仕事を終えて、川べりで馬を休ませていた青年は、家に帰ると、馬小屋の前で数人 の子供がたむろしているのを見つけた。

「あっ、戻ってきた!」
「おにいちゃん、お帰り!」

子供達の歓声を受けて、青年は彼らに笑顔を向ける。
「おにいちゃん、お馬に乗せてよ!」
「今日は、どんな所へ出掛けたの?お話聞きたい!」
「…みんな。ここへ来る事は、ちゃんとおウチの人に話してあるのかい?」
矢継ぎ早に声を掛けてくる子供に苦笑しながら、青年は穏やかに質した。
当初に比べれば幾分かましになってきたものの、やはり余所者かつ不具という、村では異端扱 いされている自分に関わるのをよしとしない人間も、決して少なくないからだ。
「へーきだよ。おとっつあんもおっかさんも、この頃おにいちゃんの事、悪く言わなくなったもん」
「うんうん。おにいちゃんは片腕だけど、とっても真面目で優しいって。オレのねえちゃん も言ってた!」
無邪気な子供達の返答に、青年はほんの少しだけ面食らった顔をした。

「ねえ。おにいちゃんは、誰か好きな人はいないの?」
「え?」
ひとりの女児が、頬を仄かに染めながら青年に尋ねてくる。
「そうだなあ……好きな人はいたよ。でも、もうその人とは会えないんだ」

脳裏に浮かんだかつての記憶を思い起こすと、青年は僅かに語尾を濁した。
「……どうして?」
「うん。その人はね、本当はおにいちゃんみたいな人間が、おいそれと近づけないくらい の人だったから」
「え?ひょっとしておにいちゃん、どっかの国のお姫様と愛し合ってたのか!?」
突拍子もない子供の言葉に、青年は今度こそ喫驚したが、
「お姫様は言い過ぎだけど…似たようなものかな。それに、おにいちゃんはケガしち ゃったから。こんな腕じゃ、もうその人の前には出られないよ」
くすり、と息をひとつ漏らすと、青年は所在無げに揺れている自分の左袖を、自嘲気味に 見つめた。
「あ、あの、あたし…おにいちゃんが『かたわ』でもいい。誰も夫婦になる人がいなかったら、 あたしがおにいちゃんのお嫁さんになってあげる!」
「あ、ずるい!わたしだって、おにいちゃんの事、大好きなんだから!」
「え!?オレのねえちゃんも、おにいちゃん狙ってるって言ってたぜ?」
「ちょ、ちょっとみんな。喧嘩はだめだぞ?」
突如、子供たちの間で起こった諍いを、青年は慌てて制止する。
子供特有の黄色い声に挟まれて、どうしたものかと考えていると、


「大変だー!」

尋常でないほど慌てふためいた声が、近付いてきた。
振り返ると、青年が仕事をする時にたまに立ち寄らせて貰っている飯屋の主人が、 息も絶え絶えにこちらに向かってくる。
「どうしたんですか?」
「隣の村に、賊が出没したんだ!じきにこっちにも来ちまう!」
身振り手振りで状況を説明しようとする主人に、青年は眉を顰める。
「…賊?」
「ああ、アンタは知らなくて当然か。以前にも戦で荒れてた時に、近くの山を根城に 賊が暴れてたんだよ。奴ら、家畜も金も女もみんな…くそっ!」
言葉を切ると、主人は悔しそうに唇を噛み締めた。
「お偉いさんたちは、戦だけしてりゃ満足かも知れねぇが、俺たち村人は、 他にもとばっちりを食らってるんだ。この頃やっと、落ち着いたと思ってたのに…」
「…でも、噂では甲斐の殿様が、諸国と同盟を結んだそうだから、これからはきっと……」
「あいつらのやる事なんか、アテになるもんか!俺たちの事なんか、何にも判っちゃいな いんだからな!」
「……」

吐き捨てるように返してきた主人に、青年はそれ以上何も言えなかった。
最近この村に来たばかりの自分とは違い、彼らは戦が激しかった時から、様々な弊害を受け ていたのだろう。
「ああ、こんな事してる場合じゃねぇ。お前ら、早く支度しろ!川越えにある社に隠れるんだ。 ほら、アンタも!可哀想だけど、馬は諦めな」
「…いいえ」
青年は短く拒否の返事をすると、屹然と顔を上げた。
「このコたちを、よろしくお願いします。私は、今から馬で助けを呼びに行こうと思います」
「な…?」
「おにいちゃん?」
思いもよらぬ青年の言葉を聞いて、主人は訝しげな表情をする。
「そ、そんな事言って、自分だけ逃げようって魂胆じゃないだろうな!?」
「逃げません。必ず戻ってきます」
きっぱりと答える青年の真っ直ぐな瞳に、主人は思わず押し黙る。
短い間だが、彼には青年が嘘を吐くような人間ではない事を、無意識に理解していたからだ。
「村の人達が隠れたら、川の橋はたたんで下さい。私の事は気にしなくていいです。ただ…万が一、 私が明日になっても戻らなかった時は、この鳩を飛ばしてくれますか?」
家の中から出してきた鳥かごを、青年は主人に手渡す。
「この鳩は、私が世話になった男の所へ飛んで行きますから」
「ああ…あの、時々村に来る兄ちゃんの事か」
「はい。彼ならきっと、力になってくれます」

よろしくお願いします、と頭を下げた青年は、馬小屋から再び馬を出した。
着物の上に、粗末な外套代わりの布を羽織ると、いつも戸口のかませに使用している 三尺程度の棒を手に取る。
「………」
暫し、何かをためらうようにそれを見つめていたが、やがて青年は、その棒を馬の手綱 に巻き付けると、とても片腕とは思えぬ程の身のこなしで馬に跨った。
「おにいちゃん!」
飯屋の主人に促されて、避難先に向かう子供たちが、青年を振り返る。


そんな子供達を安心させるように、青年はニッコリと笑った。




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