走り続けながら、政宗は目の前を先導する葦毛の馬に、ちらりと視線を送る。 決して上等とまではいかないが、その馬は、持ち主の手入れの良さを証明していた。 敬愛する主の為に、真っ直ぐに目的地を目指す姿に、政宗は口元を綻ばせる。 ハッキリ言って、何の特にもならない。 村の人間のひとりやふたり消えた所で、自分にもそして武田にも、微々たる影響すら ないからだ。 だが、政宗は助けてやりたいと思った。 己が身を楯にしてでも、小さな命を救った村人の心意気と、そんな彼を想い、涙する 子供の望みを叶えてやりたいと思ったのだ。 (望みや約束を破る事なんざ…せめて、もう少し大きくなってからでもいいだろうしな……) 政宗の頭の中に、かつて大切な「約束」を反故にしたまま、行方を眩ませた「アイツ」に対する 皮肉な想いがよみがえる。 「…っと、いけねぇいけねぇ。考えんのは後だ!」 葦毛の馬との距離が開いてしまったのを確認した政宗は、先程よりもやや前傾の姿勢を取ると、 馬の速度を上げた。 夜の帳を、金属音と人の掛け声がこだまする。 矢継ぎ早に繰り出される攻撃を、青年は懸命に凌いでいた。 だが、視界の利かない闇は、「影」の領分である。 過去に、そのような者たちと戦った事もある青年だったが、片腕で、それも明らかに こちらが不利な状況の中では、流石にかつてのようにはいく筈もない。 「!?」 目を凝らしながら相手を追っていた青年は、不意に視界から男の姿が消えたのを確認した。 「どこに…」 呟きながら辺りを警戒する青年の足元が、次の瞬間不自然に隆起する。 「しまった…!『影潜り』…!?」 「──ご名答」 硬質な男の声がすると同時に、青年の身体は吹き飛ばされた。 槍を持った状態では受身も取れずに、青年は背中を強かに打ちつける。 苦痛と息苦しさに喘いでいる青年を、男はつまらなさそうに見下ろした。 「惜しかったな。片輪にしては、頑張った方だが…所詮、こんなものか」 未だ起き上がれずにいる青年の顔面を踏みつけた後で、男は彼の身体に爪先をめり込ませた。 「くぅ…っ!」 「…この地もつまらなくなったものよ。同盟・休戦と聞こえは良いが、要は戦をする 度胸も気概も失った者どもの、愚策に過ぎぬ」 「それは…違う……!」 「違うものか」 男は脚を振り上げ、反発の声を上げた青年を蹴り飛ばした。 「まあ良い。これで障害は消えた事だし、手始めに武田を混乱の渦に沈めて やろうか…ついでに、ここに滞在しているらしい伊達諸共、な」 もう用はないとばかりに踵を返すと、男は夜の闇にその身を溶け込ませようとする。 だが、それは不意に背後から照らされた謎の光によって阻まれた。 「……待たれよ」 「何…?」 男は弾かれたように、光の差す方を再度振り返る。 すると、そこには全身に炎をたぎらせた武士の姿があった。 先程までとはまるで違うその人物の覇気を間近に受け、男は僅かにたじろぐ。 「『あの人』は…貴様や私ごときが、おいそれと近づけるような方ではないのだぞ……!」 額から流れ続ける血もそのままに、青年が握る槍の穂先からは、紅蓮の炎がほとばしった。 「…おいおい、こりゃあ……」 道の至る所に横たわる死体に、政宗は己の隻眼を丸くさせる。 打ち捨てられた者たちの格好や武器を見て、それが越後辺りの忍と思しき連中である 事に、政宗は更に目を瞬かせた。 「坊主…お前の『お兄ちゃん』、何者だ……?」 死体に刻まれた刃の傷は一分の無駄もなく、戦い慣れた者による事を、如実に表していた。 果たして、彼らを倒したのは、『お兄ちゃん』だというのか。 その時、突如大柄な馬がひと声鳴いたかと思うと、政宗にも構わず駆け出していってしまった。 「wait!待て!」 