『継承』


に主税(ちから)。そして、 井坂(いさか)の3人は、当時ウチの有力なレギュラー として、部員たちを引っ張っていたんじゃ。お互い、まるで違う性 格ながら、試合の時は本当に息が合った、申し分ないヤツらじゃった…」

窓越しに空を仰ぎながら、スミレは4年分の想いを吐き出すように、深呼吸した。
「地区大会を当然のように勝ち抜き、都大会まであと僅かというある 日。……本人は言うまでもなく、青学テニス部を震撼させる事件が起こった」
「4年前の…青春台の繁華街で起こった、通り魔事件ですね」
「あれほど、首を突っ込むなと言っておいたのに…やはり調べておったのか」
「すみません」
首を竦めて謝罪する乾に、スミレは自嘲気味に笑みを漏らす。
「通り魔事件って…確か、僕たちが小学生の時に起こった事件だよね?」
「うんうん。俺も、ちょっとだけど憶えてるにゃ。高校生だった犯人が、通行人に怪 我を負わせたってヤツ。あの頃、暫く集団下校が続いてたもんね」
「そうじゃ。だが…その事件の陰で、ひとりの人間の命が、理不尽極まり ない手段によって、闇に葬られたんじゃ」
「何ですって……!?」
スミレの科白に、と大和を除いた全員が、思わず言葉を失った。


4年前。
学校の帰りに、繁華街の一角にあるスポーツショップで、調整の終わった ラケットを受け取ったは、そこで事件に巻き込まれた。
麻薬のフラッシュバックによって、残虐な本能そのままに突き進む犯人と、 彼によって傷付き、倒れていく何の罪のない人たちの姿に、は恐怖と怒りに己の身が震えるのを覚えた。
警察に電話をしようと思っていた矢先、の目にある光景が映った。
逃げ遅れ、繁華街の石畳に倒れこんだ幼い子供と、そんな彼を嘲笑うかの ように、迫り来る犯人の姿。

「やめろーっ!」

子供の泣き叫ぶ声を引き金に、は、危険も省みず、ふたりの前へと飛び出していった。


「……子供を庇って刺されたんじゃ。ったく、最後の最後まで節介を 焼きおって……」
堪え切れずに溢れ出た涙を拭うと、スミレはまたひとつ息を吐いた。

子供を守る事は出来たものの、犯人の容赦ない凶刃は、不幸にも の左脇腹にめり込んだ。
その後、程なくして犯人は取り押さえられたが、救急車が到着した 頃には、致命傷を負ったの意識は、既に事切れていたのである。

「じ…じゃあなんで、新聞にもニュースにも、さんの名前が出なかったんスか?それどころか、あの事件で死 亡者がいたなんて、聞いたのはじめてっスよ!?」
「死亡者を出したほどの事件なら、いくら犯人が未成年でも……」
興奮気味に質してきた桃城と河村に、スミレは俯いたままの状態で答えた。
「──未成年の犯罪者に、更生の機会を」
「…え?」
「己の犯した罪を償う為にも、また、成人までに人間としてまっとうな 生活を送れるよう、徒(いたずら)に加害者を刺激するような真似は避けるべ きだ、と主張するヤツがおったんじゃ」
「な…それは一体……!?」
「当時、を死に追いやった犯人の父親じゃ」
吐き捨てるようなスミレの言葉に、更に部室を緊迫した空気が立ち込める。

『いいですか。コレは殺人なんかじゃありません。不幸が重なった事故ですよ』
『ウチの息子も、突然彼が飛び込んできたので、自分が殺されると思い、つい刃物を 向けてしまったと言っております。勿論、その事については、本人も反省して おりますよ』
『死んだ彼には、本当に申し訳ないと思っております。ですが、不幸な事故に いつまでも執着していては、更生の機会すら失わせる事になるのではないでしょうか』

ありふれた口上を並べ立てながら、加害者の父親は、あくまでもの死を「事故だ」と、主張してきた。
それを聞いたスミレは、こみ上げてくる怒りを抑えつつも、毅然と反論を述べた。
「腫れ物を触るように、己のしでかした事を忘れさせるのが『優しさ』ではない。 時には、犯した罪を自覚させて、反省を促すのもまた『優しさ』だ」と。
だが、政界にも幅を利かせるほどの地位と権力を保持していた加害者の父親は、 頑ななスミレの態度を見るや否や、卑劣極まりない手段に出た。

『繁華街で中学生が死亡…と聞けば、よからぬ想像を働かせる輩は、私の周 りには吐いて捨てるほどおりましてね。そのような噂が流れてしまっては、 テニスの名門と言われた貴方の学校にも、大変不名誉な事ではないでしょうか?』

