『継承』


『主税(ちから)の野郎…俺たちが、何も思ってない訳ないだろうが!』
『あいつだって、やり場のない想いを、どうにも出来ないでいるんだ』
。お前、何で死んじまったんだよ…』

4年経っても、まだお前らは『あの時』の苦しみに縛られ続けているの?
そして、『あいつ』があんな事をしていたのは、俺の所為?
俺が死ななければ…皆は悲しまずに済んだのに……
でも、俺だって…俺だって好きで死んだ訳じゃない……!


日曜日。
普段は部活は休みなのだが、関東大会前という事もあり、青学テ ニス部は通常どおりの練習を始めていた。
だが、

?」
『……』
幾ら手塚が呼びかけても、からの返事はなかった。
まるで、殻に閉じこもってしまったかのような様に、手塚は深く息を吐く。
「…どうだ?手塚?」
「……昨夜から、何も応えてくれない」
頭(かぶり)を振る手塚に、乾は眼鏡の奥で瞳を細める。
朝。乾は、手塚からの電話での身に何が起こったのか、ある程度の説明を受けた。
そして、それが自分が昨日教えた「賭けテニス」に関係ある事、またその勝負に 挑んで敗れた者も、賭けの首謀者も、にとって、非常に関係のある人物だったというのだ。
「手塚。それって、の意識が消えてしまったって事?」
ただならぬ気配を、それとなく感じていた不二たちレギュラー陣は、いつの間にか 手塚の周りに集まっていた。
「…いや。ただ、の心が、閉ざされてしまっているんだ」
「井坂(いさか)…だっけ?その人の話によると、 大和部長も賭けテニスに挑んでたんだよね?……負けちゃったけど」
「大和部長については、俺もずっと引っかかっていたんだ。まさか、それがこん な事だったとは……」
手塚の返事に、菊丸は絆創膏の貼られた己の頬を、指で掻いた。
「何だか、妙な繋がりを感じるね。青学テニス部にが現れた事、そのと同期で、当時副部長をしていた井坂という人。そして…賭けテニス の首謀者」
「井坂という人物と、賭けテニスの首謀者は知り合いのようだし、 そして、その井坂はのテニス部の同期……」
不二と乾の言葉に、手塚は、暫し眉間に皺を寄せながら考え事をしていたが、やが て顔を上げると、何かを決意したように口を開いた。
「これから、大和部長に話を聞いてみようと思う」
「手塚。関東大会も近いのに、あまりの事に入れ込むのは…」
「──もう、単に俺とだけの問題ではなくなっているんだ。一体、4年前に青学テニス部に 何が起こったのか。単に死亡したというだけで、ここまでの存在がひた隠しになっているのは、不自然すぎると、お前も言っていただろう?」
「手塚…」
珍しく感情のこもった手塚の声を聞いて、乾は小首を傾げた。

先日、と意識が癒着しかかってる事が原因で、体調を崩した手塚は、朧気な意識の中で、 南次郎との話を耳にしていた。
詳細までは覚えていないが、が大変理不尽な仕打ちにより、この世を去った事を知った。

『俺は、周りからどんな酷い事をされても、一切の恨み言を口にしなかったパパたちを、 誇りに思っていたから。俺よりも、残された皆の方がずっと辛いの判ってたから……』

幽霊になってもなお、自分よりも他の誰かを思い遣るに、手塚はほんの一瞬だが、自分が彼に意識を乗っ取られても良いとすら 思った。
だがそんな事を、は決して望まないだろう。
ならば、の現れた原因を探るべく、出来る限りの事をしたい。
ここまで自分が、誰かの為に一生懸命になれるのは、の影響なのだろうか……

手塚は、バッグから携帯電話を取り出すと電源を入れ、数少ないメモリの中から、大和の 番号を呼び出した。


休日で自宅にいた大和は、思わぬ人物からの電話に、少々驚きつつも承諾の返事をし た後で、テニス部の部室へと向かった。
「お待たせしました」
数回ノックした後で、大和はその長身を扉の隙間に滑り込ませた。
「大和部長…突然すみません。お休みの所を」
「いいですよ。ちょうど暇でしたし」
頭を下げてくる手塚に、大和は小さく首を横に振る。
「……で、話というのは何でしょうか?」
部室に集まっている、手塚をはじめとするレギュラーたちを見渡しながら、大和は 穏やかな声で問いかける。
「実は…以前、大和部長にお会いした時に、お尋ねしたかった事があっ……!」
突如、手塚の語尾が不自然に途切れたと思いきや、彼の髪の色素が、薄いものへと変化 していく。
そして、怒りの表情も露に、手塚の拳が大和の顔を殴りつけたのは、それから僅か 数秒後の事だった。

