作:小石川 顕 「ヒホーっ!オイラの魔法がー!」 男の攻撃による被害を少しでも防ごうと、ジャックフロストの放った補助魔法 「ラクカジャ」は、瞬く間に男の「挑発」によって、相殺以上にその効果を打 ち消されてしまった。 精神耐性を持つキクリヒメと新乃が回復を行い、残り のメンバーが男に攻撃をするパターンで戦い続けてきたが、そろそろ体力も気 力も、底をつきかけていた。 「も…もぅダメホ〜……」 「しっかり!疲労しているのは、こっちばかりじゃない。向こうだって、痛 手を受けているから!」 すっかり意気消沈しているジャックフロストを励ましながら、新乃は出来るだ け冷静に男の様子を観察していた。 『考えるんだ、新乃。…そうだ、無傷な訳ない。彼は、今まで一度も回復 魔法を唱えていないじゃないか。それに、今まで打ち消された補助魔法は、ラ クカジャとこちらのンダ系魔法……』 深手を負ったゾウチョウテンの傷を、魔石で応急処置をすると、新乃はこれ までの男との戦いを、頭の中で反芻する。 やがて、それがひとつの結論に達した時、新乃は仲魔を呼び寄せた。 「…そろそろケリをつけるよ。ゾウチョウテンとヒーホー君は、 タルカジャとスクカジャをかけて」 「何をするつもりだ?」 「いいから、言う通りにして。これからあいつを壁際に行かせるよう仕向け るから、俺が合図を出したら……」 主の提案に、仲魔たちは戸惑いながらも頷くと、それぞれの魔法をかけ合った。 キクリヒメの最後の気力を振り絞った「メディラマ」が、全員の傷を治した後、 新乃は虎の子「グレイトチャクラ」で、全員のMPを回復させる。 「まだ、そんなの隠し持ってやがったのか」 「切り札は、最後まで取っておくものですから」 半ば呆れつつ投げかけられた言葉に、ぎこちない笑顔で応えると、新乃は単身 男の前へと飛び出した。 それまでの、どちらかというと消極的だった少年悪魔の変貌に、男は 口元を物騒な形に綻ばせると、愛剣を繰り出した。 「──っ!」 スクカジャの効果か、間「三」髪ほどで剣撃をかわした新乃は、男の左側に 回ると、彼の脇腹に肘を打ち込もうとする。 「センスは悪くないが…甘いぜ、少年」 だが、それよりも早く男がその身を捻り、新乃の攻撃を避けた。 それを見届けた新乃は、僅かに飛び退ると、大剣を中段に構える男と、彼の後ろ に見える崩れかけた壁を確認する。 刹那、新乃は二、三度深呼吸すると、全身の力を抜いた。すべての構えを解きな がら、ゆっくりと男に向かって進み始める。 「…?」 新乃の突然の行動に、男は訝しげな顔をした。 「……何の真似だ、少年。ギブアップか?」 男の言葉に新乃は答えず、ただ真っ直ぐに彼の瞳を見据えながら、歩き続けて いた。 表情の読めない少年悪魔の意図が理解出来ないまま、次第にいらつきを覚えた 男は、返り討ちだとばかりに大剣を振り上げる。 だが、新乃の脳天を頭蓋ごと叩き割ろうとした寸前、鋭い裂帛を上げ ながら、新乃の両手がその刃を、信じられない力で挟み込んでいた。 まったく予測すら出来なかった展開に、男は僅かに狼狽した。 「お前…何処にそんなクソ力……」 「貴方のお陰ですよ。挑発し続けた事が、裏目に出たようですね」 『真剣白刃取り』の要領で、大剣を受け止めた新乃は、その力を緩める 事無く、男に精一杯の笑顔を向ける。 刃越しの微笑みを見て、男は、不意に記憶の奥底に眠る人物を 思い起こした。 自分と同じ顔を持つ、己の美学そのままに太刀を振るい、戦う男。 直情的な自分とはまるで正反対の、水のように静かで澄み切った瞳を持 つ…… 男が忘我していたのは、ほんの数秒だったが、新乃はその僅かな隙を逃 さなかった。 補助魔法の恩恵そのままに、強引に腕ごと刃を押し下げると、その柄を蹴り 上げ、男の手から大剣を奪い取る。 「──今だ!」 新乃の合図で、後ろで控えていたゾウチョウテンとジャックフロストが、 男目掛けて突進してきた。 新乃との力比べに負けて体勢を崩した状態では、流石の彼でも悪魔2体分の 重みを、受け止める事は出来なかったらしい。 「どわっ!」 突進された男は、些か間抜けな声を上げながら壁に叩き付けられる。 背中に受けた衝撃に、一瞬呼吸が止まりそうになったが、すぐさま 腰の拳銃で応戦しようと顔を上げた。 