その後は順調に走り続けながら、残すところ行程の半分を過ぎていた。
青年の慣れた仕事振りや走りも手伝い、政宗の旅は、別段何の不自由もない。
ただ、ひとつを除いて。

『おはようございます、お客様』
『それではまた明日。おやすみなさいませ、お客様』

幾ら政宗が勧めても、青年は自分と寝食を共にしようとしないのだ。
「馬の世話がある」とは言っても、せめて少しくらい付き合ってくれても、バチは 当たらぬのではないだろうか。
奥州までの距離は縮まってきていたが、政宗と青年の距離は、近付きそうで近付かない。
このままでは、何の話も出来ずに、彼と別れてしまう事になる。
そうなったら、最早彼と自分の繋がりは、今度こそ完全に断たれてしまう。
そんなのは嫌だ。
どうすれば良い。どうすれば。
「……ご気分でも、優れませぬか?」
何処か上の空な政宗を見て、青年が気遣うように問い掛けてきた。
「え?あ、な、何でもねぇよ。ちっとボーっとしてただけだ」
「そうですか。でもそろそろ、長旅の疲れが溜まり始めて来たのではないでしょうか?」
「俺はそんなにやわじゃねぇよ。大丈夫だ」
「……ですが、今日はこの辺りで宿を取りましょう。ここから先はあまり旅籠がないので、今の内に しっかり休んで、体力を回復させておいた方が良いでしょうから」
先日、同じ運び屋仲間から渡された地図等を確かめながら、青年は政宗に言う。
特に反対する理由もないので、政宗は肯定の返事をした。

陽が西に傾き始めた頃、今夜の宿に到着した政宗たちは、店主に声を掛けた。
「いらっしゃいませ。……おふたり様…ですか?」
店の奥から現れた宿の主人は、青年の左腕に気付くと、それまでの愛想笑いを消して、あからさま に表情を歪めた。
「いえ、私は…」
いつものように、「自分は厩舎を使わせて欲しい」と、青年は口を開きかけたが、
「──ふたりだ。金ならある。文句でもあるのか」
主人と青年の間を割り込むようにして、政宗は口を挟んだ。
「い、いえいえ、決してそのような事は…」
「…お客様?」
政宗の眼光と、彼から放られた金子を見て、主人は再度引き攣ったような作り笑いを、その顔に貼 り付かせる。
「ふたりったら、ふたりだ。判ったら、さっさと案内しろ」
「……かしこまりました。御案内しろ」
「はい。…こちらへ」
不承不承、といったふうに、主人は宿の人間に指示を出した。
「あの、お客様」
「俺がいい、って言ってんだ。お前は俺に雇われてんだぞ?少しくらい、付き合ってくれたってい いだろ?」
「ですが…」
困惑している青年を余所に、政宗は部屋に向かって歩き始める。
暫く部屋で休んでいると、宿の人間が夕食を運んできたが、それを見た瞬間、政宗は驚愕に目を見 開いた。
政宗と青年の食事は、明らかに違っていたのだ。
内容もそうだが、ごく普通の政宗の食事とは異なり、青年の膳には、かなりぞんざいな形で盛 られていた。
煮物の中身も、サトイモやこんにゃくなどの食材ばかりが固まり、湯豆腐も、綺麗な 四角を保つ政宗の膳とは対照的に、ひび割れるどころか崩れかかっている。
僅かに眉を顰めながら、青年は食事に手を伸ばしたが、右しか使えない彼にとって、これらの食事を 取るのは、些か至難の技である。
青年の箸が滑る様を、宿の人間は、いやらしい笑みを漏らしながら眺めていた。
やがて、食事をするのを諦めたのか、青年は苦笑混じりに箸を置く。
「…おや?召し上がらないのですか?」
「ええ、ちょっと食欲が」
「そうですか。折角作ったのに、残念です」
すると間髪入れずに、小間使いが、彼の脇から膳を半ばひったくる様にして下げていった。
それを見て、青年は息をひとつだけ吐くと、立ち上がる。
「申し訳ございません。やはり私は馬の世話がありますので、厩舎におります」
「そうですか。くれぐれも、汚さないで下さいよ。あと、匂いがつくので、明日は入口より中に は足を踏み入れないで下さいましね」
「判りました。それでは、失礼します」
不躾な仲居の言葉に、それでも青年は丁寧に返事をすると、小さな荷物を片手に部屋を出て行った。
残された政宗は、こみあげてくる怒りを抑えられずに、傍らの膳を拳で叩き付けると、彼らに物騒な声 で凄んだ。
「何考えてやがる」
「な、何の事でしょうか」
「ふざけんな!ワザと、あいつが食べ難いモンばっか出しやがって!」
「そんな事言われましても、私どもは主人の言いつけに従っただけで…そ、それに、片輪の為の食 事など、ある筈ないではありませんか」
「…テメェ!」
胸倉を掴まれた小間使いは、ひいい、と情けない声を上げる。
政宗は視線を動かし、膳の傍らに鎮座する飯櫃(めしびつ)を見ると、部屋の隅で震えている仲居に 声を掛けた。
「その飯櫃寄越せ。あと、塩だ」


