『継承』


昼下がりのストリート場では、居丈高な少年と、これまた負けず劣らず不敵な態度で少年を 見返しているに、周囲はくぎ付けになっていた。
少年は、樺地からラケットを受け取ると、余裕の足取りでコートへと歩いていく。
「…さん、マジでやるんスか?」
「マジもマジ、大マジだよ」
桃城の問いにあっけらかんと返しながら、もまた、少年とは反対側のコートへと進んでいく。
「ちょ、ちょっと待てよ!俺がやる!あいつにバカにされたまんまじゃ、気がおさまらねぇ!」
それまで呆然と事の成り行きを見守っていたが、ふと我に返った神尾は、慌ててふたりを 止めようとした。
「…今の君じゃ、リベンジどころか返り討ちにあっちゃうよ?もしも俺たちが負けたら、後で仇 を取って貰うから、それまで消耗した体力を回復させておいて」
いきり立つ神尾を、は年長者の余裕でおさえた。
『待て、!このような勝負、俺は承知していないぞ!』
「手塚くんは黙ってて。ああいう俗世間に疎いお坊ちゃまは、一度世の中の厳しさってもんを教え てやんなきゃいけねぇなあ、いけねぇよ」
「……人のセリフ、取んないで下さいよ」
『いいから待て!あいつは……!』
手塚の制止を振り切ると、は桃城と共にコートに立つ。
「…フン。尻尾を巻かずに来た事だけは、褒めてやろうじゃねぇか」
「お前に褒められたって、嬉しくも何ともないから、とっとと始めろよ」
の返事に、少年は意外そうに片眉釣り上げると、隣に立つ大柄な男に声をかけた。
「よーし、この勝負もお前ひとりで充分だ!樺地!」
「ウス」
樺地と呼ばれた男が、小さく頷いたのを一瞥すると、少年は満足そうな笑みを口元に浮 かべながら、コートに腰を下ろした。
「な…あんた、そいつひとりで試合させる気か!?」
「おめーら相手に、俺様が出るまでもねぇよ」
桃城の問いにも動じず、少年は相変わらずの態度を崩さない。
だが、

「……邪魔」

ネット越しに降ってきた予想外の言葉を聞いて、少年は訝しげに顔を上げた。
「…あん?何だって?」
「聞こえなかったのか?『邪魔だ』って言ったんだよ」
辛辣極まりないといった感じで、の声が、少年の頭上に降り注ぐ。
「…てめぇ、誰に向かってモノ言ってんだ?」
「お前にだよ、お前!ダブルスなめてんのか!そんなトコにいられちゃ、はっきり言って 邪魔以外の何ものでもないんだよ!」
腰に手を当ててこちらを睨んでくるに、少年は僅かに気圧されたように、表情を硬くさせた。
「ダブルスのなんたるかをご存知でない、お坊ちゃまの為に教えて差し上げるよ。あの な、そのコの上背、一体何センチあると思ってんの?」
自分に当てはまらない形容をされた樺地は、思わず虚を突かれたように瞳孔を開く。
「そのコの身長をざっと見積もって2mとすると、ラケット持った腕を伸ばすだけでも、 最低同じ位の余裕は欲しいんだよ。だから、そんな所で胡座かかれるとはっきり言 って邪魔なの。本気でそのコひとりで勝たせるつもりなら、せめてあと50センチ後ろ に下がるか、横に離れな」
理論整然と捲し立ててきたに、少年は忌々しげに目を細めたが、隣に立つ樺地が申し訳なさそうに自分を 見つめているのに気が付くと、舌打ちをしながら立ち上がった。
「…まったく。下手な小細工してる暇があったらダブルス勉強し直すか、シングルス一本 で大人しくしてりゃいいのに」
少年の行動を当然、とばかりに見送ると、はネット越しの樺地に話し掛ける。
「考えてみれば、さっきの試合も全部、君のお陰じゃん。こっちの苦労も知らないで、 いい気にならないで欲しいよなぁ。ね?」
「ウ、ウス…?」
「てめぇ!勝手に樺地と話してんじゃねーよ!」
困惑気味に返事をしている樺地に、少年は苛立たしげに声を張り上げた。
「流石さんっスね」
先程より和らいだ表情で、桃城が呼びかけてくる。
「とは言っても、あの大きなコひとりで、伊武くんやアキラくんに勝ったのは、 伊達じゃないからね。いつもよりも気を引き締めていこうか」
「は、はい」
「ん、よろしい。さあ桃くん、テニスを味方につける為にも、油断しないでいこう」
の語尾に、桃城は顔を上げた。
何故なら、の口から出た言葉が、自分が良く知っている厳格な部長の科白そのまま だったたからである。
コートを見据える横顔が、手塚とのどちらにも見えて、桃城は不思議な感覚に捕らわれていた。


