『継承』


掟破りの逆転劇で、D2を制した青学だったが、続く氷帝の宍戸・鳳コンビに 対しては、流石に二度目の奇跡は起こらなかった。

「相手を舐めてる、と言うよりは…パートナーに対する信頼と経験が、海堂くん と貞治さんを上回っていたってカンジだね」
ネット越しにぶつけられた、氷帝の宍戸の言葉を、は頭の中で反芻させる。
「それでも、収穫はあったと思うよ。お陰で海堂のブーメランスネイクが、確実なモノ になった」
汗を拭きながら、先程試合を終えた乾が、の隣へ腰掛けてきた。
未だ疲労の色は見せているもの、淡々と答えてくる乾に、はひとつ、疑問を投げ掛けてみる。
「…随分とクールな事で。それって先輩の余裕?」
「まだ2試合終わっただけだからね。気落ちしている暇はないよ」
「何だか、試合に負けたのに全然悔しくなさそうに見えるんだけど?」
「……本気でそう思ってるの?」
「──ううん」

乾の語尾が、ほんの僅かだけいつもより強かったのを聞いたは、瞳を細めて相槌を打った。


ダブルスが終わって、戦績は互いに1勝1敗。
シングルス戦最初の試合は、河村と樺地による重量級対決である。
巨体を誇るふたりがコートに立つと、本当にここは中学生の大会なのかと 錯覚してしまう。
「いいか、樺地。15分で決めてこい」
「ウス」
曰くありげな視線をやりながら、跡部は目の前にいる長身の大男に呼びかける。
かけられた方は、ただひと言短く肯定の返事をした後で、コートに向かって歩を進めていく。
「…ケッ。なーにが『決めてこい』だ。自分が試合する訳じゃないのに、えっらそーに」
そんな跡部の姿を、遠巻きに眺めていたは、手塚の意志とは無関係に表情を苦々しく歪めていた。
そして、それまで手にしていた応援旗を下ろし、軽くウォーミングをする河村に駆け寄る。
「いい?河村くん。あんなホストの親分と黒服モドキなんかに負けるんじゃないよ」
…うーん、まあ頑張るよ」
「そんな弱気じゃダメだって!いい?向こうが『15分で』なんてほざいてるなら、こっちは 14分59秒で決め……!」
刹那。

「試合前の選手に下らない事言って、プレッシャーかけるの止めてくれる?」

の脳天を、カバーに包まれているとはいえ、容赦ないラケットの一撃が 炸裂する。
「ハイ、タカさん。ラケット♪」
「あ、有難う不二」
つい今しがた、に放ったものとは打って変わった優しい口調で、不二は手にしたラケットを 河村に渡した。
「てんめー…不二子ぉ!舌噛んだぞ今!加減ってモンを知らねーのかよ!?」
君に対してはね。カドでやらなかっただけ、有難いと思っておくんだね」
「……今日という今日は、白黒ハッキリさせなきゃならないようだな。表出ろ!」
「既にココ表だよ!バカじゃないの!?」
「S3の選手は、早くコートに来なさい!」
いつぞやの「頂上対決」再発か、という所を、主審の声が中断する。
「あ、じゃあ。俺そろそろ行くね。何だか、ふたりのお陰で緊張が解れてきたよ」
朗らかな声で言いながら、河村はいそいそとコートに走っていく。
邪気のない河村に、と不二は互いに押し黙ると、そっぽを向き合った。


持ち前のパワーで敵を圧倒する戦法がモットーの河村だったが、 対する氷帝の樺地は、その巨体とは裏腹に、相手のくり出す技をまるでそっくりに 返してくるという、異様な能力の持ち主であった。
「なるほど…『純粋故に、何でも吸収してしまう』か……」
いつかのストリート場で、桃城と一緒に樺地と相対した事を思い出しながら、 はコートに視線を走らせる。
「河村くん…どうする?単に力押しだけじゃ、通用しない相手だよ…」
それは、コートでストローク勝負を繰り返す河村も、同様に感じていた。
『このままじゃ、いつまでたっても埒が明かないな…』
まるで、もうひとりの自分を相手に試合をしているような気分になりそうなのを、 河村は歯を食いしばる事でどうにかこらえる。
不器用な自分には、他のレギュラーたちのような技巧で相手をかわす事など出来ない。
ただひたすら、己の力をストレートにぶつけて行くだけだ。
そんな自分に、今出来る事は……
表情の読めないネット越しの樺地を一瞥しながら、河村は脳裏にとある策を思い浮かべた。
『──ええい、こうなったら強引にいくしかない!』
両手でラケットを握り直しながら、河村は、迫ってきた打球を渾身の力を込めて叩き返した。
「ああっ!あれは!?」
ダブルハンドで打たれた河村の球は、尋常ならざる威力とスピードを帯びながら、樺地のコートへ 襲い掛かった。
それまでの河村の球とは明らかに異なっていたそれに、樺地は少しだけ瞳孔を開いたが、やはり それ以上表情を変える事無く反応する。
だが、河村の打球を捕らえた瞬間、彼の眉が僅かに動いた事に気付いたのは、樺地本人を除いては ほんの一握りの人間だけだった。


「あれは…波動球!河村のヤツ、勝負に出たのか…?」
「波動球って…不動峰中の石田くんってコが使ってたアレ?」
返事のかわりに頷いた乾を一瞥した後で、は滴る汗を拭う河村に視線を移した。