有無を言わせぬ男の圧力に、孤軍奮闘していたスミレも、泣く泣くその要求を 飲むしかなかった。
の事で騒ぎ出せば、テニス部だけでなく、青学を永久に体連から追放する。 そして、ヤツらには実際にそれを可能にする程の力を、充分に持っておった。…情け ない話だよ。アタシは、テニス部存続との命を、天秤にかけたんじゃ……」
「違うよ。スミレちゃんは、充分頑張ってくれ たじゃないか。パパもママも、スミレちゃんには本当に感謝してるんだ」
「違うものか。お前が死んだ後も、お前の家族は、ずっと苦しめられてきたじゃな いか。お前の弟だって……」
「弟…?」
不二の呟きに、スミレは小さな声で応じる。
には、当時小学6年生の弟がいたんじゃ。が亡くなった翌年の冬、彼は青学(ウチ)を受験したんだが…」

『……判って下さい。彼を思い起こさせる人物を、ウチに迎え入れる訳に はいかないのです』

肉親という理由だけで、の弟は、試験の成績に関係なく、不合格として処理されたのだ。

「あのコにも、本当に済まない事をした…、何の慰めにもならんが、あんたの弟は、そりゃあ素晴らしい成績 だったんじゃよ」
スミレの言葉に、は両目に涙を溢れさせたまま、小さく頷いた。
「どういう事情であれ、当時の部員たちから見れば、大人の勝手な都合で、 大切な仲間を見捨てたも同然だったんじゃろう……どうにか都大会は通 過したものの、ワシらの態度に不満を募らせた部員たちが、一 斉に退部してしまったんじゃ」
結局その事が原因で、その年の関東大会は、棄権せざるを得なくなった。
スミレの声を聞きながら、当時の事を思い出したのか、大和が辛そうに眉を顰める。
「そして、その中には主税(ちから)もいた。余程辛かったんじゃろう… 何せ、の葬式に来る事すら出来なかったのだから。そんな主税たちを、 ワシには止める権利も資格もなかった」
「そんな中、井坂先輩は、懸命にテニス部の建て直しに尽力して 下さったんです。僕も…先輩のテニスに対する想いを引き継ぎたい、そして、君たちにも 伝えたかったから……」
「大和部長……」

「でもさ。その主税って人、ホントにの事、大切に思ってた訳?」
不意に、何処か機嫌を損ねたようなリョーマの声が、周囲の空気を寸 断した。
「おい越前!お前、なんて事言うんだ!」
「だって、そうじゃないっスか。パートナーを見取る事も せず、テニスからも逃げて、裏のストリートでいきがって。そんな ヤツに、が気に病む必要なんかないって、言いたいだけっス」
「…俺は、何となくその人の気持ち、判るにゃ……」
相変わらずのリョーマの態度に、桃城がもう一度怒ろうとした矢先、 菊丸がポツリと言葉を漏らした。
「だって…もし、大石がのような事になったら……俺、何するか判んないもん。 犯人に復讐するかもしんないし、テニスも続けられなくなるかも……」
「英二…」
しゃくり上げ始めた菊丸の肩を、大石は優しく叩いた。
彼らの対角に坐る不二と河村は、無意識に互いを見詰め合う。
「突然パートナーを失い、主税も自分の気持ちをどうに も出来なかったんじゃろう。中学を卒業後、主税は外部の学校 に進んだ。それからは、とんと音沙汰がなかったんじゃが……」
「今年の春になってから、ストリート場に妙な噂が流れたんです。 『ラケットを賭けた野試合を行うプレイヤーがいる』と。僕も、始めは 何とも思わなかったのですが、話を聞いていく内に、それが主税先輩だ という事に気付きました。そして、それから暫くしてからです。 先輩が現れたのは…」
スミレの言葉を引き継ぐように、大和が口を開いた。
「じゃあ…先輩をこの世に呼び出したのは……」
「ほぼ99パーセント以上の確率で、彼という事になるな」
眼鏡を動かしながら、乾は努めて平静な口調で応じた。


