『継承』


「おいコラ!部外者は立ち入り禁止だぞ!」
「あの…来客の方は、事務室で受付を済ませてから…って、ちょっと待 って下さーい!」
青学とは異なる制服に身を包んだ少年は、荒井とカチローを無視すると、レギ ュラーたちのコートへと、脇目もふらずに歩を進めた。
ベンチに坐って、一心にノートを見つめている青学部長の姿を見つけると、 まるでいたずらっ子のように、瞳を輝かせる。

「ねえ、アンタ手塚さんでしょ?」

不敵な外見に違わぬ声で、少年は手塚の名を呼んだ。
少年の呼びかけに、は数秒の沈黙を置いた後で、自分が呼ばれた事に気付く。
ノートを閉じたは、僅かに首を傾けて少年の顔を見た。
「…君は?」
数回瞬きをしながら、は少年に尋ねる。
「あっ、オレ立海2年の切原赤也っス」
「立海…ああ、神奈川の……」
「そうそう。アンタの噂は、ウチの先輩たちから聞いてるっスよ。一回対戦 してみたかったんだ」
「その為に、わざわざ神奈川からココまで来たの?」
「……まっ、別にそんな細かい事、どーでもいいじゃないっスか。手塚さん、1セットで いいからさ、俺と対戦しようよ?」

の言葉を適当にかわすと、切原はニコニコと愛想笑いを浮かべて、対戦の 申し込みをしてきた。


「…なにアイツ」
切原とのやり取りを遠巻きに眺めながら、リョーマがぶっきらぼうに呟いた。
「彼は、切原赤也。神奈川県代表、立海大付属テニス部唯一の2年生レギュラーだ」
ノートパソコンからファイルを取り出した乾が、低い声で応じる。
「立海って…去年の大会で氷帝を破って、全国制覇した所じゃないか!?」
「そこのレギュラーが、一体何の目的で単身ウチに?」
乾の説明を聞いた大石と河村は、驚愕の表情でコートのふたりを見つめた。
「…そこまでは。偵察なら、彼よりももっと適任者が訪れそうだしな……それに、おそらく アイツなら、既にウチのデータは分析済みだろうし……」
「乾ぃ?なにブツブツ言ってるのかにゃ?」
「こっちの事だ。気にしないでくれ」
菊丸の問いかけに、乾は小さく首を振る。
「それより問題は、が彼に対して、どんな態度を取るかだね」
目を閉じたままだが、不二はほんの少しだけ困惑したような表情を浮かべる。
「手塚ならともかく…何だかまともな応対しなさそうな気がするのは、ボクだけ かな?」
手を口元に当てると、不二はそのまま傍観者を決め込む事にした。


『……ねぇ、手塚くん。彼、あんな事言ってるけど、どうするの?』
『答えるまでもない。部内の規律を乱す訳にはいかん。まして、部外者と野試合など もっての他だ』

手塚の返事には小さく頷くと、膝の上に置いていた手を、手塚が普段しているよう に組み始めた。
やや伏し目がちにしながら、切原の申し出を拒絶する意味で、顔を横に向ける。
「おっ。さん、けっこー部長の真似上手いじゃんか」
「……あからさま過ぎやしないか?」
「手塚さ〜ん、シカトはなしっスよぉ」
遠巻きに眺めていた桃城と海堂がコメントした直後、やや機嫌を損ねたような 切原の声がした。
「いいじゃん、1セットくらい。そんなコワーイ顔ばっかしてると、眉間に縦ジワ寄 っちゃいますよ?」
自分のそこに指を当てながら、切原はわざとおどけた声で挑発する。
だが、目の前の青学テニス部部長は、その鉄面皮を崩す事無く、自分に冷やや かな一瞥をくれただけであった。
……もっとも、その裏で4年ほど前に鬼籍に入った先代部長の魂が、必死で手 塚らしく振舞っている事など、知る由もないのだが。