しかし、 「Without Moving(動かないで)!」 その先には、己の愛剣を横に構えた少年悪魔が、牽制の視線で自分を見 下ろしていた。 『俺もヤキが回ったか』 心中でぼやくと、男は自分の首筋を横一文字に狙う大剣を、苦笑まじり に一瞥した。 本来の少年の力では、とても満足に持ち上げられない筈の武器は、さし たる苦もなく彼の手中にある。 「拳銃を地面に置いて、両手をゆっくり頭の後ろに組んで下さい」 「……なんだそりゃ?悪魔が、ソープオペラの真似事か?」 「いいから、早く!」 新乃の怒声に、男は肩を竦めると、腰に差したモノトーンの二丁拳銃を、 地面に置いた。 それを見届けた新乃は、視線を仲魔に投げかける。すると、ジャックフロス トが小走りに近寄りながら、男の拳銃を持ち去っていった。 「これですっかり丸腰だ。さて少年、お前は俺に何をさせたいんだ?」 科白とは裏腹に、それでも男は余裕の態度で新乃を見た。 「訊きたい事があります。これから俺の出す質問に答え て下さい。Mr. Redgrave」 「……何故、俺をそう呼ぶ?」 「預かった銃に、そう書いてありました。品名ではなさそうだし…多分、 貴方の名前じゃないかと」 少年の観察力の良さに、男は数度瞬きをする。 「中々だな。だが、それは俺の今の名前じゃない」 「…Old Name?」 「そんなとこだ」 ニヤついた笑みを貼り付かせながら、男は新乃の表情を眺めた。 「それで、何を訊きたい?」 「貴方は、ある依頼で俺を狙ったと言いました。その依頼人とは、誰 です?」 「──いきなり、直球できたか」 こみ上げてくる笑いを堪えられずに、男は新乃から顔を背けると、息を 漏らした。 「あのなあ。いくら何でも普通、依頼人の名前をホイホイ喋る と思うか?」 「今の俺には、貴方に関する判断材料が、少なすぎるんです」 「別にいいだろう、そんな事。…イヤだと言ったら?」 「その時は……その時は、自分に課せられた最悪な権利を、実行に移す 覚悟です」 随分おかしな事ばかり口にする悪魔だ、と、新乃に視線を戻した男は、 『…?』 彼の瞳に映る、悪魔とはまるでかけ離れた感情の揺らめきに気付いた。 唇を噛み締めながら、新乃は手の中の剣を握り直した。 このままあと何歩か進むだけで、確実に男の首を切断する事 が出来る。 これまで、彼が自分達にしてきた事を差し引いても、それはこの世界 では罪には問われないだろう。だけど。 『この「人」は、何かが違う……』 今まで対峙してきた悪魔たちとは、明らかに異質なものを感じた新乃は、 男の命を奪う事に、激しい抵抗感を覚えていた。 「殺してしまえ」と欲望をちらつかせる自分と、「殺すな」と理性 を振りかざす自分とが、新乃の脳裏でさかんにせめぎ合っている。 「……少年?」 男の呼びかけに、新乃が我に返った時。 突然手の中の大剣が、急激にその重みを増してきた。 「うわっ!?な、なんで…!」 いきなり倍以上の重量を感じた新乃は、そこで漸く補助魔法の効果が 切れた事に気付いた。 慌ててふんばろうと、手足に力を込めたが、当然先程のように支えら れる筈もなく。 「あ、あ、あ!」 「お、おいおい!」 大剣に引き摺られながら、こちらにつんのめってくる新乃を見て、男は 思わず声を上げる。 「…逃げてーっ!」 新乃が叫んだのと、男が舌打ちしながら腕を伸ばしたのは、ほぼ同時だった。 金属音を響かせながら、大剣が地面に叩き付けられる。 自分が手放してしまった大剣が、男の身体を切り裂いたかも知れないという 恐怖に、新乃は固く目を閉じる。 だが、 「いつまで、そうしてるつもりだ」 低い声に促され、新乃は恐る恐る目を開けた。 途端、視界に広がった赤の色に一瞬身が竦んだが、やがてそれが血ではなく、 男の服である事に気付いた。 膝立ちの状態で、新乃は顔を動かすと、すっかり呆れ返った様子の、男の瞳 とぶつかった。 「……」 この時初めて、新乃は彼の瞳の色を認識した。 強さに満ち溢れた光を放つ蒼い瞳に、思わず吸い込まれそうになったが、 視線を遊ばせている内に、新乃は男の頬に、小さな切り傷がひと筋入っている のを見つけた。 「──大丈夫ですか!?」 新乃は素っ頓狂な声を上げると、男の頬についた傷を凝視する。 