※物語の都合上、史実や時系列等大幅に食い違いがありますが、所詮「BASARAの世界」 だという事で、見逃して下さい; 山賊による村の襲撃から半月ほど経ったある日。 甲斐の国境を抜け、信州・越後へと続く山道を、ひとりの旅装束の男が歩いていた。 暫く歩き続けていると、彼の頭上を一羽の白い鳥が通り過ぎていく。 それを見止めた男は、街道から外れると森林の中へその身を躍らせた。 常人ならば迷ってしまいそうな木々の間を、男はいとも簡単に擦り抜けて行く。 やがて、とある一本の大木の幹に白い鳥が止まったのを確認した男は、顔を上げると 声を掛けた。 「こーんな、昼間でも暗い森の中で待ち合わせなんて。あらぬ期待を抱いちゃうよ、俺♪」 「ほざけ」 男の揶揄を、凛とした女の声が斬り捨てる。 直後、それまで鳥がいた場所には、ひとりの美女が佇んでいた。 「その矢だけど…俺の記憶が正しければ、お前さんたち『軒猿(のきざる:上杉の忍の 仇名)』の一派が使っていたのと同じモノだ。それが先日、甲斐国境の村落が襲われた時に 使われていた」 「お前が信じようが信じまいが構わんが、あの方は、私たちにそんな命令を出したりはし ていないし、私もそんな事はしていない。ただ…」 男の問いをきっぱりと否定をした後で、女は言葉を切る。 「──ただ?」 「上杉と武田との間に休戦協定が結ばれる少し前、それをよしとしない強硬派の家臣が、 あの方に執拗に反発した挙げ句、放逐という形で処分された。その際、そいつが 抱えていた忍の小隊も、同様に上杉を去っていったんだ…」 裏切り者には「死」が忍の掟だが、出奔した者達が、その後何も事を起こさなかったのもあり、 元々領土拡大等に野心のない謙信は、それきり放っておいたという。 「……なるほど。でも、考えようによっちゃ上杉の大将は、その元家臣と忍たちを使って武田 と伊達を混乱させ、漁夫の利を得る算段をしていた可能性だってある訳だよな?」 「あの方が、そんな卑劣な真似をするものか!それに、いくら敵国とはいえ、村人には何の罪 もないだろう…!」 彼女の言うとおり、上杉謙信はそんな事をするような人物ではない。 事実、かつて今川との同盟を破棄した武田が、彼らによる「塩留め(経済封鎖。海に面してい ない甲斐にとって、塩は貴重品)」で苦しんでいた時に、「たけだのたみに は、なんのつみもありません」と、信濃に塩を送り、甲斐との取引が高価にならぬよう命じ たのは、ほかならぬ謙信である。 押し黙ってしまった女を、男は目を細めながら見やる。 忍でありながら、人を殺める度に、自分の心も傷つけていく不器用な女。 もし、武田と上杉が今でも戦い続けていたら、どちらかの決着がつくまえに、彼女の心が 壊れてしまっていたのではないか、と、男は漠然とそんな事を考えていた。 「まあ…取りあえず、そんだけ判れば充分だ。ありがとさん」 「貴様に礼を言われる筋合いなどない」 「冷たいなぁ」 「フン。…しかし、貴様は未だに武田に留まっているのだな。もう、仕える主人もいない というのに」 女の問い掛けに、男は眉根を寄せる。 「未練…ってヤツかな。諦め切れないんだよ、俺」 「……報われないな」 「──お互いに」 そう言葉を交わした男女は、次の瞬間、気配ひとつ残す事無く姿を消した。 朝。 青年が馬に今日運ぶ荷物を載せていると、いつも訪れる子供が、元気に駆け寄ってきた。 「お兄ちゃん、お馬に乗せてよ!」 「お兄ちゃん、これから出掛けるんだ。それに、この馬は君には 未だ大きすぎるよ」 青年の馬は、商いを営んでいたいう父親の形見だけあって、通常の馬よりも大柄な ものであった。 流石に、京洛を賑わせている「傾奇者」と呼ばれる男の馬には敵わないが、それで もその気になれば、人間ふたりを同時に乗せる事も可能である。 「ちぇーっ。いつになったら乗せてくれるんだよ」 「……そうだな。この荷物を運び終えたら、少し暇になるから。