烏の後を追い掛けながら、青年はやがて村の入り口まで躍り出た。
極力気付かれないように、足音を忍ばせながら周囲を見渡していると、先程の烏 が、ある一本の大木の裏にその身を隠す。
入れ替わるようにして現れた人影を確認すると、青年の顔が綻んだ。
「知らせてくれれば、私の方から会いに行ったのに」
「いや、急に来れる事になったから。文を渡す暇が無かったんだよ」
その人影は、かつて青年を村に連れてきた男だった。
自分の来訪を素直に喜んでいる青年を見て、男もまたその瞳を僅かに細めた。


青年に家まで案内された男は、与えられた饅頭を苦笑しながら口に入れる。
「しっかし…本当に必要最低限なモノ以外、何もない家だな」
青年は、以前、住んでいた村人が使っていた住居をそのまま与えられていた。
だが、所詮若者のひとり暮らしでは、身の回りをする範囲は限られてしまう。
殺風景な家の内部に、男は苦笑交じりに呟いた。
「余所者の、それも片輪の私を受け入れてくれただけでも、有難く思わねば。 村の人たちも、良くしてくれるし」
「そうか…大きくなったな、お前さんは」
「そうですか?」
「ああ、とっても」


共に故郷を後にした時から、青年は男に、もう自分の事を旦那・主人などと呼 ぶのはやめるように言った。
昔ならともかく、今の自分は、一介のしがない市井の人間である。
そんな自分を、今も見捨てずに面倒を見てくれようとしている男の忠義心は 嬉しいが、やはりもう「主人」扱いを受けるのは抵抗がある。
「あの時。腕を失い、自暴自棄になりかけていた私を、貴方は救ってくれた。 私がこうしてこの村に解け込めたのも、貴方がいてくれたからだ」
「……よ、よして下さい…じゃないや、よしてくれよ。俺はちょっと、きっかけ を与えたに過ぎないって。アンタが頑張ったから、ここまで来れたんだ」
握られてきた青年の手は、片腕だけになってしまった今でも、温かくそして強い。
「ちゃんと食事は取っているのですか?貴方は、何か忙しくなったり面倒な事 が起こると、すぐに食事を抜くクセがあるから…」
握った男の手を見つめながら、青年が気遣わしげに尋ねてくる。
洞察力の鋭いかつての主人に、男は一瞬だけドキリとしたが、
「だ、大丈夫だって!それに、俺が元々太れないのは、アンタだって知ってるでしょ?」
「なら、いいのですが…」
心配そうに見つめてくる青年の黒い瞳を、何故か男は正面から見返す事が出来なかった。


その後、青年とひとしきり話し込んだ男は、その足で一緒に村長の家に向かうと、賄賂 代わりの土産を渡した。
元来た道を引き返し、家に帰る男に、青年はいつまでも右手を振ってくれた。
村の子供達に懐かれ、もみくちゃになりながらも、何処か嬉しそうに笑っていた青年の 姿を見て、男は自分の中で改めて決意を固める。


このささやかな彼の幸せを、自分は守り抜いていこう。


いつしか、自分の頭上を飛んでいた烏を一瞥すると、男はそれまでの軽薄そうだが温和な表 情を消し、疾風の如く去っていった。




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