『継承』


都大会準決勝。
青学とルドルフの対決は、稀に見る好カードとして、試合開始を前に早くもギャラ リーで埋め尽くされていた。
「うわ〜…いきなりコート2面使って、D2とD1かぁ」
「片や黄金ペアに、片や海堂先輩と桃ちゃん先輩。どっちもしっかり応援しないとね」
1年生の堀尾とカチローの言葉に、スミレは小さく微笑むと、レギュラーたちに檄を飛ばす。
「どんな形だろうが、試合は試合。それは相手も同じ条件だ。怯んでんじゃないよ!」
「はい!」
「それと、。あんたも余計な事はしないように。判ってるね?」
「そこまで念を押さなくても、心配ないって。手塚くんまで回ってきた時には、ちゃんと 交代するよ」
「それならいいんだけどね。聞けばあんた、さっきの昼休みに他校の生徒と揉めた そうじゃないか」
伏し目がちに質してきたスミレに、は心外だとばかりに首を振る。
「あれは、向こうがトンチンカンな事ばっかりしてるヘボだから、教えてや っただけだよ。俺、悪くないもん」
「……誰が『ヘボ』ですって?」

凍てついたような声を背中に受けて、は振り返った。
「いきり立つのは結構ですが、試合前の挨拶ぐらいは、ちゃんと済ませましょうね」
含み笑いをしながら、観月があまり好意的とはいえない視線を注いでいた。
「何だよ。ホントの事言われたからって、怒るなよな」
「なっ…!だ、誰が!」
声高に喚こうとした自分に気付き、観月は軽く咳払いをすると、整列した青学メンバ ー一同を見渡す。
「んふっ。残念ですがこの準決勝は、我々ルドルフの勝利で飾らせて頂きますよ」
「…そりゃまた、随分自信満々だな」
観月の揶揄に臆する事無く、は余裕の表情で言葉を返した。
「勿論。この日の為に、貴方たちのすべてのデータは、収集・分析させて貰いましたからね。 僕のデータによって作られたシナリオは、完璧です」
「……何だと?」
「おもしれぇ。臨むところじゃねぇか」
「んふっ…弱い犬ほど、よく吠えると言いますけれど、幾ら結果の見えた試合だか らって、手抜きは止めて下さいよ」
ルドルフの司令塔の挑発に、海堂と桃城が声を荒げたものの、観月はそんな彼らを軽 くいなすと、口元をほころばせる。
だが。
「…ぷっ」
そのような険悪なムードを、緊張感の欠片もない吐息が払拭した。
直後、
「ぷぷぷ…未だこんなヤツいたんだ…あはははは……」
とうとう堪えきれずに、は声を立てて笑い出す。
「手塚くん!一体何のつもりですか!?貴方は僕をバカにしてるのですか!?」
今の手塚の正体を知っている青学レギュラーたちならともかく、 中学テニス界の頂点に立つともいうべき男の笑う姿は、捨て置けなかった らしい。
観月は、海堂たちとは明らかに違った態度で詰め寄ってきた。
「あ…?いや、ゴメンゴメン。別にバカにだなんて…ちょっとしかしてないよ」
「それって、してるって事じゃん」
絶妙なタイミングで入れられたリョーマの突っ込みに、は生意気な1年生の頭を、片手で数回鷲掴みにすると、笑いを消して正面から 観月を見返す。
「ひとつ良い事教えてやるよ。…貞治さん、君も良く聞いときな」
手を腰に当て直したは、後方に控えている乾に視線を送る。
「『データを信用しても、妄信するな』って、教えて貰わなかったのか?幾ら大量のデ ータがあろうとも、その対象となる相手が歩みを止めない限 り、99.99……パーセントにはなっても、絶対に100パーセントにはならないから」
「何…?」
自信に満ちた表情で言葉を綴る青学部長に、観月はその柳眉を僅かに顰める。
「残り1パーセント以下の可能性…あんまり軽視してると、いつか手痛いしっぺ返し食らう ぞ」
「……ふん、随分と大風呂敷を広げたものですね。その発言で恥をかくのは、貴方だとい うのに」
「そうなるかどうかは、試合が終われば判る事だ」
口元を綻ばせたに、観月は内心で舌打ちする。
『これは、心理的作戦か…?何の考えもなしに、手塚くんが口にするセリフとは思えない……』
目の前に佇む対戦相手が、いつもと違う感じがするのは、果たして自分の気のせいな のだろうか。
己の理解の範疇から外れた青学部長の言動に、観月は密かに心の中で、警報を鳴らしていた。


