道中は、何事もなく進み続けていた。
これまでにも、仕事で何人かの客を運んだ事はあったが、ここまでの長距離に加えて、 自分の前ではなく後ろに人を乗せるのは初めてであった。
出来るだけ丁寧に、だが時間をかけ過ぎぬようにして、青年は愛馬を操っていく。
「この先の茶屋で休憩を取りたいと思いますが、よろしいですか?」
「お、おう」
背中越しに青年の声を聞いた政宗は、しどろもどろに答える。
「慣れない二人乗りで、疲れてはいませんか?あそこの茶屋は、お茶と団子が美味しい のですよ」
「──ha、アンタの甘味好きは、相変わらずだな」
だが、そんな政宗の軽口に、青年は何も応えなかった。
聞こえなかったのか、あるいは聞こえないふりをしているのか、青年はそれ以上はひ と言も語らずに、馬を目的の茶屋へと向かわせる。
「おや、いらっしゃい。今日はどちらまで?」
「今回は、少し長旅なのですよ。いつものをお願いします」
馬から下りた青年は、茶屋の主人に団子を注文しながら、政宗が馬から下りる手助けを する。
「自分で下りられる」と言う政宗に「この馬は大きいし、何かあっては大変だから」と、 政宗の手を取ると、彼の身体を支えてやった。
繋いだ青年の手は大きく、あの頃よりもゴツゴツとしている事に、政宗は、自分の知ら ない間に彼が過ごしてきた時間がどのようなものであったかと、そんな想いが頭をよぎ って行った。
慣れた調子で馬を繋ぎながら、茶屋の主人と世間話をする青年を目で追っていると、政 宗の視線に気付いたのか、青年が自分の対面に腰掛けてきた。
「…大丈夫ですか?普段馬に乗り慣れている方でも、自分が操っていないので、お疲れ になる事も少なくないのですが」
「平気だ。アンタの腕前がいいからな」
「ふふ…有難うございます。お世辞でも嬉しいですよ」
照れ臭そうに微笑む青年に、政宗は心の何処かで安堵する。
そうしている内に、主人から団子とお茶が運ばれてきたので、ふたりは暫しそれらに舌 鼓を打つ事にした。
昔と違って、青年は皿に並べられた団子を二本だけ、美味そうに口に運んでいた。
「もっと食わないのか」
「仕事中ですので。食べ過ぎて、眠くなっても困りますから」
それが、かつてお抱えの忍に呆れられながらも、皿一杯の団子を頬張っていた過去の彼 と余りにも違いすぎて、政宗は少しだけ物寂しく感じる。
政宗が、感傷を振り払うように出されたお茶を飲んでいると、不意に青年の目つきが鋭 くなっているのを見止めた。

「?どうした?」
「…いえ、何でも」

政宗に尋ねられて、青年は瞬時に表情を元に戻すと首を振った。
そして、食べ終えた団子の皿を返すついでに、茶屋の主人に国境付近の道事情などを、地 図を手に確認し始める。
残された政宗は、何気なく先程青年が凝視していた場所に視線を移していたが、やがて彼 の隻眼をちらりと掠めたものを確認すると、僅かに顔色を変えた。


茶屋を出た青年と政宗は、可能な限り道を走り続け、日が暮れてきたと同時に、一件の旅 籠に辿り着いた。
「ごめん下さい。部屋をひとつ、お願いします」
「はあ…」
現れた旅籠の主人は、片腕のない青年を胡散臭そうに見やる。
「お部屋は…お客様と、そちらのお連れ様のお二人で?」
「いいえ。この方だけです」
それを聞いた政宗は、弾かれたように青年を振り返る。
「──そうですか。それではどうぞこちらへ」
青年の返事に、旅籠の主人は、何処かほっとした表情になると、政宗を部屋へ案内しよう とする。
だが、政宗は旅籠を後にしようとする青年を追いかけると、彼に詰め寄った。
「オレを置いて、何処に行くつもりだよ?」
「私は、馬の世話がありますので、旅籠近くの厩舎におります。大丈夫だとは思いま すが、もし何かありましたら、旅籠の人に言付けて私を呼んで下さい」
「おい…」
「ご心配なく。慣れておりますから。では、また明日」
さり気なく政宗から離れた青年は、ぺこりと頭を下げると、旅籠から外へ出る。
残された政宗は、そんな彼の背中を表情を曇らせながら見送っていた。


部屋に案内された政宗は、最低限の食事を取った後で、旅籠の人間に頼んで湯で絞った 手拭いを貰い、身体の汚れを落とした。
そのまま夜着に着替えると、予め用意してあった布団の上に寝転がる。
甲斐で過ごした屋敷とは段違いだが、その旅籠には、充分不自由のない設備が整 っていた。
おそらく、青年が政宗の為に選んでくれたのだろう。
「何だよ…馬の世話くらい、他の人間に頼めばいいじゃねぇか……」
てっきり、自分と同じ部屋で寝泊りすると思っていた政宗は、青年の素っ気無さに独り 不平を漏らす。
夜になったら、色々な話をしようと思っていたのに。
……それともやはり、自分と一緒にいるのは苦痛だったのか。
政宗は起き上がると、窓の外から厩舎を窺った。
闇夜で視界が狭まれていたが、それでも厩舎の隙間から愛馬の手入れをする青年 の姿が垣間見えた事に、ほっと胸を撫で下ろす。
そのまま窓から離れようとしたが、窓際に訪れた複数の影に気付いた政宗は、瞬時に 表情を険しくさせた。
その人影は、音を立てずに部屋まで侵入すると、政宗の前に跪いてくる。

「──政宗様」
「……てめぇらか」

それは、政宗が甲斐を離れる時から密かに後をつけて来た伊達の隠密集団「黒脛 巾」であった。
「いいか。余計な真似はするな。小十郎との約束がなけりゃ、てめぇらも早々に 奥州へ帰してるトコロだ」
「ですが、政宗様をお守りするのが、我らの役目。奥州筆頭の自覚を、もう少しお 持ち下され」
「そうです。君主がお独りで、それもあのような運び屋と同行するなど…」
「余計な真似はするなっつってんだろ」
隠密たちの苦言を、政宗は語気を強めて遮った。
「不用意に俺達に近付くな。あいつは勘がいい。今日も、一瞬だがてめぇらの気配 を察していた」
「…一体、彼は何者なのですか。我々の記憶が正しければ、もしや……」
「──オレを怒らせたくなかったら、それ以上は言うんじゃねぇぞ。判ったら、さっ さと散れ。…あいつによからぬコトをしようもんなら、ただじゃおかねぇか らな」
半ば強引に話を打ち切ると、政宗は「黒脛巾」を下がらせる。
物騒な気配が消え、静寂がよみがえった窓の外では、青年が馬にやる水を汲む為に、 厩舎から出てきていた。
すると政宗の視線に気付いたのか、こちらを見上げながら会釈をしてくる。


政宗は、自分の中に巣食う疚しい己を隠すように、青年の穏やかな笑顔にぎこちな く手を振り返した。




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