「サーブはそっちからでいいぜ」
「そうしないと、不利なのはお前らだろ。勿体ぶった言い方するなよな」
嫌味の応酬の後で、の手が、サーブのトスを上げた。
跡部と樺地の間をすり抜けるように放たれたサーブは、コートに腰を下ろした 跡部を守るように伸ばされた、樺地のレシーブによって返される。
「…やっぱり小細工は無理か。桃くん、ひとりとやってるっていう概念は消して! 正攻法で一気にカタをつける!」
「了解っス!」
の声に桃城は応じると、後衛をに任せて、自分はチャンスボールを狙うために、ネット際まで走り寄る。
「はっ!」
それまでの急速なリターンから、打って変わったのスローボールに、樺地の反応が一瞬だけ遅れた。
「桃くん!」
「おっしゃあ!」
の作ったチャンスを逃すまいと、桃城は跳躍と同時にラケットを振り下ろす。
「ダ〜ンク…スマッシュー!」
「どーん!」
これが本当の『阿吽の呼吸』とばかりに、ふたりの声がハモった瞬間、桃城のダンク スマッシュが、樺地の足元に炸裂した。
「フン。ちっとは出来るようだな…樺地」
「ウス」
だが、先制された少年は、表情ひとつ変えずに樺地に声をかける。
樺地は頷くと、次いで放たれたのサーブを打ち返しながら、先程の桃城のようにネット際へと移動し始めた。
「……?」
思いもよらぬ樺地の行動に、は眉を顰める。
「墓穴掘ったな!このまま攻めさせて貰うぜ!」
「……!桃くん、待って!」
樺地の意図に気付いた瞬間、は、勝負をかけようと飛び出した桃城を慌てて止めようとしたが。
「──!」
獣のような低い咆哮を上げながら、樺地の巨体が宙に舞った。
直後、桃城は自分に向かって、ありえないスマッシュが襲ってくるのを、信じ られない思いで見つめた。
「おわっ!」
「桃くん!」
至近距離で『ダンクスマッシュ』を浴びた桃城は、短く呻くとコートに倒れ込んだ。


「くっくっく…コイツは純粋な故に、何でも吸収しちまうんだ。まるで 子供のようにな」
失笑混じりの揶揄で、少年は桃城を介抱するを見据えた。
「だから、お前らのちゃちな技をコピーするなんざ、コイツには朝飯前って訳だ」
「じゃあ、お前のも?」
「……ふざけんな。俺様の美技が、簡単にコピー出来る訳ねぇだろ」
予想外の切り返しに、少年は露骨に表情を歪める。
「大丈夫。桃くんのダンクが、そんな簡単にコピー出来るかっての」
無表情の樺地を尻目に、は桃城に微笑んだ。
「仮にコピー出来た所で、それは所詮、ただの猿真似だよ。オリジナルだけが持つ 魅力に、かなう訳ない」
さん…」
「即席ダンクなんか、オリジナルの力で跳ね返しちゃえ!さっきは不覚を取ったけど、 ガチでやれば、桃くんが負けたりするもんか!」
「ほう…大層な自信じゃねぇか」
「当然。自信がなかったら、こんな事は言わないよ」
ニコリと笑ったに、少年は面白くなさそうに息を吐いた。