「青学、ファイトー!」
「頑張れ、ルドルフ!」

コート2面を使ったD1・D2の試合を、両者の声援が包み込んでいた。
「ったく、よりによってマムシとダブルスかよ。ついてねぇな、ついてねぇよ」
「それはこっちのセリフだ、このバカ桃」
「んだと、てめぇ!?」
「先に言ってきたのは、そっちだろうが!」
D2に抜擢された桃城と海堂の2年生コンビは、試合開始を前に、早くも味方同士の言い争いを 繰り広げている。
「なんだーね。あのふたり、仲間割れしてるだーね。楽勝だーね」
「くすくす…大した事なさそう……」
そんな桃城たちを、ルドルフの柳沢慎也と木更津淳は、面白そうに眺めていた。
「またやってるよ、あのふたり。よく飽きないね」
「だ、大丈夫なのかな?本当に…」
いつもの調子で笑い声を漏らす不二に、河村は、試合の時とはまるで正反対の様子でおろお ろしていた。
「まあ、桃くんと海堂くんの事だから、試合が始まれば、弥が上にも休戦せざるを得 ないでしょ」
ポリポリと頬をかきながら、はコートの桃城たちを見つめた。
「それに、大事な試合に下らないケンカを持ち込んで、仲間や対戦相手の前で醜態を晒そ うものなら、俺、ただじゃおかないから」
「そ、それってまさか、こないだのような体罰じゃないだろうね!?」
つい先日、が他校の生徒にした事を思い出して、河村は焦りだした。
「体罰だなんて、心外な。あれは『愛のムチ』だよぉ」
「ものは言いようだよね」

間髪入れられた不二の横槍を無視すると、はベンチ脇に置いた手塚のラケットを取り上げる。
「テニスの試合でしでかしたバカは、テニス流のお仕置きに決まってるじゃないか。 コレで『ケツバット』ならぬ、『ケツラケット30発』はいっとかないとね」
『何が「いっとかないと」だ!そんな体罰がまかり通るとでも思っているのか、お前は!』
直後、の言葉を聞いた手塚が、猛然と反発してきた。
「違うって。テニスを愛する人間だからこそ、自分の愛する道具でもって、その痛 みを教えてあげるだけじゃんか」
『俺は、断固認めん!ラケットは、人を殴るものじゃないぞ!』
「ど、どうしたの手塚くん?何でそんなに怒ってるんだよ?」
『……』
あまりの剣幕に驚いたのか、些かうろたえたの声が、手塚の意識に届く。
だが、手塚はその問いに答える事無く、沈黙を貫いていると、

「黄金ペアが押されてる!?」
「ルドルフが先制したぞ!」
ギャラリーのざわめきに、たちは、視線をD1のコートに戻した。
そこには、赤澤の放ったレシーブが、青学のコートに突き刺さった所だった。
「大石先輩!菊丸先輩!」
「そんな…青学無敵のD1が……」
黄金ペアの思わぬ苦戦に、応援席の下級生たちから不安の声が上がる。
「ルドルフ部長の赤澤と、2年生の金田か……大石たちをてこずらせるとは、中々の 実力者のようだな」
「…そうだね。さっきの赤澤のレシーブ…あれは『ぶれ球』だ。きっと英二は、それに 翻弄されて反応が遅れたんだね」
スコアブックに記入を続けている乾と、大石たちを見守る不二に、観月の得意げな笑い 声が聴こえてきた。
「…んふっ。だから言ったでしょう?残念ですが、君たちの勝ちはありえないと」
「な…そんなのまだ判らないだろう!」
「判りますよ。僕のシナリオでは、D2・D1共にルドルフの勝利で確定です。その先の試合 については、コメントを控えさせて頂きますが、手塚くんにまで試合が回る事は、まずあ りませんよ」

