『継承』


『──……で、腕を痛めました。今、病院にいます。俺の代わりに 桃城をエントリーして下さい』

関東大会一回戦当日。
竜崎スミレの携帯に、思わぬ電話が飛び込んできたのを皮切りに、その日 の青学テニス部にとって、慌しい事この上ない一日になろうとは、この時スミレはおろか、 誰も予測がつかなかった。


「…という訳で、大石がここに向かう途中、妊婦さんを庇って怪我をした。 大石本人の希望もあり、今日の氷帝戦のD2は菊丸と桃城でいく事にする」
「えぇっ!?」
「け、怪我って!大石は無事にゃの!?」
大所帯の部活が誇る大応援団の中、少人数精鋭で臨む青学テニス部コートサイドは、 「青学の母」たる副部長の不在と、顧問の口から出た凶報に、ダブルスのパートナーで ある菊丸から、不安に満ちた声が飛び出した。
「それほど重症ではない、と言ってたが…腕を捻ったようだから、無理はさせられん」
「で、でも…!」
「落ち着きなよ、英二」
これから強豪・氷帝との大事な試合を前に、思わぬ大石の戦線離脱を聞いて、すっかり取り乱し てしまっている菊丸に、隣に立つ不二がそっと嗜める。
「そ…それで?大石くんの容態は?そんでもって、予定日は!?出産は!?男の子か女の子か性別はー!?」
「──キミも落ち着こうね」
身を乗り出してスミレに詰め寄っているのジャージの襟首を掴むと、不二は勢い良く引き寄せた。
あわわ、と身体の均衡を崩し、後方に倒れそうになるを、河村が慌てて支える。
「ちょ、ちょっと待って下さいっスよ!大石先輩の代役が俺って一体…!?」
寝耳に水の事態に、桃城も戸惑いの表情を隠せないでいた。
「第一俺、今はレギュラーじゃないし、普通なら補欠の選手に頼むのが……」
「今回の補欠は俺っスよ、桃先輩」
「桃くん。このドチビにダブルスが務まると思う?」
「うるさいよ、
すかさず憎まれ口を挟んできたリョーマを他所に、桃城は渋面のまま視線を落としている。
そんな桃城の前に回ると、は真っ直ぐに彼の瞳を覗き込んだ。
「大石くんが、半端な気持ちで君に代打を頼むと思う?」
「それは…でも」
「レギュラージャージの重さは、桃くんだってよーく判ってるでしょ?」
言いながら、は、青学ベンチとは反対側にある大所帯の氷帝チームを一瞥する。
「人海戦術がウリの氷帝ホスト軍団に対して、こっちはさしずめ『特攻野郎○チーム』。 アウトローの意地、ここで見せなきゃ男じゃないよ」
「…何っスか?その『○チーム』って」
「細かい事は、気にしないの」
バサリ、と羽織っていたジャージを脱いだは、それを桃城の肩にかけてやった。
何処からか「てめぇ桃、ずりーぞ」といった声が飛んできたが構わずに、は桃城にもう一度微笑みかけた。
そんなの笑顔につられたように、桃城は小さく頷くと、意を決したように顔を上げる。
だが、

「おーいしぃ…」

拭い切れない不安を抱えたまま、今はここにいないパートナーの名を呟く菊丸に、も、そして彼の裏で手塚も一抹の不安を覚えていた。


「勝つのは、氷帝!」
「負けるの、青学!」

名物ともなっている大所帯の声援と、氷帝が誇るD2の忍足と向日の絶妙なコンビプレイに、本調子とは程遠い 菊丸と、何処となくぎこちない桃城のふたりは、すっかり翻弄されてしまっていた。
「0-4!」
「…だーかーら!どうしてそこでふたりして遠慮し合っちゃんだよ、もう!」
もどかしさを隠せずに、にしては珍しく、苛立たしげに声を荒げた。
「大体、かつての俺と違って、治療が終われば大石くんは戻ってくるんだから!例えいつもと違うパー トナーでも、同じ仲間だろ!?そんな事も判んないのかよ、英二くんは!」
『──落ち着け、
たまりかねて、菊丸たちのもとへ駆けつけようとするを、手塚の冷静なひと声が止めた。
『お前が助言を与えれば、それなりの改善は見込めるだろうが…今はダメだ』
「どうして?このままじゃ、英二くんたち負けちゃうよ!」
『まだだ。ゲームセットの声を聞くまでは、勝負は終わらないのだろう?』
「手塚くん…」
ベンチで束の間の休息を取る桃城たちに、手塚はそっと目を配る。
『自分たちが気づかなければ、これから先関東大会、果ては全国の強豪相手に、到底通用する 筈がない。ここは、見守るしかないんだ』
「でも…手塚くんは腹が立たないの?特にあのダブルスのちっこい方!さっきからずっと、こっち を挑発しまくりなんだよ!」
『そうだな。俺も、何度か撃ち落としたくなった』
「…え?」
『冗談だ』
思わぬ人物からの軽口を聞いて、は怒りも忘れて呆気に取られる。
『お前も部長なら、部員を信じろ。俺は信じている。ふたりが立ち直ってくれる事。 そして…』

「──そして、主人公がピンチに陥った時は、必ず何処からともなく救いの手が現れるって 事も、な」
「大石くん!?」
「ただいま、手塚。それに先輩」

いつの間に戻ってきたのか、病院で手当てを受けていた筈の大石が、ひょっとこりと手塚と の背後から現れた。






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