「おはようございます。ゆうべは、良く眠れましたか?」 旅籠での朝食を済ませると、それを見計らったかのようにして、馬を連れ た青年が、表で政宗を迎えに来た。 「…ああ。オメェは、朝飯どうしたんだよ?」 「私は、既に近くの飯屋で済ませたので。お気遣いは無用ですよ」 ニッコリと微笑みながら、青年は胡散臭げにこちらを見ている旅籠の主人に金を渡す。 「有難うございました。どうぞお気を付けて」 青年を見ないようにしながら、旅籠の人間は形ばかりの会釈をすると、そそくさとふたりの 前から去っていった。 「……愛想もクソもなくて、よく客商売なんかやってられるな。二度と来ねぇから、覚え とけ!」 「良いのです。行きましょう」 毒吐く政宗に苦笑で返した青年は、馬に跨る。 彼らが自分達、何よりも自分を奇異な目で見る理由は、明らかに不自然にはためく己の左 袖が、証明している。 だが、今回の宿はまだましな方であった。 ある時は、部屋が余っているにもかかわらず滞在を拒否されたり、極端な例では、片腕の 自分を見た瞬間、水をかけられた事もある。 人の多い街中ですら、自分を遠巻きに眺める視線を感じるのだから、このような旅路 の片田舎の旅籠ではそれも当然だという事を、青年はこれまでの経験から身を以って熟知 していたのだ。 「私なら、本当に大丈夫ですから。さあ、準備はよろしいですか?」 「お、おう…」 かつて、熱い感情のままに槍を振るっていた青年の、あまりにも変貌した姿に、政宗は何と なく拍子抜けした声で応えを返すと、自分もまた馬に跨った。 「なるべく、今日中に国境を抜けるようにします。ですが、疲れた時はいつでも言って下さい」 「慌てない程度なら、問題ねぇよ。コケられるよりかはマシだ」 青年の腰にあった腕を回し直すと、政宗は迅速かつ丁寧に馬を操る青年の温もりを感じる一方で、 時折彼に気付かれぬよう、ちらりと周囲を窺っていた。 おそらく、自分たちから離れた場所から、『あいつら』は追って来ているのだろう。 仕方ない。彼に会う為、小十郎たちを先に帰した時の条件だったのだから。 (政宗様をお守りするのが、我らの役目。どうか、ご自分の立場をもう少し自覚なされませ) (一体、彼は何者なのですか?) (オレを怒らせたくなかったら、余計な真似はするんじゃねぇ!) だが、彼は『あいつら』が自分達のすぐ近くにいる事は知らない。 否、知らなくて良い。気付かないで欲しい。 出来るものなら、このままずっと彼と一緒に走り続けていたい…… 「……どうかなされましたか?」 先程よりも自分の背にもたれてきた政宗に、青年は気遣うように問い掛けてきた。 「あ?な、何でもねぇよ。ちょっと考え事してただけだ」 「そうですか」 そうのんびりと返した刹那。 (──!?) 国境へ向かう並木道を行き交う人の気配に紛れて、何か異質なものを感じた青年は、 瞬時に顔色を変えた。 (この気配……まさか、この方を…!?) 異質な気配の正体を、青年は哀しいかな己が身に染み付いてしまった本能で察知すると、次の瞬間 手綱を鳴らせて馬の速度を上げた。 「What!?いきなりどうしたんだよ!」 「すみません、少し急ぎます。しっかりつかまっていて下さい!」 抗議するように呼びかける政宗の声を無視すると、青年は更に馬を急がせる。 すると、青年達の背後で先程よりも件の気配が、明確なものへと変わっていくのを受けた。 まさか、目当てはこの方か。 何処からか情報を聞きつけた他国の間者か忍が、この方を狙っているというのか。 一度脳裏に浮かんだ疑念は、自然と青年の身体をかつての習性に従わせるべく、反応させていた。 荷綱に絡めておいた仕込みの棒から刃を出すと、疾走する馬の上に立つ。 「手綱を頼みます」 「な、お、おい。ゆ……」 低い声で語られる青年の言葉に、政宗は、絶妙な均衡を保ちつつ馬上で仕込みの槍を構える彼の 背中を、吸い込まれるように凝視する。 