慌てて愛馬の手綱を取った政宗は、少し遅れて道を走り出す。 すると遠くの方から、爆音と共に、天に向かって火柱が立ち上るのが見えた。 夜空を焦すほどの勢いで伸び上がるそれを目にした政宗は、瞬間自分の胸が大きく高鳴るのを 覚えた。 ──この炎を、自分は知っている。 逸る心を抑え切れず、政宗は馬もそっちのけで、前方の炎目掛けて愛馬を急がせた。 「な、何だコイツ…!さっきと動きがまるで違う…!」 青年の放つ紅蓮の炎に、男は次第に押されていく自分を痛感していた。 短槍による攻撃を受ける度に、ずしり、と異様な重みが圧し掛かってくる。 やがて、衝撃に耐え切れなかったのか、男の忍者刀が無機質な音を立てて折れた。 信じられない出来事に男がうろたえる間もなく、炎を纏った青年の槍が、深々と突き刺さる。 「が…っ」 「──その身に刻め。これまでそなたが弄んできた命の怒りと恨みを」 「そう…か。おま…えは……」 唸るような声に、男は最後の気力を振り絞って顔を上げると、見事自分を倒したもののふを 仰ぐ。 「その槍さばき…間違い…ない……お前は、虎の…若…!…」 男の呟きは、青年が振り下ろした槍によってかき消された。 崩れ落ちる身体を無表情に眺めると、青年はひとつ深呼吸をする。 漸く辺りに静寂がよみがえった頃、聞き覚えのある馬の鳴き声に、青年は首を巡らせた。 主人の無事な姿を見つけ、嬉しそうに駆け寄ってくる馬を、青年は訝しげに見返す。 「お前、どうして…あの子は村に帰ったのか?」 答えるかのように顔をすり寄せてくる馬に、青年は安堵の息を吐こうとするが、 「……ゆきむら?」 直後。思わぬ呼びかけに、青年の全身はこれまでにないほど硬直した。 覚えのある後姿を、政宗は信じられない思いで凝視していた。 間違える筈がない。以前よりも短くなった髪や村人の装束、槍は右にだけしか握られていなかったが、 彼の身に纏われた「気」は、正しく政宗の心身を焦がした紅蓮の武士のそれであった。 「幸村…?幸村なんだろ?お前、今まで一体……」 だが、政宗の問いに、背中を向けたままの青年からは、何の応(いら)えも返らなかった。 震える身体を戒めようと、青年は唇を噛み締める。 (これ以上、ここにいてはいけない!) 何処か頼りなげな問い掛けをあえて無視すると、青年はその場から駆け出した。 「──待て!幸村!」 自分から去っていこうとする青年を、政宗は慌てて追いかけた。 戦いで疲労した青年の脚は、幾度となくもつれそうになり、結果、政宗との間に微妙な間隔を保ちながら の不毛な追跡が繰り返される。 このままでは埒が明かないと感じた青年は、右手を翻すと、持っていた槍を後ろにいる政宗目 掛けて放り投げた。 「チィっ!」 突然眼前に迫った槍を、政宗は舌打ち混じりに叩き落とす。その僅かな隙をついて、青年は 政宗から距離を開けようとした。 そうはさせじと、政宗の手が逃げる青年の左袖にかかる。 刹那。 ビリ、と布が裂ける音がして、青年の左袖が抜け落ちた。 そこに現れた青年の左腕を見た政宗は、思わず息を呑んだ。 青年は僅かに顔を動かすと、露になった自分の左腕を目にして、言葉を失っている政宗の 様子を盗み見る。 「ぁ…」 「……」 破れた着物の端を握り締めたまま、震えている政宗に、青年は哀しげな一瞥をくれていたが、 やがてそれを振り切るように指笛を吹くと、馬を呼び寄せた。 主の命で向かってくる馬に器用に飛び乗った青年は、それきり二度と政宗を振り返る事無く、 そのまま走り去っていった。 「幸村…!幸村……!」 自分の前から消えてしまった青年に向かって、政宗は何度も叫び続ける。 「…ゆきむらぁ…」 だが返ってくるのは、自分の泣き声のような情けない木霊だけだった。 |