真夏の太陽の下、青春台某所の霊園の一角に、黒服に身を包んだ青年達が集結していた。 「……待ってたぞ。やっと来たな」 元青学テニス部副部長井坂直保(いさか ただやす)は、こちらへ近付いて来たふたつの人影に、 口元を綻ばせる。 「井坂、みんなも…今まで本当にすまなかった」 加瀬純司(かせ じゅんじ)と共に現れた川喜多主税(かわきた ちから)は、神妙な面持ちで 先に来ていた井坂をはじめとする元テニス部のメンバーに頭を下げた。 「いいさ。こうしてまた、みんなで集まる事が出来たんだから」 「そうそう。もう苦しむのも、必要のないケンカも、全部おしまいだ」 井坂の隣にいた雨宮享一(あめみや きょういち)と浜名千糸(はまな ちいと)は、再び仲間 として現れた主税たちに笑顔を向ける。 「また…昔みたいに楽しくやれるといいですよね」 和気藹々と話す先輩たちの姿を見て、彼らより一年後輩である深巻平良(ふかまき たいら)と 左近寺了(さこんじ りょう)が、嬉しそうに声を弾ませる。 「──いや、それ以上だ。そうだろ?」 言いながら、井坂は、彼らにとって大切なかつての仲間が眠る墓石を振り返る。 そこには、仏花や生前のの好物に加えて、一冊の雑誌が供えられていた。 夏の全国大会を前に、『月刊プロテニス』から特別増刊号が発売された。 そこには、大会出場校の紹介に加えて『心技体・そして想いは今も受け継がれてい た〜東京・青春学園中学〜』というトピックが設けられ、これまでテニス界から完 全に黙殺されていたの存在が、特集記事を通じて、再び表舞台に登場する事となったのだ。 発行にあたり様々な妨害も懸念されたが、後ろ盾にいたのが世界有数の資産家である跡部コンツ ェルンとあっては、流石に手は出せなかったらしい。 それと同時に、かつての存在を抹消した張本人及び一族に関する汚職やその他余罪などもリークされ、ついに観 念せざるを得ない状況に陥ったようである。 後に、それらに関する事柄を氷帝の跡部に尋ねた所、 「アァン?礼なんか言われる筋合いねーぞ。俺はただ、この俺様に舐めた真似しっぱなしのまま、ト ンズラこきやがったのバカを、白日の下に曝け出してやっただけだ!」 と、鼻を鳴らせつつ言い放ったという。 の一件が済んだ後、療養の為に九州に発った手塚は、暫くの間は少しだけ塞ぎ込んでい たようだが、全国大会が始まる頃には、吹っ切れた様子でメンバーと合流を果たした。 「これまで俺は本当に、青学テニス部部長の務めを果たしていたのだろうか。残さ れた時間は僅かだが、改めてもう一度部長という肩書きと、それに伴う使命や責務について考えてみ たいんだ」 そう言って、大会中は副部長の大石と共にメンバーをまとめ、大会が終わった後も、時間の許す限り 部活に顔を出して、レギュラー以外の部員たちの指導を積極的に行っていた。 その姿を見たレギュラー陣から、まるでのようだと揶揄された手塚は、少しだけ照れ臭そうに、でも何処か嬉しそうに笑っていた。 その後、部長と副部長を桃城と海堂に引き継いだ青学テニス部は、夏休みも終盤に近づいたある日、思わ ぬ来客を迎える事となった。 大和に連れられた人物を見て、一同は弾かれたように声を上げる。 「「「()!?」」」 「…『ちゃん』を知ってるんですか?」 良く似た面影を持つその人物の正体は、の弟であった。 『月刊プロテニス』等を通じての名誉が回復された後、青学からこれまでの詫びも含めた特別な措置として編入試験の誘いを 受け、2学期から青学の高等科1年に通う事が決まったのだという。 の話を聞かせて欲しいから、と時々ここに訪れたい旨を告げてきた 彼に、一同は諸手を上げて歓迎した。 気の早い菊丸などは、早くも高等科で彼と一緒に過ごす事を、考え始めているようである。 【エピローグ】 3年生が卒業し、新しい春を迎えた青学テニス部室。 