死闘の末、漸く静寂を取り戻した街は、瓦礫と未だ消えない炎に 包まれていた。
時折、鼻につく硝煙と有機物を焼いた匂いも、黙々と戦場処理を 続ける学兵たちには、最早慣れ切ってしまったものであった。


幻獣によってひしゃげた2番機のハッチが、来須と瀬戸口の手 によってこじ開けられる。
僅かに出来た隙間を器用に潜り抜けた舞は、手にした小太刀で ヘッドセットの配線を切断すると、滝川の身体を抱き起こした。
「滝川」
「…ぁ」
蚊の鳴くような声だったが、それでも反応が返ってきた事に、舞は小さ く安堵の息を漏らす。
コクピッド越しとはいえ、ミノタウロスの猛攻を喰らい続けた滝川の 腕は骨折しており、衝撃で何処かにぶつけたのであろう、側頭部から の出血が夥しかった。
舞は、士魂号のコクピッド脇のダッシュボードから、救急キットを取り 出すと、応急手当を始める。
「…なあ、あんた……」
意識が朦朧としているのか、舞とは気づかず焦点の合わない瞳で、滝川 が呼びかけてくる。
「あいつら…どうなった…?無事に逃げられた…か……?」
その言葉に、舞の手が一瞬止まった。
おそらくそれは、滝川が意識を失う前に、共に戦場にいた友軍歩兵部隊の事だろう。
だが今、ハッチの開いたコクピッドから見える人影は、駆けつけた舞たち 以外には、何もない。
暫し俯いたまま、眉根を寄せていた舞だったが、やがて顔を上げると、努 めて声の調子を変えながら、優しく彼の耳元で囁いた。
「大丈夫、敵はもういないわ。貴方のおかげよ」
「…よかった……」
滝川は口元に小さく笑みを浮かべると、もう一度眠りに落ちた。


「滝川くんは、先程病院に搬送しました。お世辞にも軽症とはいえませんが、命に 別状はないようです」
指揮車を降りて、こちらへやってきた善行に、舞は小さく頷く。
「残念だけど…ここまでやられちゃったら、2番機は廃棄ね。…仕事が増えるわ」
次いで、整備車で駆け付けて来た原が、2番機を見上げながら呟いたが、それでも小 隊から死者が出ずに済んだ事に、ホッとしている様子であった。
原の視線につられて、舞も又傷だらけの士魂号を振り返る。
最期まで人を、そして主(あるじ)を守らんと戦った異形の侍の姿を認めると、舞 は心中で謝辞を述べた。
「…それと芝村さん。貴方のウォードレスも廃棄よ」
思い出したように、原は舞の傍まで歩み寄ると、ミノタウロスとの戦闘で半壊にな った彼女のウォードレスを眺める。
幻獣による容赦ない力で削ぎ落とされた頭部とショルダー、上腕部にこびりついた 血塊に一瞬眉を顰めたが、それは舞からの出血ではなく、人工強化筋肉の損傷によ るものだと判ると、今度は別の意味で訝しげな一瞥をくれた。
「それにしても…貴方も無茶をするわね。こんな事言うのもなんだけど、無事なの が不思議なほどよ」
「──私もだ」
原の言葉に含み笑いで返した舞は、速水たちの所へ戻ろうと踵を返す。
その時、

「──化け物!」

怯えの色が含まれてはいたが、厳しい弾劾の声が、舞の背に突き刺さった。
もう一度顔だけ振り返ると、整備車の方から茜が痛々しいほどにこちらを睨み付け ていた。
「化け物!」
舞が自分に気付いたのを見て、茜はもう一度同じ言葉を叫ぶ。そんな彼の隣では、小 刻みに身を震わせながら、新井木が同様の視線を向けてくる。
「な…!」
茜の暴言に、速水がいきり立ったが、素早く舞の手が速水を止めた。
「いいんだ」
「でも…!」
「彼の言う通りだ」
そんな呟きに、周囲の誰もが思わず動きを止める。
舞は寂しそうに微笑むと、ひとり戦場を後にした。