「なんかムカつくなぁ……アンタ、潰すよ?」

一向に態度の変わらない手塚に、切原はそれまでの表情をガラリと豹変させた。
無邪気さを帯びた悪童の顔から、まるで獲物を追い求める肉食獣のような、獰猛な視線 をぶつけてくる。
「てめぇ!部長になんて事言いやがる!」
「手塚部長!そんなヤツに舐められっぱなしでいいんですか!?」
切原の暴言に、荒井をはじめとする下級生たちがいきり立つ。
思わぬ混乱を招きそうな雰囲気に、レギュラー陣が流石に止めようと した時。


「王者立海も、地に堕ちたもんだな」
ひどく淡々とした言葉が、部員たちの動きを止めた。
それまでずっと、手塚に倣って沈黙を通していたが、ベンチから立ち上がったのである。
組んでいた両手を腰に当てなおすと、は切原を正面から見据えた。
一見穏やかそうな瞳の奥に隠れた剛毅な光に、切原は内心で僅かに怯んだ。
「よりによって、こんな年端もいかなさそうな子供を遣すなんて…」
「──?」
「正直に言ってごらん。ウチを潰す為に、君を遣した親分は誰?」
「…は?」
「だから、未来ある君を鉄砲玉なんかにしやがった、卑怯者の名前だよ!」
「えぇっ!?な、な、なに言ってんスかぁ!?」
自分の所の厳格過ぎる副部長も真っ青な迫力に、切原は今度こそ狼狽した。
どうやら、目の前の人物は自分の事を、青学を潰す為に訪れた刺客か何かだと 勘違いしているらしい。

『そんな時代錯誤な事、ウチの副部長でも考えないって〜!』

些か失礼なボヤキを心中ですると、切原は慌てたように首を振った。
「ち、違うっスよ!俺はただ、アンタと試合がしたくて……」
「見え透いた嘘吐いてるんじゃない!神奈川も今は県大会前だろ!いくら選手 層の厚い立海とはいっても、普通は練習に明け暮れてる時じゃないのか!?」
「う…だ、だからそれは〜…」
「そんな大事な時期に、自分の所の調整もそっちのけで、他所のシマ(学校) に鉄砲玉飛ばすようなサンピンが、よくものうのうと王者だなんて言ってられるな!」
「違うっつってんじゃんかー!真田副部長がンな卑怯な事する訳ねーだろ!」
「……真田?ふぅん。それが、君のボスの名前なんだ?」

半ばキレ気味に放った切原の怒号を聞いて、は彼の口から出た親分らしき名前を繰り返す。
自分の失言に、切原は弾かれたように口を噤んだが、はそんな彼を無視すると、Aコートの隅でデータ整理をしている乾に 声をかけた。
「貞治さん。携帯持ってる?」
「ああ」
短く答えると、乾から携帯電話が放られた。
右手でキャッチしたが、携帯電話の電源を入れるのを見て、切原は思わず表情を凍りつかせる。
「…な、何してんだよ!?」
「君ン所のボスに文句言うの。貞治さん、立海の番号は?」
「メモリの中に入っているよ。立海の部員に連絡したいのなら、メモリの27 番にかけるといい」
「ありがと」
礼を言いながら、は乾の携帯を慣れた手つきで操ると、目的らしい番号を押した。
受話器を耳に数秒当てた後で、口を開く。
「…もしもし?立海テニス部の方ですか?わたくし、東京の青春学園テニ ス部の手塚と申しますが、今ウチのコートに、切原くんというそちらの選手が……」
「わーっ!」
切原は、の手からもぎ取るように携帯を奪うと、矢継ぎ早に 言葉をぶつけ始めた。
「も、もしもし、赤也っス!今、俺の携帯バッテリーが切れ てて!すんません!バス乗り過ごしちゃったんっス!決して遠征サボって青学 にいる訳じゃ……って、あれ?」

『……ポーン……只今より…時32分、20秒をお知らせいたします………』

受話器から聴こえてくる無機質なカウントと、時刻を告げるアナウンスに、切 原は、はっと我に返る。
そして顔を上げると、眉間に縦ジワはないものの、こめかみに青筋をふ たつほど拵えながら微笑んでいる、青学部長と目が合った。

「……そんなこったろうとは思ってたけど…やっぱりな。つまり君は、自分の 所の遠征すっぽかして、ウチに殴り込みをかけてきた『命知らず』って訳だ」
「あ…あは…あはははは……」