「なあなあ、海堂。こないだ部長…じゃねぇ手塚さんから連絡あって、あの主税さんと井坂先輩が、夏の ユニバーシアードに出場決まりそうだってよ。予選会でも、息の合ったダブルスで並み居る選手をバッタバッタ打 ち倒したらしいぜ。凄ぇよな」 「そうか。そりゃ良かったな。…で、いい加減こっちのダブルスも決めろよ。遠征まで日がねぇっつうのに、何グズ グズしてやがる」 「う…」 青学テニス部長桃城武は、近日中に行われる遠征試合のオーダー作成に四苦八苦していた。 頭をグシャグシャと掻き毟る桃城に、海堂が息を吐きつつ言葉を続ける。 「ダブルス層が薄いのは、今に始まった事じゃねぇ。俺かお前が回るしかねぇだろうが」 「いや、まあ、判ってんだけどよ…シングルスはいいとして…っかぁ〜、マジでダブルスどうすんべ」 「ただいまっス、先輩。これ、頼まれたヤツ」 すると、そこへリョーマが、飲み物その他を下げた袋を手に部室に戻って来た。 「すまない。ご苦労だったな、越前」 袋を受け取りながら、海堂はリョーマに礼を言う。 「別に。こういう時、必ず海堂先輩奢ってくれるし。桃先輩、まだオーダー決めてないんスか?ちなみに、俺じゃダ ブルスは無理っスよ」 ファンタを開けながら、リョーマは桃城に呆れたような視線を送る。 「お前はハナっから数に入れてねぇから、安心しろ。う〜ん…となると、俺がダブルスに回ってまさやんと組ん で…もう1つは……」 「荒井はどうだ?前に加藤と組ませたら、シングルスの時より良い成績出してただろ」 「あ、言えてる。カチローなら、荒井先輩の傍若無人な態度にも、くっついていくだろうし」 「荒井も、お前には言われたくねーだろーな……お、そうだ」 徒にペンを走らせていた桃城は、その手を止めると顔を上げる。 「竜崎先生から聞いたんだけどよ、今年の新入生に、全日本ジュニアのチャンプがいるって話だ」 「ほぉ」 「東京が地元ってのもあるんだろうけど、あちこちからの強豪校のスカウト全部断って、青学(ウチ)一本に 絞ってきたらしい」 「それは、良い戦力になりそうだな」 「ふーん。どんなヤツだろ。退屈凌ぎになるといいんだけど」 いつの間にかオーダーそっちのけで、三人が話し込んでいると、部室の外から控えめなノックの音が聴こえて来た。 海堂がドアを開けると、真新しい制服に身を包んだ少年が、ラケットケースを肩に下げながら佇んでいた。 「新入生か?入学式は、明日だぞ」 「知ってます。今日は、ご挨拶に来たんです。ここ、テニス部ですよね?」 幼さが残る面立ちの少年は、海堂の三白眼に、僅かに表情を硬くさせながら返事をする。 その様子に気付いた桃城とリョーマも、席を立つとふたりの傍へ移動した。 「…お。もしかしてお前、全日本ジュニアチャンプか?」 「えっ?あ、あの、は…はい…」 「やっぱりそうか。まさに噂をすればなんとやら、だな。ようこそ青学テニス部へ。俺は部長の桃城だ。ヨロシク!」 「副部長の海堂だ」 「俺は、2年の越前リョーマ。入学式も未だなのにラケット持ってるって事は、俺達に勝負でも挑みに来たの?」 「は?ち、違います!あの、俺、訊きたい事があって、その……」 暫し、口の中でモゴモゴと何やら反芻させていた少年は、やがて意を決したように顔を上げると、次のように問い掛けてきた。 「質問があります。…先輩達は、昔この青学テニス部にいたという人を、ご存知ですか?」 少年の質問に、三人は思わず言葉を失う。 「……どうして、その名前を?」 ややあって、先程より表情を強張らせた海堂が尋ねると、 「──命の恩人なんです。俺の…」 少年は、肩に下げていたラケットケースを両手に抱えながら、口元を引き締めた。 4年前。 両親に連れられて青春台の繁華街へやって来た少年は、スポーツ店で新しく買って貰 ったテニスシューズを履いたまま、普通の靴に履き替えろという親の小言も余所に、上機嫌 で外へ飛び出していた。 