『継承』


「おい、見てみろよ。青学のD1!」
「あの手塚が、2年とダブルス組んでるぜ!?」
コートに現れた桃城と、彼のパートナーとなった男に、対戦相手だけでなく、コート周辺のギ ャラリーたちから、一斉に声が上がる。
手塚のスペアのラケットを手にしたは、(手塚はメインを使って良いと言ったのだが、頑として受け付けなかった) そんな周囲の喧騒を他所に、一歩一歩踏みしめるようにしながら、コートに小さく目礼をした。
「大丈夫だよ、桃くん。いつも通り、いつも通り」
「は、はい…」
こちらを覗くようにして笑いかけてくるに、桃城は、少々緊張した面持ちで返した。

どうして自分が、のパートナーに選ばれたのか。
今日の為に、自分たちのデータだけでなく、先月に行われた地区大会の成績にも目を通して いたが、いったいどのような理由で、自分を指名したのだろう。
『俺と越前が、地区大会でどんな事やったか、さんだって判ってる筈なのに…何で俺なんかと……?』
特に、にとってこの試合は、4年前に叶わなかった悲願でもあるのだ。
出るからには当然勝ちを狙っているだろうし、桃城だって、そんなに勝利をもたらせてあげたいと思っている。
『負けらんねぇな…負けらんねぇよ……』
桃城は歯を食いしばると、ラケットを握り直した。


「どうなんだろうな。先輩と桃のペア」
ベンチサイドから、青学のレギュラーたちは、桃城との様子を見つめていた。
試合を終えた大石が、タオルで汗を拭いながら隣に腰掛ける乾に尋ねる。
「結論から言うと…手塚の身体能力に加えて、のテニスの技術を合わせれば、充分すぎるほどの勝率だな」
「そうだね。だけど、ダブルスはふたりでやるものだから、どれだけふたりの 息が合うか…」
乾の言葉に、不二がそのように応じていると、
「──あのバカ。先走りやがった」
ライバルの醜態に、苦々しく海堂が呟いた。
コートでは、相手のショットを返そうとして、が構えていたのを、桃城が飛び出してしまい、その隙を突かれてカ ウンターをかまされていたのだ。
「桃くん、今のは俺の球だよぉ。状況を良く見て!」
「す、すいませんっス!」
青学のサーブで始められた試合は、サーバーのが後衛、桃城が前衛というフォーメーションであった。
即席コンビとはいえ、あまりにもちぐはぐなふたりのプレイに、心配する不二た ちだけでなく、当の桃城も半分パニックに陥ってしまっていた。
「どうしたんだよ、青学!」
「おい、そこの2年!お前に手塚の相手はキツいんじゃねーの?」
「…あ〜もう!桃ぉ!しっかりするにゃ!」
ギャラリーの野次に、菊丸は苛立たしげに声を張り上げる。
しかし、そんな声も届かないのか、コート上のふたりの動きが、調子 を取り戻す様子は、一向に見られない。
そうしているうちに。
「あ、桃くん!その球は君が……!」
相手のリターンを、前衛の桃城が避けた事で反応の遅れたは、次の瞬間自分の額に鈍い衝撃を覚えた。
打球を食らってしまったは、そのままコートに引っくり返ってしまう。
さ…じゃねぇ、部長ー!?」
自分が招いたアクシデントに、桃城は顔面を蒼白にしながら、のもとへ駆け寄った。
「君、大丈夫かね?」
試合を中断した審判から声がかかったが、
「大丈夫です〜…でも、タイム下さい……
倒れたままの状態で、は小さく手を振りながら返してきた。


。これは何本に見える?」
治療という名目でベンチサイドに引き上げたは、頭にタオルを載せられると、指で2の形を作った乾の質問を受けた。
乾の指をぼんやりと見つめながら、は口を開く。
「さ…」
「──何?」
「榊さんの…『いってよし』……」
「それだけ減らず口がきけるなら、心配いらないね」
「痛ぇ!」
不二に額に叩かれて、は悲鳴を上げると、傍らで気まずそうにしている桃城を見た。
「桃くん」
「……」
の呼びかけにも、桃城は俯いたまま口をきこうとしない。
は小さく息を吐くと、ゆっくりと立ち上がって、桃城の手を取った。
さん…?」
「おいで」
そのまま桃城の手を引きながら、はコートまで歩いていく。
そして、くるりと桃城を振り返ると、
「そこへ坐りなさい」
「…へ?」
「いいから、坐りなさい」
桃城をコートの上に正座させたは、自分も同じように坐り込んだ。
「き、君…?」
「大丈夫です。制限時間は守ります」
審判の声を短く制すと、正座したは、緊張した面持ちの桃城を見た。

