『継承』


「やっべー…なんか、乗り過ごしたカンジ…ココ、何処だよ?」
東京にある兄弟校への遠征の為に、神奈川県から電車・バスと乗り継い できた少年は、目的地とは大きく異なる風景に、呆然と目を瞬かせた。
今日の遠征は現地集合だったので、同じ学校の他のメンバーとは別行 動をしていた少年は、自分がバスを乗り過ごした事に気付く。
「う〜ん…副部長の拳骨も怖いけど、今からじゃどうせ急いだって遅刻 は確実だしな…ま、のんびり行くとすっか」
マナーモードにしていた携帯電話には、先輩たちからの怒り に満ちた熱いメッセージがメモリ一杯に入っていたが、少年はあえてそれに気 付かないフリをすると、ラケットケースとバッグを肩に担ぎ直した。
キョロキョロと辺りを見回すと、視界の端に、大きな校門が映る。
「…青春学園…?……ヘンな名前。ん?待てよ……」

クセ毛の自分の頭を、鬱陶しそうにかきあげながら、少年は、脳裏 に閃いたテニス選手の名前を、口の中で小さく呟いた。


放課後。

顧問のスミレに呼び出された手塚は、部活の前に、彼女の待つ職員室へ と向かった。
「失礼します」
「おお、来たね。ま、こっちにおいで」
スミレは、自分の席ではなく、職員室の奥まった机へと手塚を招きよせる。
「…どうしたのですか?」
「いや…なに、ちょっと他人には聞かせらんない話だからね…、アンタもよくお聞き」
『…え?俺?』
スミレの言葉に、は、手塚の意識の裏で訝しげな表情をした。
「先生。話とは一体……」
「今から話す事は、はっきり言ってアタシのワガママだ。……明後日か ら始まる都大会に、1回戦だけのヤツを、出してやってくれないか?」
「…え?」
『ちょ、ちょっと待ってよ!』

思いも寄らぬスミレの発言に、手塚とは、同時に驚愕した。
『冗談やめてよ、スミレちゃん。手塚くんを差し置いて、俺にそ んな真似が出来る訳ないだろ?』
「竜崎先生…?」
「無茶は、承知の上だよ。それでも…アタシは1回でいいからのヤツを、都大会のコートに立たせてやりたいんだ」
真剣なスミレの表情に、手塚は目を見張る。

4年前。都大会を目前に控えていたは、不慮の事故によって、全国大会への夢を、そしてテニス の指導者になりたいという将来の夢も、永久に閉ざされてしまった。
あの時から、そして今もなお、本人は勿論彼の周囲を取り巻く無念を、少しでもいいから晴ら してやりたい。スミレは、そう思ったのだ。

「手塚。アンタはどう思う?」
『──スミレちゃん!』
の抗議には答えずに、スミレは手塚に尋ねてくる。
『手塚くん、俺に変な同情なんかしちゃダメだよ。この間は、邪 魔をするなとか言ってたじゃない』
間髪入れずに、が牽制してきたが、手塚は眉間に皺を寄せると、暫し自 分の中で考えを巡らせる。
自分の中にが憑依してからもうすぐ1週間になるが、手塚は、 について断片的にしか知らない事に気が付いた。
独自にの情報を集めている乾も言っていたが、つい4年前まで 現役として相当な活躍をしていた筈のの存在が、どうしてテニス界からこうも見事に消えて しまっているのか。
『それに…あの時の大和部長の態度も、引っかかる……』
と話をしていた大和の、ほんの一瞬だが何かを隠そうとし た表情が、妙に記憶の底にこびりついていた。

『手塚くん…?』
の呼びかけに、手塚は眼鏡を片手で押さえると、ゆっくりと口を開いた。
「みんなの意見を聞かない事には、決定は出来ませんが…俺個人と しては、構わないと思っています」
『──えぇ!?』
思ってもみなかった手塚の返事に、は素っ頓狂な声を上げた。
「それに、を呼び出した人物を探す良い機会かも知れません。 学校のコートとは違った場所なら、新たな手がかりが見つかる可能性も あります」
『…あのね。俺が死んで4年だよ?当時中1の大和です らもう高校生なんだから、今の中学生の大会に、俺の手がかりなんか ありっこないじゃないか』
『お前は、試合に出たくないのか?』
『そ、そんな事はないけど……』
『俺に遠慮をする必要はない。以前にも言ったが、今の俺たちはふたり でひとつのようなものだ。竜崎先生の気持ちを、お前だって判 っているのだろう?』
『……』
ブツブツと零していただったが、ふたりの気持ちが嬉しくない筈はなかった。

4年前。
は、青学テニス部の部長として、「今年こそ、青学を全国 へ導いてみせる」という熱い想いを、部活の友人や後輩たちと誓 い合っていた。
地区大会も危なげなくクリアし、都大会を目前に控えた6月のある日。
目の前で突如繰り広げられた、理不尽な暴力。
襲い来る恐怖に悲鳴を上げる、幼い子供の姿を目にした瞬間、飛び 出した自分。
そして、記憶に残っているのは、地面に横倒れになった自分の姿と、 自分のテニスラケットを抱えたまま泣いている子供。あとは、遠く に聴こえるサイレンの音だった。

───そういえば、あのコは今、どうしてるんだろう?元気でいる といいんだけど……

『……?どうかしたか?』
『あ、ごめん。なんでもない』
短く返事をしながら、は自分の中に浮かんだ思い出を、慌てて打ち消す。
『スミレちゃんと手塚くんの言いたい事は、判ったよ。でも、決定 するのはみんなの賛成を貰ってからにして』
「……そうだね。じゃあ、これから部室に行くとしようか」
の言葉に、スミレは小さく頷いた。