新しいシューズの履き心地を、石畳の道を踏み鳴らせながら堪能していると、不意に何処かから甲高い悲鳴が聴こえて来た。 何事かと振り返った少年は、目の前に鋭利な刃物を手にこちらへ突進してくる人影を見つけた。 錯乱しているのか、尋常ではない雄叫びを上げながら向かってくるその人物に、少年は地面にへたり込む。 抵抗する術を持たないか弱き子供を見止めた襲撃者は、少年の悲鳴を引き金にして、絶好の獲物とばかりに手にした刃物を振り上げてきた。 「やめろーっ!!」 だが次の瞬間、力強い制止の声が、少年の鼓膜を刺激した。 それまで反射的に目を瞑っていた少年が恐る恐る目を開けると、そこには警官 に取り押さえられた襲撃者と、石畳に倒れ込んだ男子学生の姿があった。 訳が判らず泣く事しか出来ない少年に、その男子学生は、僅かに顔を動かすと、ややぎこちない笑顔で話しかけてきた。 「大丈夫か…?」 伏したまま問い掛けてくる男子学生に、少年は震えながら頷く。 「テニス…好き、なのか……?」 「……どうして判るの?」 「そのシューズ。新しいの、嬉しかったんだろ…?俺も、そうだから……」 何処か痛むのか、顔を顰めながら笑う男子学生は、少年の足元に投げ出されたテニスのラケットケースを、力なく指差した。 「それ…やる。今はちょっと大きいけど…大事に、使ってくれよ…?」 「え…でも、でも、お兄ちゃんは……?」 促されてラケットケースを手に取ったものの、少年は戸惑いがちに男子学生を見る。 「大丈夫。こう見えてもお兄ちゃん、テニスの強〜い学校の部長なんだ。他にも沢山ラケット持ってるから…」 浅い呼吸を繰り返しながら、言葉を告げてくる男子学生の真剣な眼差しを受けて、少年は、無意識にラケットケースを胸に抱いた。 「お兄ちゃんの学校に行ったら…テニス、強くなれるの…?」 「……勿論。なんたって、気合と……魂、こもりまくったトコだから…な……」 その後、少年の周囲は、救急隊や警察その他野次馬などで溢れ返り、警官によって両親のもとへ連れられた少年は、男子学生 とそれきり言葉を交わす事も、姿を確認する事も出来なくなってしまった。 別れ際に貰ったテニスラケットも、はじめは返却するつもりでいたが、事件後、男子学生の行方がまったく判らなくなり、 連絡の取りようがなくなってしまったのだった。 「だけど、去年の夏…やっとあの人の事を知りました。そして、あの人が口にしていた『魂』という言葉の意味も」 目尻に涙を浮かべながら、少年は、から譲り受けたラケットをもう一度抱き締める。 「あの人が助けてくれたから、今の俺がいる。あの人が愛していたというこの青学テニス部を、『青学魂』をどうか…ど うか、俺にも教えて下さい!お願いします!」 「──へへっ…こりゃ、青学は今年も安泰だぜ」 「きっと、今頃あの世で狂喜乱舞してるんじゃない?」 「…違いねぇ」 鼻を啜りながら口角を綻ばせる桃城に、リョーマと目尻を拭う海堂も、肯定の意を返す。 次いで、少年に向き直った三人は、各々のラケットを手に取った。 「よぉし!ちっと早いが、これから『青学魂』ってヤツを、たっぷり味あわせてやるぜ!コート行くぞ、新入り!」 「ウェアがあるなら、着替えるといい。ジュニアチャンプの手並み、拝見させて貰うとしよう」 「ねえ。それって、のラケットなんでしょ?俺と勝負して、俺が勝ったら貰っていい?」 「えぇっ!?ダ、ダメですよ!ってか、先輩のラケットの方が、相当イイやつじゃないですか!!」 「ん。まあ、それはそれ、これはこれで」 早くも打ち解け始めた少年を連れて、三人はコートへと軽やかな足取りで進んでいく。 新たな『継承者』の訪れを祝福するかのように、彼らの周りを桜の花吹雪が、途切れる事無く舞い続けていた。 ─完─ |