「大和!てめぇ、どうして主税(ちから)や直保(ただやす)の事黙ってた!」
拳を震わせたまま、は地べたに坐り込んだ大和を、怒りの形相で見下ろした。
先輩……」
「俺が、嘘吐かれるのが一番嫌いなの、お前だって知ってるだろう!?」
「お、落ち着けよ!」
「離せ、畜生!」
慌てて傍にいた河村が、を押さえにかかったが、らしからぬ暴言を口にしながら、は、その手を振り解き、再度大和に詰め寄った。
「俺は、お前やみんなが、それぞれに充実した人生を歩んでってくれたら、それで良かったんだ!」
「……」
「いつまでも、俺の事に捕らわれる必要なんかない。…そりゃ、ちょっとは寂しいけど、俺という過去を 振り切って、どんな形であれ、テニスを続けていってくれたら…充分だったのに……」
「どうしても…言えなかったんです……主税(ちから)先輩の事を言えば、 貴方が悲しむ。それが判っていたから……」
「だからって!そんな嘘吐かれても、俺、ちっとも嬉しくないよ!」
大和の胸倉を掴みながら、いつしかの両目から、涙が止め処なく流れ続けていた。
「結局…4年前からずっと、お前ら苦しみ続けてるんじゃないか。俺のせいで…俺があんな事になった せいで……」
「…すみません。すみません、先輩……!」
嗚咽交じりの声を漏らすの身体を、大和はきつく抱き締めた。
サングラスによって、細かい表情までは判らなかったが、部室にいた誰もが、その悲しい横顔に 胸を痛めていた。

「──ねぇ」

ややためらいがちではあるが、その場の雰囲気をそぐようなリョーマの呼びかけが、余り広くない テニス部の部室に響いた。
「さっきから言ってる主税(ちから)って…一体誰?」
帽子の影から伺ってくるリョーマの瞳に、は思わず口ごもる。
『…俺も聞きたい。、主税という人物は、お前にとってどういう存在なんだ?』
「……」
続けられた手塚の問いに、は唇を噛み締めながら俯いた。


その時、

「どうやら、この辺が潮時のようだね」
部室の扉が開いたと同時に、竜崎スミレの姿が現れた。
「竜崎先生!どうして!?」
「乾が呼びに来たんだよ。が暴走するかも知れない、ってね」
苦笑交じりに答えながら、スミレは大和に濡れたタオルを手渡す。
「ホレ。ちゃんと冷やさないと、腫れが引かないよ」
「……有難うございます」

スミレに呼びかけられて、はピクリと身体を震わせる。
「あんたの気持ちも判んなくはない。だけど…勢い任せの暴力はいかん」
「うん…大和、すまねぇ……」
「──いいえ。ぶたれて当然の事をしたのは、僕ですから」
意気消沈したは、力なく頭(こうべ)を垂れた。

「さて…。きっとアンタがここにやって来たのは、『すべてを終わらせろ』ってい う、アンタに良く似たお節介な神様か、誰かの差し金かもしれないねぇ」
「スミレちゃん…」
わざとおどけた口調で言いながら、スミレは、些か緊張した面持ちのレギュラーた ちを見回す。
「……4年前。中々突出した選手が揃わなかった青学(ウチ)に、思わぬ逸材が現れた」
一句一句噛み締めるように話すスミレに、一同は固唾を呑んで続きを待つ。
「その中でも、無敵のダブルスと呼ばれるふたりの部員がいた。ひとりの名前は 。そして、もうひとりの名は川喜多主税(かわきた ちから)」
「え…それじゃその主税って人、のダブルスのパートナーだったの!?」
素っ頓狂な菊丸の声に、スミレは小さく頷く。
「何処までも、自分が強くなる為の努力を惜しまない主税に、卓越したセンスと面倒見の 良さで、部員たちを引っ張っていく。このふたり がいれば間違いない、青学は全国にその名を轟かす事が出来る。……そう思っていた」


一旦言葉を切ると、スミレはこみ上げてきそうな感情を抑える為に、目を閉じて歯を食い しばった。




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