『継承』


着替えもそこそこに、リョーマに連れられたは、やがて彼の実家近くの寺へとたどり着いた。
リョーマの行動を放っておく訳にもいかず、他のレギュラーメンバーたちも、 少し遅れて足を踏み入れた。

「キミんちってお寺さんなんだ?」
「いいから、こっちに来てよ」
物珍しそうに辺りを窺うの手を引くと、リョーマは縁側で誰かと会話をしている父親の元へ向かった。
「親父」
「お?どうした、青少年。今日は早ぇな」
「コイツ、どうにかしてくんない?」
「オラ、ドチビ。仮にも目上の人間に向かって、『コイツ』はねーだろうが」
「……だから、『ドチビ』は余計っス」

「手塚」の身体を南次郎の前に押し出しながら、リョーマはの抗議にムッと口をへの字に曲げた。

「おう、部長くんじゃねえか。…ん?待てよ……」
「手塚」の姿を暫く眺めていた南次郎だったが、やがて異変に気づいたのか、先程よ りもほんの少しだけ表情を引き締めると、注意深く目の前の少年を凝視した。
「……なんで、部長くんの中に、余計なモンが入ってんだ?」
「はた迷惑なゴーストが、部長の身体を乗っ取ったんだよ」
「好きで乗っ取ってる訳じゃねえよ!」
「おいおい。こりゃまた随分と、威勢のいいヤツだなあ。…で?生前のおめぇさんの 名前は判るか?」
「………」

南次郎の質問に、はやや困惑しながら答える。
「ん?何かつい最近聞いた名前だなあ。……と。何でぇ。おめぇさん、今日命日だったんじゃねぇか」
『セレモニー手帳』をペラペラと捲ると、南次郎は軽く目を剥きながらに笑いかけた。
「そうなの?親父」
「おう、実は今日はそいつの家まで、経をあげに行った所だ。ついでに、そこで ババアにも出くわしちまったけどな」
「アタシが、どうかしたかい?」
すると、南次郎の声に気付いてか、縁側の反対側から喪服姿のスミレがやって来た。
「バアさん」
「竜崎先生!」
思わぬ人物の登場に、リョーマをはじめとするテニス部のメンバーが、声を上げる。
だが、

「……スミレちゃん!」

「手塚」の口から放たれた言葉に、スミレは弾かれたように彼の方に向き直った。
「……手塚?」
「スミレちゃん…判んないだろうけど、俺だよ。元気そうで良かった…」
「は?…あのねえ、手塚。アタシに『オレオレ詐欺』を働こうったって、そ うはいかないよ」
「そうじゃなくて…俺は……」
要領を得ない「手塚」の発言を聞いて、スミレは訝しげに眉根を寄せていたが、

「──ま、信じられねぇのも無理はねぇよな。ババア、今そこにいるヤツが、さっき アンタが俺に話してた坊主だよ。何かあって、部長くんの身体ン中に入っちまってるようだけどな」

南次郎の言葉に、スミレは改めて目の前の「手塚」を凝視した。
いつもより和らいだ瞳と雰囲気が、数年前に鬼籍に入ってしまった、テニス部部長の ヴィジョンを呼び覚ます。
「…なのかい……?」
「…スミレちゃん。今年も、俺の家に行ってくれたんだね。有難う……」
スミレの問いかけに答えるように、は小さく頷いた。
あまりの事に、スミレは両目を見開いて、「手塚」の姿をしたかつての教え子を見つめていたが、
「この、バカタレが!」
突然、顔を顰めたかと思うと、中学生の孫がいる女性とは思えないほど素早い動作で、彼の頭 を拳骨でポカリと叩いた。
「あ痛っ!」
「せ、先生!?」
思わぬ顧問の行動に、成り行きを見守っていたテニス部員たちが、慌てたように声を出す。
「アタシの跡を継いでやる、って豪語してたのは、何処のどいつだい!」
「スミレちゃん……」
「普通なら、アタシよりもずっとずっと後に、お迎えが来る筈だったろう!何だって、あそ こまで生き急ぐような真似したんだい……このバカ……!」
何度も悪態づきながら、やがてスミレの皺だらけの手が、「手塚」の身体を優しく抱 き寄せてくる。
「ごめんよ…スミレちゃん……」
スミレの声が僅かに震えている事に気付くと、は表情を曇らせながら、スミレの身体を抱き返した。