荒井たちの抗議を歯牙にもかけぬ、といった表情で、観月は髪をかき上げると、真剣な表 情でコートを見つめている青学部長の横顔に視線を移す。
「…形勢不利な試合に、流石の君も、言葉をなくしたようですね」
「凄いぶれ球だったな…あんなのいきなり食らったら、動体視力良過ぎの英二くんが不 覚を取るのも当たり前だ……」
…じゃない、手塚…?」
「あの赤澤ってヤツ、流石は部長だぜ!ガングロなのは、伊達じゃないな!」
緊張感の欠片もないの言葉に、河村たちだけでなく、観月も思わず呆気に取られた。
「何なんですか、あなたは!さ、さてはこれも心理的作戦ですね!?まったく…あなたの腹 には、10人分の食べ物以外にも一物あるようですね」
「……何で、それ知ってるの!?」
苦々しげな観月の呟きに、数日前の食い倒れの事を言われたのに気付いたは頬を染め、手塚は頭痛を覚え始める。
「と、とにかく今の試合の流れは、全て僕のシナリオどおりです。幾ら足掻いた所で、流れ を変える事は出来ませんよ」
捨て台詞と共に、観月は背を向けると、次の試合へ向けてウォーミングアップをする、裕太の 下へと歩いていった。


「ど、どうしよう…シナリオ通りなんて……」
「黄金ペアがそうなら、桃ちゃん先輩や海堂先輩も……」
不利な試合形勢に、応援席では、1年生の堀尾とカチローが表情を曇らせていた。
そんな彼らに気付いたは、小走りに足を進めると、彼らの肩を抱くように声を掛けた。
「コラコラ。君たちがそんな弱気でどうすんの?」
「てっ、手塚部長!?」
堀尾たちは、レギュラー以外の2年生がいる場所から、妙に嫉妬と羨望の眼差しが向 けられるのを感じながら、肩に載せられた温もりの主に驚愕した。
「ゲームセットの声を聞くまでは、試合は終わりじゃないんだよ。それなのに、どう して試合の結果が判るの?」
「で、でも…ルドルフの観月さんの言うとおり……」
「あー、青学のクセに、相手校の肩持つ気?」
しどろもどろに答えるカチローに、はわざと拗ねたような顔をした。
それが、何故だか妙に似合っていて、カチローたちだけでなく、こっそり様子を窺っていた 他の部員たちも、思わず目を奪われた。
「考えてもごらんよ。『やらせ』一切なし・リハーサルもなしの、ぶっつけ本番生中継が、 100パーセントシナリオ通りにいくと思う?」
「思いません。でも…」
「じゃあ、君たちはあそこで戦ってる先輩たちが、ルドルフの『んふっ』が書いたシ ナリオの『やらせ』に乗るような人間だと思ってるの?」
「ち、違います!」
激しく首を振って答えた堀尾たちを見て、は満足そうに頷いた。
…もとい、手塚の言うとおりだ。それに、ウチの連中は、シナリオを渡されて もその通りに出来ない奴らが、ゴロゴロいるからね」
「え?乾先輩、それってどういう……」
スコアブックを片手に、乾がたちの傍へ近付いてきた。
青学トップ3のふたりに囲まれて、堀尾たちがドキドキしていると、突如D2コートの方か らどよめきが湧いた。

「おい、起きろよ!やっと乗ってきたっつーのに!まだやれんだろ!?」
「……む、無茶言うな……だ〜ね……」
D2コートは、桃城のダンクスマッシュによって、地面に昏倒してしまったルドフルの選手 の姿があった。
河村には及ばないものの、青学でも上位のパワーを誇る、桃城のスマッシュの直撃を食ら ってしまっては、たまらない。
ルドルフの柳沢は、試合の続行を迫る相手に掠れた声で毒づきながら、やがてそのまま 脱力してしまう。
「…どうしますか?」
「これじゃ、続けるのは無理だ〜ね…なんて。くすくす……棄権します」
フィンガーレスの手袋を外すと、柳沢のパートナーである木更津淳は、審判の呼びかけに、 わざとらしく肩を竦めた。

「……どうやら、説明の必要もなかったようだな」
D2の試合の行方に、乾は片手で眼鏡をかけ直す。
敵味方入り乱れて騒然となったコートの傍らでは、


「──まったく!僕の言うとおりにしないから、こんな事になるんだ!」
「あーっはっはっは!いいぞ、桃くん海堂くん!良くやった!」


早くも綻び始めたシナリオに、声を荒げる観月と、大喜びで手を叩くの姿があったという。



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