『継承』


註:今回は、主人公の名前が出てこないので、変換なしです。

喪服姿のスミレが、法事先の仏壇に線香を上げている頃。


「にゃーっ!」

テニス部室では、独特の悲鳴に続いて、ドサドサと何かが落下する 音が、派手に鳴り響いていた。
「何やってるのさ、まったく」
「大丈夫か、英二!?」
「い、痛いにゃ〜」

不二と大石の言葉に、菊丸は、片手で頭を押さえながら立ち上がった。
床に散乱した紙の束やファイルを一瞥すると、それらが置かれていた 棚に、忌々しげな視線を送る。
「あーあ、すっかり散らかしちゃって。早く片付けないと、手塚が来た時 うるさいよ」
「言われなくても、判ってるにゃ」
「…で、どうだ英二。あったか?」
「え〜っと…あっ、きっとこれだにゃ!OBの先輩が残してったっていう、ダ ブルスの記録!」
書類の山から一冊のファイルを見つけると、菊丸は、今度は嬉しそうな声を上げた。


先日の地区大会でのダブルスの試合について、部長の手塚から、更なる発展 と技術の向上を求められた黄金ペアのふたりは、試行錯誤の日々を続けていた。
そんな折、顧問のスミレから、
「昔の青学テニス部にも、ダブルスが得意なふたりがいた。捨てられていなければ、 部室の棚に当時の記録が残っている筈だ」と言われ、ここ数 年の間ずっと『開かずの扉』であった棚の、探索をしていたのである。

「こんな所で、思わぬ産物が出てくるとは…早速データに加えさせて貰うよ」
「どんな事が書いてあるのか、楽しみだにゃ〜♪」
「ちょっと。乾も英二も後にしてよ。先に、ここ片付けるの手伝って くれない?」
大石と床にぶちまけられたものを拾いながら、不二がややムッとした表情でふ たりに呼びかける。
「う〜…でも、もし役に立つ事が載ってたら、今日の練習で試した いし……」
「そんな事言って。僕たちに押し付ける気なんでしょ?」
「まあまあ。確かに英二の言う事にも一理ある。それに、もう殆ど拾い終わったし、 棚に戻すのは、俺がやるよ」
「──もう!大石は、英二を甘やかしすぎ!」
「ふ、不二。俺も手伝おうか?」
「………タカさんはいいの」
河村の申し出を、苦笑しながら辞退すると、不二は棚への収納を大石に任せて、 他に拾い残しはないか、辺りを見る。

「……ん?」

その時。
不二は、机の下に封筒が落ちているのを発見した。
手を伸ばしてそれを取ると、中身を確認する。
「これは…」
「不二、どうしたの?」
「……写真だ。5年くらい前のヤツみたい」
極力指紋をつけないように、不二は封筒から写真の一枚を抜き出すと、写真に 刻まれた日付を読み取った。
「──え?写真!?オレにも見せて!」
「英二!きみはファイルが見たいんじゃなかったの!?」
「どっちも見たいにゃ!」
手足をばたつかせながら求める姿に、不二は小さく息を吐きながら、写真の入 った封筒を手に、菊丸たちの傍へ移動した。
机の上に中身を空けると、皆で写真の鑑賞を始めた。

「写真にうつってるレギュラージャージ、今のと違うんだな」
「新世紀をきっかけに、現在のものにモデルチェンジしたという話を、 聞いた事がある」
「……これ、ひょっとしたら大和部長?体操着姿って事は、1年生の 頃かな?」
「そうだにゃ!ヒゲがなくてちびすけだけど、大和部長だにゃ!」

記憶に新しいかつてのテニス部長の若かりし(?)姿に、3年レギュラー一同は、示し 合わせたように笑みを漏らした。
「ねえ。この大和部長の隣に写ってる人…誰だろう?」
何気なく写真を見ていた河村は、ふと、とある人物に目が留まった。
「レギュラージャージ着てるって事は、当時の2年か3年の先輩だろうね」
大和の隣で、肩を組みながら微笑んでいる少年に、他の3年生たちも、 思わず目を奪われた。
「他の写真の中に、同じ人物の学校ジャージ姿があったぞ。学年色から見て、その 人は大和部長が1年生の時の、3年生のようだな」
「当時の日付から計算すると…今は、大学生の人か」
「優しそうな笑顔……不二とは大違いだにゃ」
「何か言った?英二。乾、この人の名前は判る?」
『いらんこと言い』の、菊丸の頬を引っ張りながら、不二が乾に尋ねる。
「…ちょっと待ってくれ。ええと、これは……」