「──ま、落ち着いた所でだ。とっくに成仏してた筈のお前さんが、どうして4年も経った今 になって、こっちの世界に舞い戻ってきたんだ?」

感動の師弟再会を果たした後で、お堂に案内された一行は、適当に寛ぎながら、南次郎との会話に耳を傾けていた。
「…それが、俺にもよく判らないんだ。気が付いたら…テニス部の部室にいたから」
「今日以外に、これまでウチの部室に訪れた事はあるか?」
眼鏡を光らせながら、乾が質問をしてくる。
「──にゃっ?ひょっとして、オレたちが知らなかっただけで、過去にも部室に来てたの!?」
「…ううん。部室に来たのは、今回がはじめてだよ」
怯え始めた菊丸を安心させるように、は、首を横に振った。
「いつもは…お彼岸や命日には、確かにウチには戻ってたんだ。法事の時には、 ママが必ず俺の好物作って迎えてくれるから、それを失敬しに」
「ああ、お前のかーちゃんのメシは美味かったなあ……とーちゃんの酒も上物ばかりだったし」
「……ちょっと待て。あんた、パパの秘蔵の酒飲んだのか!?あれは、俺が成人になったら、パパと飲 む約束してたものなんだぞ!」
「いーじゃねーか。どうせお前、もう飲めねーんだから」
「良くねぇよ!俺が二十歳の誕生日迎えた暁には、墓に供えてもらう予定だったのに!」
「御影石にぶっ掛けんのと、人間様の口に入るのと、どっちが酒にとって幸せか、考えなくても判んだろ」
「こんのクソ坊主〜…!ヒトん家の酒だと思って、遠慮なく飲みやがって!」

『……頼むから、もう少し建設的な会話をしてくれないか』

脳裏に響いた厳格な少年の声に、は慌てて咳払いをする。
「…部長くんもそう言ってるし、話を戻すか……」
一緒になって騒いでいた事はしっかり横に置くと、南次郎は話を続けた。
「つまり、お前さんの言う事には、今まで法事なんかで家族の所へ戻る以外に、 別の場所へ訪れた事はないってんだな?」
「うん。だって今日も、はじめは家でパパやママや、弟の傍にい たから」
南次郎の問いかけに頷きながら、は己の中に残った記憶を、懸命に反芻させる。
「……だけど…急に誰かに呼ばれたような気がしたんだ」
「『呼ばれた』?誰に?」
「判らない。…でも、凄く切ないような苦しそうな声で、俺の名前を呼んでいた」
「ほう」
「あれは、パパやママたちの声じゃない。もっと違う誰かのものだった。それを確か めようと思ってたんだけど……」
の返事を聞いて、南次郎は軽く腕を組み替えた。
「つまり、結論から言うと、お前さんはどっかの誰かに呼ばれて、青学のテニス部 に現れたってこったな」
「──そんなの、誰だって判るじゃん」
横で、自分の息子が呆れ顔で呟いているのを無視しながら、南次郎は言葉を続ける。
「話を聞いた限りじゃ、お前さんを呼んだヤツは、少なくとも青学テニス部に関係 していた人間…という事になる。そいつさえ判れば、お前さんも『あっち』に帰れ るって訳だ」
「じゃあ、彼を呼んだ人さえ判れば、手塚も元通りになるんですね?」
「……だけどな」
「?」

南次郎は、タバコに火を点けると、ため息と一緒に煙をひとつ吐き出した。
「偶然、お前さんの命日と重なったのもあんだろうけど…お前さん本人の意思と は無関係に、他人の想いが呼んだとなると、少々厄介かも知れんぞ」
「どういう事だにゃ?」
「仮に、このを呼んだヤツを見つける事が出来ても、簡単に解決するとは 限らないって事だよ」
「何ですって…?」
「それと、もうひとつ」
些か緊張した面持ちのメンバーに向かって、南次郎は大げさに肩を竦める。
「コイツが、自分を呼んだヤツを見つけるまでに、部長くんが無事でいられ るかどうかだ」
「え…?」
。おめぇは今、部長くんの身体に憑依している。ひとつの身体に ふたつの意識なんて不安定な状態が、長く続くとどうなると思う?」
「──ぁ…!」
「…手塚の意識が…彼に食われてしまう、という事ですね……」
「そういうこった」
表情を強張らせるの代わりに、乾が南次郎に答えた。
淡々とした口調とは裏腹な内容に、一同は思わずその場に凍りつく。


「───おっさん」
沈黙を破るように、それまで俯いていたは、顔を上げると南次郎を見た。
他人の意識とはいえ、手塚の口から飛び出た言葉に、レギュラーたち は、暫し呆気に取られる。
「『おっさん』じゃねえ。俺はまだ若いぞ。…で、なんだ?」
「俺を送り返してくれ。これ以上、手塚くんに負担を掛けるような事は、 したくない」
…」
「スミレちゃん。何だかんだ言っても、俺はもう、ここにはいちゃいけない 人間なんだ。死んじまった俺が、生きている手塚くんたち に、迷惑を掛ける訳にはいかないよ」
「ううん。現時点で充分迷惑かけてくれてるから。それに、厳密に言うと、きみ もう『人間』じゃないし」
「……人が真面目に話してる時に、余計な茶々を入れるなよな」

容赦ない不二のツッコミに青筋を立てながらも、は、南次郎に懇願した。
南次郎は、手塚の瞳の奥に隠れたの強い決意の光を見て、面白そうに口元を綻ばせる。

『…俺を抜きで、話を進めないで貰おうか』

不意に、意識の底から手塚の声がに届いた。
「…手塚くん?」
『不本意と言えば不本意だが…今の俺とお前は、ふたりでひとつのような ものだ。お前の一存だけで、事を運ぶような真似は止めて貰いたい』
「だけど…」
『それに、俺は知りたいんだ。この青学テニス部で部長をやっていたお前 の事を。そして、眠りについていたお前を、再びここへいざなう程、欲し ていた人物の事も』
「手塚くん……」