ああ。お前は、あの頃と変わってない。 かつて、「甲斐の虎」と共に戦場を所狭しと駆け巡っていた騎馬武者のそれと、まるで同じだ。 まるで魅入られるように青年を見つめ続けていた政宗だったが、不意に自分の前にいた青年の影が、 馬上から消えた。 片膝立ちの状態で馬上に揺られていた青年は、裂帛の気合の後で跳躍すると、右手に携えた短槍 を背中越しに突き出したのだ。 僅かな手応えを感じたのも束の間、今度は、後方から飛び道具らしき反撃が青年を襲う。 だが、幾度となく見覚えのあるその飛び道具を、青年は短槍を回転させる事によって弾き返した。 「…っ!」 片腕とは思えぬ身のこなしで地に下りた青年は、上空から襲い来る人影に、短槍の穂先で砂利を浴 びせる。 僅かに怯んだような反応を返したその影を、そのまま穂先で捕らえると、己の自 由な右腕と体重を巧みに操り、梃子の要領で地面に引き倒した。 独特の覆面と装束を認めた青年が、逃げられぬように、利き足で踏み付けたその影目掛けて槍を振り 下ろそうとした瞬間。 「──やめろ!」 緊迫した政宗の声が、周囲の殺気を裂いた。 心地良い彼の声を耳にした青年は勿論の事、何故か青年の足元にいた刺客らしき人物も、動きを止める。 「お客様…?」 思わぬ政宗の制止に、青年が訝しんでいると、 「やめろ。…『お前らも』だ」 「政む……『若』」 必死の形相で、青年の馬から飛び降りながら告げられた政宗の言葉を聞いて、青年は今度は驚愕に表情 を歪めた。 「…どういう事でしょうか」 政宗から少し離れた場所で膝を折る覆面装束の男たちを眺めながら、青年は僅かに震える声で質す。 「なるほど。その方たちは、お付きの護衛という訳ですね。そのような者たちがいながら、何故貴方は 私のような者に依頼を?」 「それは…」 「──それとも。貴方は今まで、私をからかっていたのですか?」 言い訳を許さぬような厳しい声で、それでいて何処となく悲哀を帯びた表情で続ける青年に、政 宗はビクリと身を震わせる。 「ま、待ってくれ。頼むから話を聞……」 「貴方のような高貴なお方にとって、私の…私達のような者は、本当に取るに足らぬ存在でしょう。 …下克上が当たり前のように蔓延(はびこ)っている戦乱の世では尚更。かつて、私もそう思って いたように」 激昂される方が未だましであった。 冷淡にも取れる穏やかな彼の声が、いっそ政宗にとっては怖ろしい。 「ですが、そのような私どもにも、なけなしの誇りがございます。私は、貴方という人間を信じてこ こまで来たというのに、貴方にとって私は、単なる暇つぶしの気紛れに付き合わされた、というだけ なのですか?」 「ち、違っ」 「そのような扱われ方は、不愉快です。貴方は、私の腕を信用して下さった訳ではなかったので すね。……ハッキリ言って失望しました」 「…!」 それきり口を噤んでしまった青年だが、政宗を見つめる彼の力強い瞳は、落胆の色に染まっていた。 『あの時』ですら、彼からこんなあからさまな態度を取られた事のなかった政宗は、青年の軽蔑の 眼差しに、何も返せないまま下を向く。 そのまま暫く沈黙が続いていたが、やがて青年の瞳に、信じられぬものが映った。 「…お客様?」 「……sorry……すまねぇ…俺…は……」 震える舌は、最早ロクに謝罪の言葉など紡げなかった。 かつての彼と、今の彼は違う。 頭では判っていた筈なのに、『今』の彼の立場も考えずに、自分のワガママで半ば強引に同行させた だけではなく、配慮の足りなさから、結果的に彼の矜持を踏みにじる様な真似をしてしまったのだ。 「ごめん……ごめ……っ、ゆきむ……」 「……ま…」 らしくない政宗の様子を見て、青年が小首を傾げつつ口を開いた瞬間。 「──お待ちくだされ、運び屋の旦那!」 装束の男達が、ふたりの間に割って入るように青年の前へと跪いてきた。 |