「凄い…桃城くんとさん、あの人たちと互角に遣り合ってる……」
再開した試合を眺めながら、杏は短く息を吐いた。
「何者なんだ、あいつ……」
先程までの怒りも沈んだ神尾も、半ば呆然と彼らの様子を見送った。
その体躯とは対照的な動きで、樺地のレシーブがたちに襲い掛かる。
「桃くん、行くよ!しっかりついてきて!」
「え、わっ!ちょっとさん!?」
掛け声と共に、樺地の球を返したが、前衛に踊り出てきた。
ダブルポーチの陣形を取ったたちに、ギャラリーからどよめきが起こる。
「バカが!自滅する気か!?」
「そんな浅はかな考えしか出来ないのかよ、このヘボ!」
「──なんだと、てめぇ!?」
いきり立った少年と驚愕した桃城を他所に、ネット際では、と樺地のボレー合戦が繰り広げられていた。
逆を突こうと放たれた樺地の打球は、いつの間にか体勢を変えていた によってかわされる。
「そんなにコピーが得意なら、このの技も盗んでごらん!」
「……ッ!?」
まるで隙のないのネットプレイに、次第に樺地はそのペースに引き込まれそうになった。
「……樺地!いつまでもそいつと遊んでんな!桃城を狙え!」
「…ウ、ウス!」
少年のアドバイスで樺地は我に返ると、から上がってきたロブに、ダンクスマッシュの姿勢を取った。
「桃くん、やっちまえ!君なら出来る!」
待ってましたといわんばかりに、は表情を輝かせると、桃城に檄を飛ばした。
の言葉に、桃城は表情を引き締めると、ラケットを両手持ちに構 えながら、樺地のスマッシュを受け止める体勢に入る。
「ぐっ!……ぬおおおおぉぉぉっっ!」
襲いくる球の威力に、思わずギリ、と歯が鳴ったが、そのまま全身の力を振 り絞ると、ラケットを振り切った。
戻ってきたボールを、樺地が追いかけようとした時。

「──もういい、樺地」

少年の声に、樺地は動きを止めた。


「思ったよりやるじゃねぇか。今回は、お前らの勝ちって事にしといてやるよ」
「『しといてやる』も何も、試合を放棄した時点でお前らの負けじゃん」
「……つくづく、口の減らない野郎だぜ」
「お前に言われたくない」

少年の揶揄に、は不機嫌そうに口元を歪ませる。
まるで、掛け合い漫才のようなふたりに、桃城は、影でこっそり 吹き出していた。
「ついでだから、名前を聞いといてやるよ。何ていうんだ?」
「教育がなってないなあ。普通、人にものを尋ねる時は、自分から名乗るのが 礼儀だろ?」
「……跡部。俺様の名前は跡部景吾。氷帝テニス部の部長だ」
「氷帝…」
跡部と名乗った少年を、は改めて正面から見据えると、
「あー…成る程ねぇ。いかにも榊のおっさんが好みそうな奴だな、こりゃ」
「……なんだって?」
「ううん、何でもない。こっちの事」
腕組みの姿勢で独り言を呟くに、跡部は柳眉を釣り上げた。
「で?今度はてめぇらが答える番だぜ。さっさと言いな」
「青学2年、桃城。ヨロシク!」
「お、俺は不動峰の神尾アキラだ!」
「おめーにゃ、聞いてねぇよ。…そこのお前、何ていうんだ?」
神尾を無視すると、跡部は桃城の隣に立つ、テニスをするには少々場違いな 格好の少年を見た。
自分とそれ程年齢の変わらぬように見えるが、何処となく既視感を覚える のは、何故だろうか。
そして、今まで垣間見た事のない少年のネットプレイに、跡部は仄かな好 奇心を抱いていたのである。
「え…俺?俺は…『通りすがりのテニスバカ』…じゃ、ダメ?」
「人に名乗らせておいて、ふざけた事言ってんじゃねぇぞ」
跡部の鋭い視線を間近に受けて、は気まずそうに顔を背ける。

『ここで手塚くんの名前を言ったら、マズイよね』
『そんな事をされたら、俺は隣町どころか、ここでも武勇伝を 築く事になる。跡部のいる氷帝とは、これから始まる 関東大会でも当たる。頼むから、これ以上の混乱は避けてくれ』
『やっぱりそうだよね…どうしよう』
『……だから待て、と言っただろう』
「なーにブツブツ言ってんだ、アーン?」
尚も詰め寄ってきた跡部に、は暫し視線を周囲に漂わせる。
「……さん、どうしたんスか?」
「…桃くん。逃げる用意しといて。アイツが後ろ向いたら一気に 退場するからね」
「へ?」
桃城にそう告げると、はさり気なく自分の荷物を足元に置いた。
そして顔を上げると、努めて明るい声を出す。
「あーあ。せめてカワイイ女の子にだったら、喜んで名前 教えちゃうんだけどなあ」
「勿体ぶってんじゃねえ!」
「判ったよ。俺の名前は……」