「…人の想いって、凄いね。良し悪しはともかく、ここまで誰かを 突き動かすものなんだ」
何処か神妙な面持ちで、不二がぽつりと漏らした。
「4年前に…ウチのテニス部に、ここまでヘビーな事件があったな んてな。…たまんねーな、たまんねーよ……」
「…で、はどうするの?」
「──え?」
不意に声をかけられて、は、やや慌てたようにリョーマを見た。
「アンタを、ここに呼び出した人間が判ったんだよ?そいつに会えば、 アンタも元の世界に戻れるんじゃないの?」
「……」
リョーマの問いには答えず、は再度視線を床に落とす。
「それに…その人に会うだけでいいの?……」
重ねて尋ねてきた菊丸に、は一瞬だけ身を竦ませたが、頭をひとつ振ると、低い声で 言葉を吐き出した。
「会った所で…アイツが、俺の事を判る訳ないし…ドチビの言う通り、 昔はともかく、今のアイツにとって、俺が大切な存在だっていう保証 なんかないよ」
『…!』
「そんな事より、もうすぐみんな関東大会じゃないか。俺の過去 なんか水に流して、全国へ向けて頑張らなきゃだめだろ?」
だが、そんなあからさまなカラ元気に引っかかるほど、部員たちは愚かではない。
『バカを言うな。お前をこの世に呼び出した事が、何よりの証拠じゃないか』
『…それは、単に約束を果たせなかった俺に対する恨みつらみが、膨れ上が っただけかも知れないよ』
手塚の苦言にも拒絶の意を示したは、諦観気味に言葉を続ける。
「それに…アイツが苦しみ続けてる原因の俺がいれば、もっと酷い事になる 可能性だってある。…所詮、過去は過去だよ。俺、これ以上アイツやみん なが苦しむのは見たくない」
さん…」
「確かに、ちょっと名残惜しいけど、いつまでも手塚くんに不自由させる訳 にもいかないしね。丁度いいよ。この辺でサヨナラしよう。ドチビ、帰りに お前のパパの所へ行っていいか?」
がそれでいいなら、構わないけど…」
語尾を濁すリョーマを無視するように、は立ち上がると、ロッカーから荷物を取り出そうとする。

ところがその直後、の手は、物凄い力によって引き戻された。
痛みに顔を歪めていると、それまでひと言も話さなかった海堂が、真っ直 ぐにこちらを睨んできた。
「海堂くん…?」
「俺は、ハッキリ言ってアンタの事が嫌いだ」
1ミリの隙もない口調で、海堂はに詰め寄る。
「手塚部長を差し置いて、好き放題しまくるし、いらない事にまで首突っ 込んで周囲を混乱の渦に巻き込むし、その癖、ムカつくほどテニスは強ぇし……」
容赦ない言葉の応酬に、は手を掴まれたまま、数歩後退する。
「だけど、そんな俺でもひとつだけ言える事がある」
「え…」
「──今、アンタがしている事は間違ってる」
海堂の科白に、は弾かれたように顔を上げた。
「いつものお節介なアンタは、どうしたんだよ?ずっと一緒にプレイしてた パートナーだったんだろ?大切なダチだったんだろ!?」
もう一方の手首も掴み上げると、海堂は更にに迫った。
「そのダチが苦しんでるのに、何してんだよ!?そいつが間違った事をしてん なら、ブン殴ってでも止めるのが、本当のダチじゃねーか!」
「…!」
「俺なら…自分が認めたダチを、見捨てたりはしねぇ…絶対に最後まで諦めた りしねぇ!」
一瞬だけ、桃城を横目で盗み見ると、海堂はに自分の想いをぶつけた。
「海堂の言う通りだよ。未だ、帰るには早い」
海堂の言葉に呼応するように、不二もまた立ち上がった。
「言ってたじゃないか。自分の大切な人間が助けを求めてき た時には、手を差し伸べてやれって。きっとその人、助けて欲し いから、無意識にお前の事を呼んだんだよ」
「不二子…」
「そうっスよ、さん。最高のパートナーだったんでしょ?会いも しないで決め付けるなんて、さんらしくないっスよ」
「『99パーセントはあっても、決して100パーセントはない』。…そ う言ったのは、お前だぞ。未だ人生の歩みを止めていない彼を、ど うして判断する事が出来るんだ?」
「桃くん…貞治さん……」
「お願いにゃ、。主税って人に会って、その人を助けて上げて!」
「これ以上、悲しみを広げないためにも…先輩!」
「そうだよ、。きみなら出来るよ!」
「勝負もしない内から、逃げ腰になるなんて…もまだまだ、だね」


「みんな……」
先程までとは違う種類の涙が、新たにの頬を伝った。
『……手塚くん』
『何を迷う事がある』
ためらいがちに呼びかけた声に、穏やかな手塚の返事が返ってきた。
『今の俺たちは、ふたりでひとつ、だろう?』
『手塚くん…』
『やるんだ。お前のパートナーを救う為に。そして、4年前から続いている 悲劇に、幕を下ろすんだ』
は力強く頷くと、片手で涙を拭い、大和に向き直った。
「──大和。賭けテニスの申し込み方法と、お前が主税と試合した時の事 を教えろ」
「……先輩!」
「なるべく関東大会に影響が出ないようにするけど、場合によっては、ちょ っと無茶をさせるかもしれない。…それでもいい?」
『無論だ。俺の心は決まっている』
「有難う」
…」
「スミレちゃん。俺、やってみる。上手くいくかは判らないけど、やっぱり このままにはしておけない」
涙の跡が残っていたが、迷いのなくなったの瞳に、スミレは感慨深げに頷いた。
「……そうかい。なら、頼んだよ。どうかあいつを…主税を救ってやってくれ」
「大丈夫。に……任せて」


いつものおどけた口癖ではない、決意の言葉が、部員たちの耳に心地よく 響いていた。




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