厩舎の一角に腰を下ろした青年は、己の愛馬が気遣うように目を向けてくるのを、苦笑しなが ら受け止めた。
腰に巻いた袋から保存食を取り出すと、溜息と共にのろのろと口に運ぶ。
すると、
「おい」
背後から掛けられた声を聞いて、思わず青年は振り返った。
憮然とした表情のまま、政宗は片手に携えた竹の皮の包みを、青年に差し出す。
「?」
「ほら。これなら食えんだろ」
「……有難うございます」
包みを開いた青年は、そこに並んでいた形良い握り飯と糠漬けを見ると、嬉しそうに微笑んだ。
「いただきます」と政宗に一礼した後で、青年はその握り飯をゆっくりと食べ始める。
穏やかな彼の横顔に安堵しながら、やがて政宗は、彼の食事が終わるのを確認すると、ぼそりと呟いた。
「…悪かったな」
「何がですか?」
「俺が余計な真似しなけりゃ、アンタはあんな想いしないですんだのに…」
「そんな事はございません。お気遣い頂き、私は本当に嬉しかったです」
「でも…」
「それに、此度に限らずこのような事は慣れっこなのです。貴方が気に病む事は、何もございませぬよ」
「……」
(──その元凶が、俺なのに?)
青年の笑顔は優しい。
だが、同時にそれが政宗の心を、一層罪悪感で締め付けていくのだ。
「……なあ」
先程よりも大きな声で、政宗は再度青年に呼びかける。
「はい?」
「ちょっと、話…してもいいか?」
「……あまり難しいお話は、判りかねますが」
「聞いてくれるだけでいいんだ」
まるで縋るように言葉を続けた政宗を、青年は一瞬だけ訝しげに眺めたが、ややあって小さく頷いた。
青年の承諾を聞いて、政宗は、いつもよりゆっくりと口を開き始めた。


「──俺には昔、Rivalと呼べる相手がいたんだ」
「『らいばる』…で、ございますか?」
「好敵手…ってヤツだな。戦乱が今よりずっと激しかった頃、俺は、ある戦場でひとりの男と出会ったんだ」
言葉を選びながら、政宗は自分の想いを語り続ける。
「互いに敵同士だったけど…そいつは、すべてにおいて俺が、唯一認める事の出来る存在だった。刃を 交える度、そいつの熱い魂と槍は、それこそ俺の心も身体も、焼き尽くす勢いで貫いていった」
「……」
「『今度こそ、決着をつける』。俺とそいつは戦場で会う度に、約束していた。…だけど、ある日そいつ は、何の前触れもなく俺の前から姿を消した。テメェの主人の次に大事ともいえる得物を置いて」
俯いた自分の向こうで、青年は果たしてどんな表情をしているのだろう。
早くも震え始めた舌を動かし続ける事で、政宗は辛うじて気力を保っていた。
「…正直、はじめは落胆した。所詮、俺との事はこの程度だったのか、と。でも、本当は違った。 そいつは、約束を守らなかったんじゃない。守れなかったんだ……俺の所為で。俺が…俺がみんな、奪って しまったんだ。守るべきだった約束も、戦う術も、武士(もののふ)としての誇りも、何もかも!」
駄々っ子のように首を振る政宗を、青年は複雑な表情で見つめていた。
何か言葉をかけるべきなのか、でも、まるですべてを拒絶するような政宗の様子に、青年は何 も出来ずにいた。

どれくらい、そうしていただろうか。
隻眼から零れそうになる感情をぐっと堪えながら、政宗はゆっくりと顔を上げる。
しかし、彼の顔を正面から見る勇気のなかった政宗は、視線は青年から背けたまま、力なく言葉を 続けた。
「そいつは…俺の事を憎んでいるのかも知れない。腹ン中では俺の事、『今更、どのツラ下げて来 やがった』って、思っているのかも知れない」
「…?」
「でも…そいつは、俺を責めないんだ。何も言わないんだ。恨み言があれば、幾らでも俺にぶつけてくれ ればいいのに。そうすれば俺だって、何らかの償いが出来るかも知れないのに……」
「お客様」
「判ってるんだ、ホントは俺の顔なんか、二度と見たくないって事くらい!でも、でも俺はそいつ の事…そいつの……!お前の……」
その時。
政宗の左腕に、温かいものが触れてきた。
ややあって、それが青年の手だというのが判ると、政宗は思わず言葉を止めて、青年を見た。
穏やかで優しい青年の双眸が、政宗の視界一杯に広がってくる。
「もう、休みましょう。明日から、少々強行軍になるかも知れませぬので」
立ち上がった青年は、政宗の手を取ると、彼を連れて厩舎の外に出た。
そして、少しだけ名残惜しそうに手を放すと、深々と頭を下げる。
「今日は、ご馳走様でした。貴方のお心遣い、本当に有難かったです」
「…ゅ…」
「また、明日。お休みなさいませ」
「……お休み」
「はい」


微笑みながら頷いた青年は、もう一度だけ頭を下げると、厩舎へと引き返していく。
政宗は、彼の温かな手が触れていた箇所を、幾度も確かめるかのように撫で擦っていた。




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