大和の隣で優しく微笑んでいた、写真のを、手塚は思い出す。
かつて、自分も大和から受け継いだように、このも、「青学魂」を自分の尊敬する男に伝えていたのだろうか。
そして、このという男が、一体どのようなテニスをしていたのか。
手塚の中では、純粋に、そのような興味が沸いていたのである。

「決まりだな」
未だ困惑しているを他所に、南次郎はポン、と手を打つ。
「部長くんの許可もあった事だし、ま、当面は大丈夫だろうよ。その方が、お前 さんを呼んだヤツを早く見つけられるかもしんねーぜ」
「な…?そんな無責任な!」
「そうだにゃ!自分から言っておきながら!」
こんな時にでも息がぴったりの「黄金ペア」の抗議を制すと、南次郎は再び 口を開く。
「ただし、だ。さっき俺が言った危険性は、常に付きまとってる ってのだけは、忘れんなよ。本当にヤバいと思った時は、たとえお前が相手 を見つけられなかったとしても、俺が送り返す。……いいな?」

「───判った。その時は、よろしく頼むぜ」
『俺も、それで異存はありません』

返ってきた二種類の返事を聞いて、南次郎は満足そうに頷いた。


ひとまず、周囲が落ち着いたのを確認すると、スミレはパンパン、と手を叩いた。

「さて…あんたたちも、色々思う事があるだろうけど、今は、都大会に向けて練習 に励みな。あと、手塚とについては、他言は無用だよ」
「…はい!」
「それと…!あんたも、いらんボロ出して手塚に迷惑掛けるような真似は、なるべ くするんじゃないよ」
「オッケー!心配すんなって、スミレちゃん!」
「どうだかね。あんたのそれは、大抵当てにならないから……」
それでも、まるでかつての教え子が戻ってきたような気持ちに、スミレは 手塚に悪いとは思いつつも、小さくほくそ笑む。
「……そうだにゃ!今日見つけたファイル!これ読んで、ダブルスのパワーア ップするにゃ!」
思い出したように声を上げた菊丸は、自分のカバンの中から、部室で発掘した 一冊のファイルを取り出した。
「わざわざ、持って来たの?」
「だって、さっきは手塚の事もあって、殆ど読めなかったし」
鼻歌交じりに、菊丸はファイルを広げていたが。

「……あれ?」
数ページ捲った所で、菊丸の手が止まった。
「どうした、英二?」
「ページが抜けちゃってる……」
そのファイルには、1990年代前半からの、青学テニス部のダブルスの記録が整 理されていた。
ところが、90年代後半のある年を境に、ごっそりと抜け落ちていたのだった。
「抜けてるだって?」
菊丸の言葉に、は彼の傍まで近寄ると、ファイルを覗き込んできた。
「ダブルスの記録なら、大会はおろか練習試合まで、すべてそれに入れておい た筈だぞ?」
「でも…ないんです。後半部分が殆ど」
大石の返事に、は菊丸ファイルを受け取ると、中身を確認する。
「…っかしいなあ〜…ひょっとして、資料欲しさに誰かが持って ったのか?」
「そんにゃあ〜…痛い思いしてまで手に入れたのにぃ〜……」
落胆する菊丸を慰めるように、大石は軽く彼の肩を叩いた。
だが、

「諦めるのは、まだ早いぞ」
ファイルを閉じると、がふたりに笑顔を向けてきた。
はたから見ると、世にも珍しい手塚の笑顔なのだが、やはり、何処か違って見 えるのは気のせいだろうか。
「消えていた記録は、ちょうど俺が青学にいた時期のものだ。ハッキリとまで はいかないけど、俺が憶えている」
「ホントに!?」
「それに、俺はダブルスの方が得意だったんだ。よかったら、力を貸すよ」
「そんなゴーストのいう事、あてになんの?」
横から口を挟んできたリョーマに、は、手を腰に当てながら振り返った。
「バカにしちゃいけない。こう見えても俺、テニスの先生を目指してたんだ」
「選手じゃなくて?」
「そう。自分がプレイするのも楽しいけど、俺は、自分の教えたヤツが、 強くなっていくのを見るのが、何よりも嬉しいんだ」
「なーるほど。お前さんは、勝負よりも『テニスを愛しまくってる』ってタイプだな」
「ふぅん」
変わってるんだね、とリョーマは部長の姿をしたの瞳を見つめ返した。
「アタシも保障するよ。他には問題ありまくりだったけど、の指導者としての腕前は、折り紙付きだ」
「余計な事まで言わないでよ、スミレちゃん」
「じゃあ、明日から早速お願いできますか?えっと…先輩」
「勿論!におまかせ!」


は胸を叩くと、快諾の返事をした。



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