その時なら」 「やったぁ!」 「ただし。馬に乗る前には、ちゃんとお家の人に許しを貰うんだ。約束出来るね?」 「うん、きっとだよ!」 大はしゃぎで喜ぶ子供に青年は小さく頷くと、馬を走らせた。 子供は、馬に乗って駆けていく青年の姿を見送っていたが、暫くすると、荷物を小 脇に抱えた商い人らしき男が、何やら慌てふためいた様子で現れた。 「お〜い!運び屋の旦那〜!ちょっと待って下さいよ〜!これもー…って、はぁ。 弱ったなあ……」 既に去ってしまった青年を呆然と見送りながら呟く男に、子供は声を掛けた。 「おじさん、どうしたの?」 「いやあ、わたしは運び屋の旦那に仕事をお願いした者なんだけど…うっかりして、 荷物をひとつ渡し損ねてしまったんですよ」 脇にあった荷物を抱え直しながら、男は困ったように溜息を吐く。 「特にこれは、故郷の母の為にやっと取り寄せた大事な薬なのです。あれ程確認 していた筈なのに、わたしとした事が……」 がっくりとうな垂れる男を見て、子供は青年が去っていった方角を確かめると、声を掛けた。 「お兄ちゃんの向かっているのは、町の方だろ?」 「そうです。お願いした町には、わたしの両親がおりますので」 「お兄ちゃんは、いつも町へ出る前に、必ず村外れの茶屋で休憩するんだって言ってた。 オイラ、そこへ行く近道知ってるよ。馬があれば、今からなら追いつけるかも知れないよ?」 「本当ですか?」 嬉しそうな男の顔を見て、子供は少しだけ得意になった。 「わたしも小さいですが、馬を持っております。すみませんが今から案内をお願い出来ないでしょう か?勿論、旦那に荷物を渡した後で、きちんとあなたを村までお送りしますので」 「うん、いいよ」 青年の役に立てると判った子供は、二つ返事で承諾する。 男と一緒に、馬を繋いである場所まで出掛けた子供は、促されるまま馬に跨った。 「それでは出発しましょうか。道案内、よろしくお願いします」 「うん…あ、」 (馬に乗る前には、ちゃんとお家の人に許しを貰うんだ) 「どうかしましたか?」 不意に、子供の頭の中で青年との約束が浮かんできた。 子供は一瞬ためらったが、急いでいるらしき男の様子と、「自分は手綱を操るので、 代わりに持っていて下さい」と、預けられた荷物を見比べると、ぶるりと首を振る。 この人は困っている。お兄ちゃんに渡しそびれた大事な荷物があるんだ。 それを届けられれば、良い事じゃないか。 そう思い直すと、子供は男と共に村を出発した。 陽もすっかり沈み、辺りを夕闇が訪れた時。 町での仕事を終えて、村に戻ってきた青年は、村の入口でたむろしている人影を見つけた。 「何かあったのですか?」 「ああ、アンタ!うちの倅(せがれ)を見なかったか?」 「え…?」 「朝、アンタの所に行くって出掛けたまま、帰ってこないんだ!」 子供の父親に言われて、青年は驚愕に目を見開く。 「確かに…朝、私が村を出る前に会いましたが…あれから戻っていないのですか?」 「戻ってたら、今こんな風に捜し回ったりしてねえよ!」 「もう一度、村の周辺を皆であたってみるか」 「…ったく。だから片輪なんぞに関わると、ロクな事にならないって言ったんだ」 「お、おい!」 村人の誰かが零した愚痴を、青年は溜息ひとつで流すと、取りあえず自分も子供を捜しに行こ うと、仕事の用具を置く為に家へと引き返した。 馬を繋ぎ、引き戸を開けようと手を伸ばすと、戸の縁に何かが刺さっているのを見つけた。 「…?」 引き抜いてみると、それは一本の矢だった。 青年はしげしげとそれを見つめていたが、やがてそれが見覚えのあるもの、そして矢に絡ま った紙切れの内容を確かめると、瞬時に表情を険しくさせた。 仕事の用具を家の中に放り投げると、躊躇う事無く仕込み刃のついた棒を手に取る。 「無事でいてくれ…!」 噛み締めるように呟きながら、再び馬に跨った青年は、村を飛び出した。 |