝わるものだ。
<与える>が、なんだかいつも気になる。
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