ベキバキと関節を鳴らせ始めたを見て、切原はひきつった笑い声と共に踵を返した。
混乱に紛れてその場から逃走を図ったが、予想外の早さで延びてきたの手が、そのまま彼の襟首を引きずり倒す。
身体の均衡を崩した切原は、だらしなく地面に尻餅を付いた。


「痛ぇ!」
「大事な遠征うっちゃらかして、こんな所に来たのもそうだけど……俺の前で嘘を吐い たりしたらどうなるか、ちょっと痛い目見て貰おうかな」
「は、はぁ!?」
「俺は、嘘を吐かれるのが、この世でもあの世でも一番嫌いなんだ」
いまいち意味不明なの言葉に頭を悩ませる暇もなく、切原の身体は、ベンチに腰掛けたの膝の上に腹ばいに載せられた。
振り解こうにも、不利な態勢の上、自分よりも身体の大きい手塚の腕によって、完璧に 封じ込まれてしまう。
「あ、あんた何する気だよ!?」
切原だけでなく大石たちも、ハラハラとの様子を窺っている。
「2年って事は…君は14歳?」
「……いえ。誕生日まだなんで13っス」
「そう。じゃ……」
切原の返事に、はわざと勿体ぶった動きで、右手を目の前にかざした。
「ちょっと待て…じゃない、手塚!コート内で暴力は……」
穏やかでないの様子に、大石が止めに入る間もなく。

「かつて青学テニス部で、『グラウンド50周』とタメを張るほど 屈辱的といわれたこの罰則……必殺、『君ン所の副部長と、ママに代 わってお仕置き』ーっ!」

ばっちーん!

「いってええええっっっ!」

突如目の前で繰り広げられた、青学部長と他校の生徒による折檻プ レイ(違)に、若干名を除いたテニス部員たちは、一斉に凍りついた。

「ほらね。やっぱりまともな事にならなかったでしょ?」
「判ってたんなら、そうなる前に止めてくれ……」
予測以上の展開に爽やかに笑う不二に、大石がげっそりと返す。
「……何だか、部長の姿でああやってるのって、親子みたいで全然違和感ないっスね」
「お前、それ部長には絶対言っちゃなんねーぞ」
しれっと暴言を吐いたリョーマを見て、桃城はにやけた顔で釘を刺していると、
「やめろよー!何だって、この年でケツ叩かれなきゃいけねーんだー!」
「やかましい!ちょっと前までランドセル背負ってたガキの分際で、見てく れだけは充分過ぎるほど成人な手塚く……もとい、俺に口答えなんざ10年早いわ!」
「何気にが一番、失礼な事言ってるにゃ……」
「知らなかった…昔のウチに、こんな罰則があったとは。早速データに……」
「……あんまり恥ずかしいから、なくなったんじゃないっスか?」
呆然とする下級生たちを他所に、レギュラーたちは、一部を除いて のんびりと事の成り行きを見守っていた。


喚きまくる切原を無視して、容赦ないの手が、彼の臀部を打ち続ける。
これまでにも立海のテニス部で、上級生たちからそれなりの制裁を経験した 事のある切原だったが、『子供が悪さをして親にお尻をぶたれる』ような 類は、流石に受けた事はない。
いつ終わるとも知れない体罰に、次第に切原の思考は、ある種のパニック状 態に陥り始める。
そして、の張り手が13発目に突入しようとした時、
「…ふぇ」
耐え切れない痛みと屈辱に、まるで幼児返りしたかのように、切原の口から無 防備な声が漏れた。
「ふええぇぇ……ごめ…ごめんなさぁぁい……」
しゃくり上げながら謝罪をする切原を見て、は口元を綻ばせると、震える彼の背中を優しくポン、と叩いた。