同時刻、某所。

「これは、もはや『面白いもの』では、すまされぬのではないか?」
殆ど闇ともいうべき空間から、男の声が飛ぶ。
それを聞いて、周囲から仄かなざわめきが起こった。
「変異体(イレギュラー)の能力値は、当初の我々の計算をはるかに超えている。 このままでは、いつか我々に牙を剥く可能性もありうる」
「『ウサギ』が竜になると?ばかばかしい」
「そなたは、この映像を見てもそう思うのか?」
モニターに映し出された変異体と幻獣の戦闘に、先ほどまで薄ら笑 いを浮かべていた男から、表情が消えた。
この世界では、最大の脅威ともされる大型幻獣であるミノタウロスを、 明らかに非力で小柄な少女が、手に携えた小太刀のみで屠ったのである。
異形の侍「士魂号」ですら苦戦を強いられる幻獣を、一閃に処した瞬間の映像 を目の当たりにした者たちは、思わず感嘆と驚愕に声を上げる。
「──危険だ。危険すぎる。私は、即刻イレギュラーの処分を提案する」
「待て、ヤツはまだ利用価値がある。我らに謀反を起こすような素振りも見せてはおらぬ」
「しかし…」


「落ち着け。これしきの事、既に予測の上だ」


凛とした男の声が、周囲の空気を切り裂いた。
それを聞いて、一斉に視線がひとりの男に集中する。
「『アレ』の世界の監視者からも情報が入ったが、イレギュラーの動向は、現時点では 許容範囲にある。たかが少しだけ人と異なる力を手にした小娘ひとり、いつでも どうとでも出来る」
男の、有無を言わさぬ迫力に、他の者は沈黙を強いられる。
すべての雑音を排除出来た事に、男は口角を僅かに動かすと、誰にでもなく呟いた。
「あくまで抗うか。我は、『そなた』をそこまでお転婆に育てた覚えはないのだがな。 さて、『お前』はどうするつもりだ……?」


幻獣との激戦をどうにか凌いだ5121小隊であったが、滝川の負傷をはじめ、その他小隊 への損害等を考慮した結果、暫しの間は出撃を控えて、体勢の建て直しを図る事にした。
幸い、中央から多少の物資が供給されたのもあって、士魂号の修理・補強も概ね順調に進み、 後は滝川の退院・戦線復帰を待つのみとなっている。
そして。
司令室前に貼り出された辞令を目にした舞は、小走りに足を急がせると、グラウンドで 訓練を続ける来須を呼び止めた。
「このような余計な真似をしたのは、そなたか」
先日、整備兵である茜の陰謀によって変更された舞たちの部署が、すべて元通りになって いたのである。
西日が傾いてきている所為か、ふたりの周りには夕闇が取り巻き始めていた。
背中を向けているので、来須の表情が判らない舞は、先程よりも僅かに声を荒げた。
「私が、戦車に乗らずとも幻獣と渡り合えるのは、この間の戦闘で知っているだろう。 それをわざわざ、決して少なくない発言力を駆使してまで、元の部署に戻すなど…誰の差し金か?」
顔を見なくても、きっと今の舞はそのヘイゼルの瞳を怒りの色に染めて、自分を睨ん でいるのであろう。
そんな彼女の瞳を独占している事実に、心の何処かで満足しながら、来須は努めて平静に 言葉を切り返した。
「──お前とでは、連携が組めない」
「…何?」
「士魂号とは違い、スカウトは文字通り、他の歩兵や戦車に追随しながら戦術を 進めていくものだ。いくら実力が伴っているとはいえ、お前のような単独行動を繰り返す者と は、一緒に戦う事は出来ない」
来須の返事を聞いた舞は、無言で地面を見下ろす。
顰められた彼女の眉に、来須が心を揺らせていると、


「──そうだな。そなたの言う事は、もっともだ」
苦笑しながら頷く舞が、こちらに歩み寄ってきた。
「私の戦い方は、破天荒かつ目茶目茶だ。確かにこれでは、仲間を安心させるどころか、 益々不安に陥れてしまうというものだ」
「舞…」
「すまぬ、来須。自意識過剰だった愚か者の私を許すがいい。部署を戻したのは、そなたとは 限らないのに…」
西日を背に受けた舞からは、今ひとつ表情が読み取れない。
「それに、本当の事を言うと、戦車兵に戻れた事に、少しだけ安堵していたのだ。所詮私は、 臆病者の嘘吐きという訳だ」
「……そんな事はない」
「世辞はいらぬ。それより…どうか、士魂号に乗った私とも『連携が取れぬ』と、倦厭しない でくれぬか?」
「複座型の機動力なら、問題ない」
「──言ったな」
軽口を叩き合った後、舞は来須から背を向けると、久々の士魂号のメンテナンスをしにハンガーへ と歩を進めていった。
「『臆病者の嘘吐き』…」
ひとり残された来須は、彼女の後姿を眺めていたが、不意に視線を地面に落とすと、夕日に伸びた 影法師を、帽子の隙間から窺う。
「それはお前の事だろう、クリサリス……」
物言わぬ自分の影を、まるで敵か何かのように凝視すると、来須は吐き捨てるように呟いた。


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