「活動時間は始まっているぞ。いつまで油を売っている」

その時。
部室の扉が開くと同時に、厳格な部長の声が、メンバーの背後にぶち当たった。
「そ、そういう手塚も、遅刻だにゃ」
「俺は、生徒会の業務があったからだ。下級生がウォーミングに入って いるというのに、レギュラーが雁首揃えて何をしている」
「ええっと…実は、さっき英二が過去のテニス部の資料を探している時に、 他の書類やファイルをひっくり返しちゃって……皆で片付けてい た所なんだよ」
何か言いたげな菊丸の口を塞ぎながら、不二は、いつものスマイルでもっとも らしい言い訳をする。
「……で?」
「あ…だから、コレが最後の……」
「そうか。ならば、それは俺が片付けるとしよう。お前たちは、早く練習に戻れ」
「え〜!」
「……グラウンド20周してくるか?」

不満そうな声を出す菊丸たちを常套文句で黙らせると、手塚は、3年生たちを部室から 追い出した。
憮然と息を吐きながら着替えを済ませると、手早く机に撒かれたままの写真を 取り上げる。
淡々と封筒の中に写真を収めていた手塚は、最後の一枚に手を伸 ばした所で、ふとその動きを止めた。
「これは……」
目に飛び込んできた、とある人物の幼き姿に、手塚は無意識に口元が綻ぶのを 覚えた。
初々しい、といった様子でラケットを握り締めている大和と、そんな彼の隣で 優しそうに笑っている、レギュラージャージの先輩……
「……大和部長にも、このような時代があったのだな」
自分の事は棚に上げて、手塚は思わずそんなふうに呟いた。
暫し、その写真に見入っていた手塚だったが、はた、と我に返ると、慌てて封 筒の中に押し込む。

『ちょっと、ちょっと。俺の青春のメモリアルを、そんなぞんざいに扱わないでくれ るかな?』

刹那。
手塚の背後で、聞き覚えのない少年の声がした。

「……?」

他のメンバーを部室から追い出した今、ここにいるのは自分だけの筈である。
「幻聴か…?」
軽く首を捻ると、手塚は思い直したように、写真を収めた封筒を仕舞おうと、 棚に手を掛ける。
だが、顧問のスミレからも『開かず状態』と評されていた通り、立て付けの 悪い棚の扉は、中々開いてくれなかった。
「いくら年代ものとはいえ…手入れが悪すぎる。その内に何とかしなければな」

『あー、それね。何でも、ずっと昔の卒業生が、技術の時間に作ったものを 置いてったらしいんだよ。所詮素人工作なんだから、あんまり多くを 求めちゃダメだって』

「───!?」

先程よりもハッキリとした声が、今度は手塚の耳に届いた。
弾かれたように振り返ると、

『チャ〜オ♪』

手塚の目の前に、実体とは明らかに異なる姿をした少年が、おぼろげながらも、 ニッコリと片手をあげて笑っていた。



……沈黙する事約10数秒。

「…このような昼日中に、幽霊を見るなど…俺は、疲れているのか……」
ボソリと零すと、手塚は何事もなかったかのように、再び踵を返して、写真の整 理に取り掛かった。
『ちょっと待った〜っ!気持ちは判るけど、何もそこまであからさまな「ナイスシカ ト」を、決め込まなくてもいいだろう!』
「これが幻覚でなければ、何と説明すれば良いのだ!?大体、お前は何者な んだ!?」
少年の呼びかけに、手塚は半ばやけくそ気味に応じた。
日常からはとても想像のつかない出来事に、頭の中を、様々な思考が渦巻くのを 覚える。
『まあまあ。別に俺は、怪しい者じゃないよ』
「黙れ。その姿の何処が、怪しくないと言うんだ」
凄まじく説得力に欠ける少年の言葉に、手塚は眉間に物騒な皺を刻んだ。
『…あ、それもそうか。…ま、とにかく自己紹介するな。俺の名前は……』
言いながら、何気ない動作で幽体の少年が、手塚の肩に触れようとした瞬間。


「!?」
『──うわっ!?』
すり抜ける、と思っていた少年の手が、手塚の肩に食い込んでいった。
予期せぬ事態に、手塚も、そして幽体の少年も驚愕する。
『な、何だ何だ!?ちょ、ちょっと待て!このままじゃ…!』
「──っ!?」
慌てふためく少年が、手塚から離れようとするも、少年の身体は、 ますます手から腕、その先まで侵食していく。
信じられない光景に、手塚は、まるで金縛りにあったかのように、その場に 凍り付いてしまっていた。
その内に、意識の奥底から、自我とはまるで異なる別の誰かの声が聞こえて くる。


『ダメだ、離れられない!』
『──冗談だろう!?』
『…早く……早く俺から離れるんだ!』
『大丈夫か!?…頼むからしっかりしてくれ!』



──最後に聞こえてきた声は、少年と自分、果たしてどちらのものなのだろうか。


一瞬、そんな他愛もない考えが頭をよぎったが、少年の身体が完全に侵食を果たし た頃には、手塚の意識は、深い闇へと閉ざされていく。


完全に意識を手放す瞬間。
何故か手塚の脳裏には、先ほど見かけた写真の人物の、眩しい笑顔が浮かん でいた。




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