言いかけて、は不意に瞬きをしながら、跡部の後ろへと視線を動かした。
「……あれ?あそこにいるムダにきらびやかなおっさんって、お前ん所の 監督じゃないのか?」
「何っ?」
の指した方向に、跡部は思わず振り返る。
そして、次の瞬間。

「おほほほ、ごきげんよう〜!」
「──!てめぇら、待ちやがれー!」
「待てませーん!伊武くん、杏ちゃん、アキラくーん!そこにあるお弁当、みんな 食べていいからねー!」

脱兎のごとく駆け出したと桃城は、跡部の怒声を背に受けながら、テニスコートを飛び出していった。
子供じみた罠にまんまと引っかかった跡部は、肩を怒らせながら、のお裾分けをつつき始めた神尾たちの元へ歩いていく。
「おい、お前ら。あいつらと親しそうだったけど、名前は知らねぇのか!?」
「……俺には、聞いてねぇんだろ」
おむすびを片手に、神尾は素っ気無く答えた。
「拗ねてんじゃねぇよ。いいから答えろ!」
神尾の手から、食べかけのおむすびを奪うと、跡部は苛立たしげに問い直す。
「…俺たちも、今日会ったばっかだから詳しくは知らないけど、って言ってたよ。桃城の知り合いなんだって」
「そう。確かさん。…あ、このお弁当、ウチのお兄ちゃんのより美味しいかも」
…そうか、か。今度会った時が、てめぇの最後だぜ。クックック……中々美 味いじゃねぇか」
「……あー!俺の!」

神尾から奪ったおむすびを頬張りながら、跡部は不気味な忍び笑いを漏らし始めた。


『もう少し、穏便に済ませる事は出来なかったのか!?』
「そんな事言ったって、あの場合はしょうがないじゃないか!」

桃城と別れて、家路を歩くは、手塚の説教を憮然とした顔で聞き流していた。
『まったく…結局、手がかりとなる情報も集められなかったし、今日は 踏んだり蹴ったりだ』
「だから、それについてはゴメン、ってさっきから謝ってるだろう!?」

不毛な言い合いを繰り返していく内に、ふたりは繁華街へと移動していた。
その時、前方から見知った人物が歩いてくるのに気付いたは、声をかけた。
「おーい、大和!何やってんだよ?」
「あ…先輩……」
声をかけられた大和は、ラケットケースを小脇に抱えながら返事をしてきた。
「私服でラケットケースって事は…メンテナンスにでも行ってたのか?」
大和のケースを無遠慮に見回すと、は何気なく尋ねる。
「え…ええ。ガットが緩んでいたので、張り替えて貰ってたんです」
「そっか。道具に金を惜しんじゃダメだぞ。時には、パパやママの手伝いして、 お小遣いを稼ぐんだ」
「フフフ…先輩らしいですね」

大和との遣り取りに、手塚は眉間に皺を寄せた。
何故なら、との事が起こる直前、手塚は、ガットの交換をして貰った ばかりという大和に出会っていたからだ。
新たな交換にはまだ早すぎるし、と話をする大和の様子が、無意識に何かを隠そうとしてい るように思えてならないのだ。

「じゃあ、僕はこれで」
「おう、気をつけて帰れよー」
自分たちから背を向けて歩き出した大和を見て、手塚は思わず声を荒げた。
『──、俺と代われ!』
「…え?」
突然の手塚の申し出に、は戸惑いつつも、意識を彼に譲り渡す。
『一体どうしたの?』
「聞かなくてはならない事があるんだ!待って下さい、大和部長!お話が……」
その時。
大和の背を追おうとした手塚の膝が、突如ガクリと崩れ落ちた。
「…!?」
慌てて立ち上がろうとしたが、両腕に力がまるで入らない。
「…大和…部…長……待…っ……」
『手塚くん…?どうしたの!?──手塚くん!?』


地面に倒れこんだ手塚を見て、は悲鳴を上げた。



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