ふたりの間を、暫し微妙な空気が通り過ぎる。 「それは…また、随分と遠くにございますな」 政宗の言葉を脳内で反芻させながら、自分の思考をどうにか整理した 青年は、努めて平静な声で返した。 「出来ねぇのか?さっきのジイさんから、アンタは腕の良い 運び屋だって聞いたんだけどな」 「出来なくはないですが……私も奥州までの大まかな道のりは存じてお りますが、詳しい事についてまでは、判りかねる所もございます」 「俺が知っている。アンタが判らない時は、俺がnavigateすれば済む事だ」 「では、こう致しましょう。運び屋の繋がりで、国境付近に奥州方面に明る い者がおります。国境までは私がお連れしますので、そこから先は……」 「──俺は、アンタに頼むって言ってるんだ!」 青年の態度に、政宗は苛立ち混じりに声を荒げた。 「俺は、奥州まで行きたい。アンタは、奥州に行く術を知っている。何の問題が あるってんだよ?」 「しかし…」 「それに。あのジイさんには、もう仲介料を渡してあるんだ。今更無理だとは 言わせねぇぞ」 そうなりゃ、仲介料は倍返しして貰うからな、と政宗は心にもない事を言 って、青年を脅迫するような姿勢を見せる。 (どうしても、会いたいヤツがいる。先に帰っててくれ) 黒脛巾を密かに護衛につける事を条件に、政宗は小十郎たちをひと足先に奥州へ 戻した。 そして、姿を偽り青年の村へ来た政宗は、仕事の元締めでもある村長に、多額の 手付け料を払って、青年を指名したのである。 慎ましやかな生活を送る村にとって、政宗は上客であろうから、仮に 青年が渋ったとしても、村長が有無を言わさず彼に仕事を押し付けるだろうと 踏んでいたのだ。 卑怯な手段だ、と充分判っている。 でも、こうまでしなければ、「彼」と接触する事は出来ないと思ったからだ。 いきり立つ政宗を、青年は無言で見つめ返していたが、やがて、ひとつだけ 深く息を吐き出しながら、「そこまで仰るのなら」と承諾の返事を寄越してきた。 引き受けてくれた事に安堵する傍ら、呆れ返ったような青年のため息に、政宗は 「やはり、自分と一緒にいたくはないのか」と、内心で落ち込む。 「ただ、奥州までとなりますと、私も色々と支度が必要になって参ります。 道中の宿や、長きに渡る拘束なども含めますと、それなりの御代を頂く事になります が、よろしいですか?」 「構わないぜ。金に糸目は付けねぇよ」 「判りました。では、出発は明日の早朝という事に致しましょう。お客様のお屋敷 までお迎えに上がる事も出来ますが、いかがなさいますか?」 「いや…いい。明日、俺がまたここに来ればいいんだろ?」 「そうですか。では明朝、村の入口でお待ちしております」 深々と頭を下げると、青年は政宗から背を向けて村長の家を出ようとする。 「──待てよ」 何故か名残惜しくなった政宗は、思わず青年を呼び止めた。 「…未だ何か?」 「ちゃんと来るんだろうな?すっぽかしたりしたら、承知しねぇぞ!」 「そんな事をしたら、私はこの世界で、二度と仕事が出来なくなりますよ」 「そ、そっか。ならいいんだ…」 途端に気弱な声を出す政宗に、それまで苦笑していた青年は小首を傾げる。 「私、信用ないですか?まあ…無理もありませんが」 「──違うんだ」 「?」 「もう…イヤなんだ。約束を破られるのは……」 俯いてしまった政宗の姿が、青年の曇った瞳に映し出される。 青年は、暫し無言で政宗を見つめていたが、 「明日は早いです。今日はもう帰られた方がよろしいかと」 出来るだけ穏やか口調で、政宗を優しく促した。 「……もし、多少寝坊をされても、私は、お客様がいらっしゃるまでお 待ちしておりますから」 「ゆ…」 「──では、また明日。失礼致します」 政宗の呼びかけに聞こえないフリをすると、青年は今度こそ村長の家を後にする。 残された政宗は、辛うじて保たれた青年との繋がりにホッとする一方で、一定の 距離を決して崩そうとしない彼の態度に、ちくりと胸が痛むのを覚えた。 遠出の支度をしながら、青年は不安に揺れる政宗の姿を思い出していた。 『あの人』は、あんな頼りなげな表情をする方だったのか。 かつての場所で合間見えた彼は、自信と生気に満ち溢れていた。 それなのに、今は。 (私の知らぬ所で、何かご苦労でもされていたのだろうか…?) 原因の一端が自分にあるとは露ほども知らず、青年は黙々と明日の準備を済ませていく。 何の気まぐれかは知らないが、『あの人』は、自分に接触を図ってきた。 ──ならば、今の自分に出来る精一杯の事をしよう。 『あの人』を、無事に奥州まで送り届けなければ。 「明日から、素敵な方をお乗せするのだ。心して走れよ」 黒い無垢な瞳を見据えると、青年は愛馬の背を優しく撫ぜた。 翌朝。 やや息を切らせながら、政宗が村の入口まで足を急がせる。 「そんなに慌てなくても大丈夫ですよ」 するとそこには、既に馬を連れた青年が待っていた。 朝靄(もや)の中で微笑む青年の姿を見て、政宗はほっとすると、歩調を緩める。 「お早うございます。それでは、参りましょうか」 ふたり乗りの為の鞍を取り付けた青年は、政宗を馬の傍まで案内する。 そして、先に馬に乗りながら、鞍の前を少し空けると、政宗を促した。 だが、 「……どうしました?」 「俺に、お前の前に来いって言うのか?」 「え?ですが…」 「女じゃあるまいし、お前が前に行けよ。俺は後ろに乗る」 言いながら、政宗は青年を鞍の前へ移動させると、ひらり、と馬に跨った。 「何かあった時、俺が後ろから手綱を操ってやる。お前はただ、走る事のみに集中しろ」 「…恐れ入ります」 己の腰に腕を回して、そこから動く気のない政宗に、青年はこっそりと笑みを漏らす。 朝日が昇り始めた空に向かって、凛とした掛け声が響くと同時に、ふたりを 乗せた馬は、長い旅路に向かって走り始めた。 |