手塚と交替したは、レギュラー陣を前に、先程手塚にも話した内容を説明 するスミレを、部室の椅子に腰掛けながら、ぼんやりと眺めていた。
「……と、いう訳だ。これは、完全にアタシの個人的なお願いに過 ぎない。手塚もも、あんたたち全員の承認を得られれば、構わないと言っている」
「──そう。だから、たとえひとりでも反対する者がいれば、この話 はなしだからね。みんなの率直な意見を、聞かせてくれないかな?」
言いながら、はまさかこのような提案を、全員が承知するとは思っていな かった。
大会に向けて頑張っている選手たちを他所に、い くら手塚の身体に憑依しているとはいえ、所詮OB(?)の自分を、公式 の試合に出場させるなんて、考える筈がない。

ところが。
「いいんじゃないっスか?面白そう」
「僕も賛成。1回戦は勝ち抜き戦じゃないから、すべての試合が行われるしね」

「…ゑ?」

「オレも、オレも!の試合姿、見てみたいにゃ♪」
が出場する事によって、有効なデータが取れるかもしれないな」
「対戦相手やライバル校の連中、驚きそうっスね。『青学の手塚がいつもと 違う』とか言ったりして」

「……はい?」

「そうだな。1回戦だけなら、特に問題はないと思う」
「オレも賛成だよ。、君は都大会に出たかったんだろ?絶好の機会じゃないか」


「みんな……」
嬉しさと戸惑いが合わさったような顔で、は自分の対角の位置に腰掛ける、バンダナ姿の2年生レギュラ ーを見た。
の視線に気付いた海堂は、ギロリと自分の三白眼を彼に向けてくる。
「…なんスか」
「え…あの…君の返事を聞いてないから……」
の言わんとする事を容易に想像出来た海堂は、フシュウウゥと 息を吐き出すと、努めてぶっきらぼうに答えた。
「越前や桃の野郎はともかく…手塚部長と3年の先輩全員が賛成して いるのなら、俺には反対する理由がない」
「正直に言ってくれて構わないんだよ?」
「……無様な姿晒さなきゃ、それでいい。ムカつくけど、あんたの実力はこの間 の事で、イヤってほど判ってる」
「海堂くん…」
「き、気安く呼ぶんじゃねぇ!」
「えー…じゃ、じゃあ『マムシくん』?」
「──問題外だ、バカヤロウ!」
「…バカって言った〜……」

「おいおいマムシ、さん泣かせてんじゃねぇよ」
「俺の所為だって言うのか!?」
ベソをかき始めたの背を軽く叩きながら、桃城がライバルの赤くなった顔を、面白 そうに見やる。
「まあまあ。それはともかく…海堂。お前も賛成でいいんだな?」
「…っス」
大石がそう質すと、海堂はぷい、と顔を背けたまま、承諾の返事をした。
「ありがとよ、みんな。そういう訳だから…。明後日の都大会、初戦のオーダーその他は、すべてアンタに任せたよ」
スミレは、手塚の姿をしたかつての青学部長に嬉しそうに微笑みかける。
「スミレちゃん…みんな……本当に有難う!俺、頑張るからね!」
両目を涙で潤ませながら、は快活な声を上げた。そんなの様子に、レギュラーたちも思わずほくそ笑む。
「種目も、アンタの好きにするといい。…ま、もっともアンタの出たいも のといったら、十中八九アレだろうね……」
「そりゃあ勿論、『男は黙ってダブルス』で、決まりでしょ!」

まるで、どっかの阿吽コンビのような物言いに、当人たち以外から 新たに失笑が漏れた。


「ねぇねぇ、。ダブルスは、誰と組むのかにゃ?」
スミレが部室を出て行った後、も含めたレギュラーたちは、明後日への練習と調整をする。
乾が、特別に貸してくれたデータノート(ただし写し)とにらめっこ をしているに、菊丸がじゃれ付きながら尋ねてきた。
「そうだなぁ…一応、英二くんたち『黄金ペア』以外の誰かと組むつ もりでいるけど、まだ決めてはいないよ」
「まあ、ウチが1回戦如きで負ける訳はないけど…ダブルスの相手は、慎 重に選んだ方がいいよ」
「安心しろ。少なくとも、お前を選ぶような無謀な真似はしないから」
「ふーん。それは賢明だね。ボクも、キミと組んだりした ら、うっかり味方にカウンターかましそうだから

「も、桃ちゃん先輩…何だか部長と不二先輩がいる所、ブリザードが 吹き荒れてませんか?」
「ふたりの雰囲気に、菊丸先輩が怯えてるような…?」
と手塚の事情を知らない1年生の堀尾とカチローは、レギュラ ー専用コートに立ち込めた不穏な空気に、思わず球拾いの手を止めてしまう。
「ん?んー…まあ、大会前だしな。先輩たちも、それなりにピリピリして んだろ」
もっともらしい口実で1年生たちを納得させると、桃城も自分の練習に励む。
「でも、楽しみだよね。のプレイが、また見られるじゃん」
「お前な。一応、さんは先輩だぞ?」
「向こうも俺の事、好き勝手に呼んでるんだから、おあいこっス」
「英二先輩の『おチビ』を通り越して、『ドチビ』だからなあ」
「……うるさいっスよ」
面倒見はいいのだが、些か口の悪い先輩の揶揄に、リョーマは露骨に渋面 を作ると、桃城から視線をそらせる。

「…ん?何だろアレ」


その時。
リョーマの視界に、見知らぬ制服の人影が、通り過ぎていった。



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