「何やってるんだ、あのふたり…」
「まるで、コート上でお見合いしてるみたいっスね」
「……くだらねぇ」

突然、コートの上で正座したまま向かい合っていると桃城に、ギャラリーたちも何事かとざわつき始める。
しかし、当の本人たちは無言のまま、ただお互いを見詰め合っていた。
「何だかこうやってると、お見合いみたいで照れちゃうね」
「…はぁ」
片手を頬に当てながらのの言葉に、桃城は気の抜けた声で相槌を打つ。
「ねぇ」
「…ハイ」
「どうして、ひとりで頑張ろうとするの?」
「え…」
「俺がいるのに…どうして桃くんは、自分だけ頑張ろうとするの?」
さん…」
怒っているというよりは、むしろ寂しそうな顔で、が桃城に尋ねてきた。
「俺…さんの事、どうしても勝たせてあげたかったんっス。さんは昔、都大会に出られなかったから、その時の分まで頑張らなきゃって……」
「俺の為…?」
「でも…気持ちばっかり先走っちまって、俺…すいませんでした」
そう言って、桃城は頭を下げる。そして、どんな叱咤も受けようと顔を上げた視 線の先には、優しく微笑むの顔があった。

「有難う桃くん。俺の事、そこまで思ってくれてたなんて…」
さん…?」
「──でもね。ダブルスは、ふたりでするものだよ」
続けられた言葉に、桃城は、はっと表情を変える。
「さっきまで、桃くんは自分ひとりだけで勝とうとしてた。コートにいるのは、君だ けじゃないのに…俺が一緒にいるのに…ちっとも俺の事、見てなかったでしょ?」
「あ…」
「ダブルスは、勝つのも負けるのもふたりの問題。大切なのは、どれだけお互いを 信じていけるか……」
言いながら、は桃城の右手をそっと取る。
「…君の手は知っている。勝利の喜びも、敗北の悔しさも。海堂くんや他の皆も そうだけど…本当に、テニスを愛している素敵な手をしてる……」
そして、はそのまま桃城の手を、自分の頬に当てた。
「えぇっ!?ちょ、ちょっと!」
「嬉しいなぁ。俺はまた、こんな手にめぐり合う事が出来たんだ……」
頬に当てた桃城の手を、は心の底から嬉しそうに己の両手で包み込んだ。


手の平に伝わってくる温もりに、桃城はドキドキしながらを見つめた。
傍目には手塚の外見なのに、まるで、昔の写真の中で笑っていたの姿が、オーバーラップしてくる。
きっと彼は、昔もこうやって後輩たちを導いていたのだろう。
自分の良く知る手塚とは好対照の、それでいて青学の魂を感じさせるの姿に、桃城は威厳を感じずにはいられない。

「…俺も」
「ん?」
ゆっくりとから手を離すと、桃城はようやくいつもの笑顔を取り戻した。
「俺も、さんと試合が出来てとっても嬉しいっス」
「桃くん…」
「だから、勝ちをもぎ取りましょう。俺と一緒に暴れて下さい!」
「──うん!」
力強く頷いたは、勢い良く立ち上がる。
「桃くん。これから、テニスを味方に付けるからね」
「…了解っス。さん、後ろは頼みましたよ」
「勿論!におまかせ!」
口元に笑みをたたえると、はサーブの球を、青空に放り上げた。


「クソっ!何だってんだ!?手塚と桃城のヤツ、急に調子付きやがった!」
タイム前とは、まるで雲泥の差とも言うべきコンビプレイに、今度 は逆に、相手が振り回される番となった。
「いった、後ろ!」
「オッケイ!」
桃城の呼びかけに、はベースラインぎりぎりまで下がると、バックハンドで返した。 強烈なスピンがかかった球は、相手に触れる事を許さないままコ ートに突き刺さる。
いつ間にか、ゲームは青学のワンサイドプレイのまま、第6セットを迎えていた。