ようやく落ち着きを取り戻した切原は、に渡された自分の荷物(+貰った湿布)をひったくると、怒りだけが理由ではな い赤目を向けてきた。
「これに懲りたら、今度はちゃんと学校で手続き貰ってから来るんだな」
「……この屈辱は、倍にして返してやるからな。関東大会、首洗って待ってろよ!」
「その頃には、お尻の腫れも引いてるだろうしね」
「うるさい!アンタのやった事、『暴力だ』って中体連にチクってもいいんだぜ!?」
「それは無理だな。今日の事は、メールで立海のテニス部員に知ら せておいたから」
携帯を持ちながらの乾の言葉に、切原は決まり悪そうに視線を反らす。
「流石乾だね。学校だけじゃなく、部員の連絡先まで調査済みなんだ?」
「……とにかく。君のやるべき事はひとつ。立海に戻ってから、今日の事を正直に 話して謝るんだな」
河村の質問には答えずに、乾は眼鏡を光らせながら切原に告げた。

「ちっくしょおおぉ!憶えてろよーっ!」

捨て台詞と共に、後の神奈川県大会で、最短試合時間記録を更新する少年は、足早 にコートから走り去っていった。


「…やっと帰ったよ。まあ、俺にかかればジャリタレのひとりやふたり、簡 単に……」
上機嫌で呟いた直後、自分への視線の集中ビームに気付いたは、ゴホンと咳払いをすると、
「……少々やりすぎたか。だが、青学テニス部として、規律を破る訳にはいかなか ったからな」
「いや、別に今更取ってつけたように、言い直さなくてもいいから」
手塚の口調を真似するに、不二のツッコミが入った。
胃痛に顔を顰めている大石や、そんな彼を気遣う菊丸、その他部員たちの様子に、 どうしたものかと考えていると、の意識に、今までずっと沈黙を守り通してきた手塚が呼びかけてきた。
暫しの間を置いて、意識の交代を終えた手塚が、腕を組みながらじろりと一同を 見渡すと、怖ろしいほど冷静な声音で言葉を綴り始めた。

「……今の騒動に参加した者、全員グラウンド30周してこい」

夏のはずなのに、コート一帯に冷たい風が吹き荒れる。
『そして、。お前は60周だ』
『ええええ!?なんでぇ!?』
『まだ、この期に及んで「なんでぇ」とか言うか、貴様!』
『だって、野試合は受けなかったじゃないか!』
『それ以前の問題だ!既に外見は顧問の先生レベルで悪かったな!』
『あ…いや、それはその、言葉のあやで……』
『とにかく問答無用だ。とっとと走って来い!』
『そんなあ〜っ!』


一方、こちらは立海テニス部。

「バスを乗り過ごしたのはともかく、その後何の連絡もせずに、青学で揉め事を 起こしてきたなどと…まったくもって、たるんどる!」
立海テニス部副部長真田弦一郎は、帰ってきた2年生レギュラーに、得意の裏 拳をふるおうとしたが、
「…ごめんなさい……」
しょんぼりとうなだれながら謝罪をする切原に、思わず動きを止めると、まじまじ と彼の僅かに腫れた目元を見つめた。
「…なんだ、今日は随分と素直じゃないか」
「それもその筈だろう。何しろ連絡によると、青学の手塚にこっぴどくやられた ようだからな」
切原の隣にいた柳蓮司が、携帯を軽く弄びながら、真田に今日、期待の2年生ルー キーの身に起こった出来事を、簡潔に説明した。
柳の説明を聞いた後、真田は僅かに帽子を深く被り直すと、切原に「もうい い、行け」と退室を促す。
切原が出て行ったあと、部室には懸命に笑いを堪える真田と、それを面白そうに眺 める柳の姿があったという。


「後で疲れるのは、手塚くんも一緒じゃないかあ!」
『ムダ口を叩いていると、もう10周増やすぞ!』
「うわーん!手塚くんのバカーっ!」
『それは、こちらのセリフだ!』

夏とはいえ、流石に西日が傾きかけていたが、他の部員たちが30周を走り終えて も、青学のグラウンドには、延々と走り続けているテニス部部長がいた。
「流石は部長だぜ。騒動を起こした責任を取って、自分も走るなんて……」
「本当に、手塚部長って、部長のカガミですよね!」
「うーん…それはどうかにゃあ……」
「俺も、絶対違うと思うっス」

夕日に映える影法師を尻目に、事情を知らない部員たちは感激に打ち震え、事 情を知っているレギュラー陣は、呆れながら彼の姿を見送っていた。




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