「こんなの怪我の内に入らん。さっさとどけ──」 「動かないで!」 先刻と同じ言葉だったが、違ったのは、彼を止めたのは自分の愛剣では なく、少年の指だった。 傷に触れてくる手の感触と温かさに、男は顔を僅かに動かして新乃を 見る。 「……本当に申し訳ございません。俺の不注意です」 ポケットからハンカチを取り出した新乃は、消毒液代わりにイワクラの水 をそれに浸すと、男の傷口を丁寧に拭った。 戦闘中には金色に輝いていた瞳も、今では穏やかな灰色を帯びて、一心に 男を見つめている。 「お前、バカか?さっきまで、ドンパチやってた相手を助けるなんざ、 正気の沙汰とは思えねえぞ」 「…そうかも知れませんね。目先の事しか見えないんです。もし今、目 の前で子犬や猫が溺れていたら、きっと助けに行っちゃうと思います」 胡散臭そうに眺めてやると、少年悪魔は、困ったように小さく微笑む。 「それとも貴方は、理由をつけなければ誰かを助ける事が 出来ないのですか?」 逆にそう尋ねられ、男は柄にもなく返答に窮した。 穏やかな少年の瞳の奥に、悪魔にはない毅然とした意志の光を読み取 ると、男は喉の奥で低く笑った。 「なるほどな……見た目は悪魔だが、完全に悪魔って訳でもない らしい」 男は床にあった大剣を取ると、もう片方の手で新乃を引き寄せた。 「あぅっ!」 突然の事に、逃げようと身を捻るも、新乃の腰に回された男の腕が、そ れを許さない。 「離…!」 「──Don't move(動くな)」 抵抗を繰り返す新乃の喉元に、男は背後から大剣を突きつけた。 「新乃様!」 「主!」 息を呑む新乃の様子に、遠くで控えていた仲魔たちが慄いた。 「そこの雪ダルマ。ご主人様の命が惜しかったら、俺の銃を返しな」 「ヒホ〜…」 二丁の拳銃を抱えたまま、ジャックフロストはためらいの表情を浮かべた。 煮え切らない悪魔の態度に、男は、新乃の首にあてていた刃を ほんの少しだけ動かした。 小さく悲鳴が上がり、新乃の首筋からひと筋の血が流れ落ちる。 「か、返す!返すホ〜!」 白いその身を仄かに青くさせながら、ジャックフロストは、男の拳銃を地面 に滑らせた。 戻ってきた拳銃を一瞥した男は、銃身に貼り付けられた「Peace」マークを 見つけ、「俺の銃に変なデコレーションしやがって」と、短くぼやいた。 「俺の名はダンテ。ちょっとした商売をしている。……デビルハンター ってやつをな」 ダンテと名乗った男は、新乃から大剣を離す。 「依頼でお前のような奴らを狩りに来たんだが……事情が変わった。 今の勝負はなしだ。お前よりまずは、爺の魂胆を調べるのが先だ からな」 緊張から解放された新乃は、瞬時に頭の中で情報を整理する。やがて、 導き出された結論ともいうべき仮定に、思わず声を上げた。 「ひょっとして、貴方の依頼人は……!」 「……さあな。おそらく、お前さんが考えている事は、遠からずって トコだろう。俺も、この依頼には胡散臭さを感じている」 愛銃に付けられたデコレーションを外しながら、ダンテは新乃の言 葉に肯定とも取れる返答をした。 「少年。お前とは事と次第によっちゃ、もう一度会うこと になるだろう。……それまで、せいぜい生きてろよ。お前を殺すの は俺かもしれないだろ?」 「……」 「──ま、何だったらここで今、別の意味で『殺して』やっても いいぜ。お前さんの身体に、俺の『キャンディバー』が、反応しち まってるらしい」 「え?」 今まで、背後からダンテに抱き込まれる形で坐り込んで いた新乃は、自分の腰の辺りに妙に熱を持ったモノの正体に気付い た瞬間、無防備な悲鳴を上げた。 ダンテから這うようにして逃げ延びると、背後から豪快な笑い声が 聴こえてくる。 「Good Luck, Baby」 「……ごきげんよう!もう、お会いする事はないでしょうが、お元 気で!」 「心配してくれるのか?俺もまんざらじゃないな」 「違います!」 「照れなくてもいいぜ」 後ろ手を振りながら、悠然とした足取りで階段を下りていくダン テに、新乃は訳も判らず顔を紅潮させると、もう一度声を張り上げる。 「もう最低!最悪!二度と貴方になんか、会いたくありません!会う もんかーっっ!」 新乃の叫びと、それに少し遅れたダンテの笑い声が、あたり一面に 響き渡っていた。 |