「凄い…これが本当に、即席ダブルスのプレイなのか?」
「ダブルスでJr選抜に出たというのは、伊達ではないな。。これほどのプレイヤーの存在が、何故たった数年で忘れ 去られているのか……」
「……確かに不思議だよね。4年しか経ってないのに、どうして先輩たちは、 の事を僕たちに話さなかったんだろう?」
乾の言葉を聞いて、不二も僅かに目を開けると小首を傾げた。
「言われてみれば、そうだにゃ。あんなに凄い先輩なら、俺たちに教えて くれてても、おかしくないにゃ」
「…それは、あの人が死んだからじゃないっスか?」
「そうだとしても、部活内だけでなく、テニス界に殆ど記録が残っていな いというのは、不自然過ぎる。一体、4年前にの身に何が……?」
「──あんたたち!試合中の仲間をほっぽって、何ムダ口叩いてるんだい!?」
乾の思考を、スミレの手厳しい声が止めた。
「乾。の事を嗅ぎ回るのはやめろって、前にも言っただろう?」
「はい。…ですが」
「ホントにの事を考えてるんなら、今は目の前で試合しているあいつらを 応援しな!」
強引に畳み掛けるようなスミレの言葉に、レギュラーたちは煮え切らな い想いを抱きつつも、コートへ視線を戻した。


「手塚とのストローク勝負じゃ、明らかにこっちが不利だ…こうな りゃ、桃城を攻めるぞ!」
ダブルポーチの陣形を取った相手は、前衛にきた桃城に、徹底的に球を返す ようになった。
「うわっ、そうきやがったか…けどな、そんなのはこちとら地区大会で経 験済みなんだよ!」
玉林中との試合を思い出しながら、桃城は、相手の強烈なネット プレイをしのぎ続ける。
「桃くん、避けて!」
不意に届いた背後からの声に、桃城は反射的にその身を屈めた。
「なにっ!?」
体勢を低くした桃城の後ろから、素早く影が躍り出る。
の、手首を翻したスローボールに、相手は反応が遅れた。咄 嗟に放ったロブが、青学のコートに戻ってくる。
「いけぇ、桃くん!今のテニスは君の味方だ!」
「おおおおっ!」
の声に、桃城は利き足から跳躍すると、全 身のバネを使ってラケットを振り下ろす。
直後、桃城のダンクスマッシュが、コートをえぐる勢いで、敵陣に叩き付 けられた。
「ゲームセット!ウォンバイ…青学、手塚・桃城ペア!」
「やったぁ!桃くん、10てん10てん10てん10てん10て〜ん!」
審判のコールと同時に、が桃城に抱きついて来た。
「おわっ!?ちょ、ちょっとさん!」
「偉かったよぉ…よく頑張ったねぇ……」
半分ベソをかきながら、の手が、桃城の背中を何度も叩いてくる。
「ね、手塚くん。桃くん、凄かったよね?」
『……前半のぎこちなさを、あそこまで立て直したのは見事だった。 だが、お前のテニスはまだまだムラが多い。その改善を、今後の課 題にしろ』
「…っス。部長、さん、有難うございました!」
ふたりの部長からの賞賛の言葉に、桃城は深々と頭を下げる。

そして、そんなふたりの様子を眺めていた海堂とリョーマは、
「……つまんねぇ(ないの)」
仏頂面を隠す事無く、桃城とを胡散臭げに眺めていた。


その後。1回戦をはじめとする他の試合も、危なげなく勝ち進んだ青学テ ニス部は、晴れやかな気持ちで午後の試合に臨める雰囲気に包まれていた。

「まだ、決まらないの?」
「うー…もうちょっとだけ。どうしよう、あれも飲みたいし、これも 美味しそうだし……」

呆れ返った様子の不二を尻目に、は自動販売機の前で唸り続けていた。
「ここで売ってる飲み物なんて、4年前と今とじゃ、大して変わらないじゃない」
「そんな事ないよ!現に俺の知らない飲み物が、3つも入ってるんだから!」
「皆の分もあるんだから、いつまでもグズグズしてないでよ。お昼休みだ って限られてるんだからね」
「判ってるよぉ。え〜っと、じゃあこれ……」
ようやく自分の飲むものを決めたは、既に購入済みの他のメンバーのドリンクを抱えたまま、 自販機のボタンを押した。
ところが、不安定な状態で何本ものドリンクを持っていたので、が腕を伸ばしたはずみで、1本のドリンクが地面に落下し、そのま まあらぬ方へと転がってしまった。
「ドジだなぁ。何やってるのさ」
「ああ!?待って〜!」
慌しく取り出し口のドリンクを引き抜くと、は転がり続けている缶を追いかける。
十数歩進んだ所で、それまで地面を滑走していた缶が、誰かの手によって拾い上げられ るのを見つけた。
「すみませーん。どうも有難う」
親切な拾い主の傍まで駆け寄ると、はその人物に礼を言う。
缶を返しながら、その拾い主は訝しげにの事を見据えていたが、

「缶は見つかったの?」
「──っ!」

の背後から現れた不二の姿に気付くと、露骨に表情を険しくさせた。



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