関東大会前に、青学テニス部は不動峰中を招いての練習試合を行っていた。
練習試合という事で、当日はも手塚に代わって参加していたのだが、試合中、不動峰中の選手が繰り出し てきた打球に、正直度肝を抜かれた。
地区大会での対戦記録と乾の説明で、それが「波動球」という強烈なフラットスト ロークである事を教えられた。
不動峰中テニス部の部長兼監督の橘が、その選手に使用回数を制限するほど、打球以 上の負担が身体にかかるのである。

「石田くんも河村くんも、体格に恵まれてるからどうにか操れるもの の…あの球を打ち続けようものなら、いくらなんでも身体がイカれちゃうよ!」
「タカさん…!」
球を繰り出す度に、明らかに不自然な汗をかき続ける河村を見て、と不二は表情を曇らせる。
やがて、樺地からセットを取り返した河村がベンチに引き上げてくるのを見止めると、 はいても立ってもいられず、彼の元へと駆け寄った。
「何て無茶な真似を!勝利の前に、河村くんの腕がやられちゃったら、どうするんだよ!」
…」
タオル越しにを見た河村は、うっすらと笑みを浮かべる。
「試合はまだイーブン。これから不二子も手塚くんもいるんだから!君ひとりが無理しなきゃなんな い道理なんか、何処にもないじゃないか!」
「……心配してくれて有難う。でも、俺が頑張るのはそれだけじゃないよ」
ひとしきり汗を拭った河村は、タオルを首にかけながらに向き直った。
「あのね、。俺…テニスは中学までって決めてるんだ」
「え…?」
「ホラ、俺…実家がすし屋だろ。中学卒業したら、本格的に親父の後継ぐ修行始めるつもり なんだ。そうしたら、もう今までのようにはテニスに打ち込めなくなるから」

都大会後の祝勝会で、河村がすし屋の息子だと知ったは、それ以来何かと理由を付けては、店が定休日の時に、自主的に修行をする 河村の元へ足繁く通っていたのである。
が、俺の試作品を『美味しい、美味しい』って食べてくれるの、本当に 嬉しかったよ。お陰で、最初は正直キツかった修行も、最近では楽しくなってきてるんだ」
「河村くん…」
なら気付いてるだろうけど、彼に勝つのは…今の俺には正直難しいだろうね」
そう言って苦笑する河村を見て、は瞳を曇らせる。
「だから…今の俺に出来る事は、これしかない。不二と手塚に繋げるためにも、青学が勝利を 勝ち取るためにも。そして、全国へ……俺の中学のテニスをもう少しだけ繋げる為に」
「!」
眼を見張るに微笑みかけると、河村はタオルを投げ捨て勢い良くベンチから立ち上がった。
「いよっしゃー!ふっかーっつ!完全燃焼でいくぜぃ、ちゃーん!骨は拾ってくれよ!?」
「……あいよぉ!行っといで、おまいさん!」
そんな河村の心意気に応えるように、は涙が滲み始めた眼を慌てて拭うと、何処からか取り出した火打ち石を、彼の背 に打ち鳴らした。


以降のゲームは、「波動球合戦」の名に相応しい、魔球の応酬だった。
球を打つ度に、全身に疲労と鈍痛が襲うのだろう、ぎり、と歯を鳴らしながら痛みを堪える 河村に、はつい見ていられなくなる。
(目をそらすな。最後まで見届けなければダメだ)
その時、優しく諭すような手塚の声が、に届いてきた。
「手塚くん…でも」
(河村の覚悟を聞いただろう?それに…試合が終わる頃には、流石のあいつでも 身体がガタガタになっていると思う。だから…お前が、少しでも河村の痛みを和らげて やってくれ)
やがて、体力を消耗しきった樺地の「もう、打てません」という呟きを聞きながら、 河村もガクリと地面に崩れ落ちた。
両者試合続行不可能による引き分けに終わったS3に、両校のベンチサイドはもと より、観客からもどよめきと感嘆の声が漏れた。
「河村くん!」
満身創痍で戻ってきた河村に近付くと、は彼の腕を注意深く観察しながら、筋肉の流れに沿って腕をマッサージする。
「しっかりして!今、スミレちゃんがタクシー呼んでるから!」
「あはは。流石にちょっと疲れたかな」
の手の温もりを感じて、いつもの様子に戻った河村は笑顔を作る。
「──
「…なに?」
「試合して思ったんだけど…やっぱり俺、自分が思ってるよりもテニスの事が好きみたいだ。 だから…中学が終わっても、テニスから完全に縁を切ったりはしないよ。細々とだけど、 続けていこうと思うんだ」
「河村くん…!」
「そんな風に思えたのは、のテニスに対する想いに影響されてだよ。本当に有難う」
途中で言葉を切ると、河村は少しだけ俯くと、声のトーンを落とした。
「もう少ししたら、多分こんな風には会えなくなると思うけど…俺、忘れないよ。あと …これからも俺の寿司、食べてくれると嬉しいな。お盆やお彼岸には、の大好きな鉄火巻作って待ってるからね」
「……俺だって…俺だって、河村くんの事忘れないもん!お寿司だっていつでも食べに行くもん! そして…いつか生まれ変わったら、立派な二代目主人になった河村くんに会いに行くんだから!」
「──うん。楽しみにしてるよ」


気付けば、手当てをしている筈がいつの間にか、は涙で顔をクシャクシャにさせて河村にすがり付いている所を、不二とスミレに止められていた。
やがて、変わらぬ柔和な笑顔をひとつ残して病院へ向かう河村を、は涙でぼやけた視界のまま見送っていた。






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