甲斐の国境付近の村に着いた政宗は、静まり返っている村の様子を窺いながら、 やがて村外れの川越にある古びた社に、人の気配を感じた。
川を渡る橋がたたまれているのを確認した政宗が、社に向かって幾度か呼び かけていると、やがて中からおずおずと初老の男が現れた。
はじめは、刀鍔を眼帯にした、青を基調とした派手な出で立ちの政宗に警戒していた 彼らだったが、暫しの時間を置いた後に、漸く自分達を助けに来た人間である事を 理解した。

「なるほど。被害を最小限に食い止めるには、悪かねぇ策だ」
「…はい。戦が続いていた頃から、幾度か村に夜盗や山賊が襲って来たものですから」

村長の言葉の端々に含まれた皮肉を、政宗はあえて気付かないふりをする。
過去を振り返ってばかりいては、この先何も出来ないし、一国を預かる城主が、些細な村ひ とつの事に拘る余裕もないからだ。

「おにいちゃんは?おにいちゃんは無事なの?」
社から出てきた子供のひとりが、大人達が止めるのも聞かず、政宗の前に駆け寄ってくる。
「……『おにいちゃん』?お前の兄貴か?」
「違うよ。でも、すっごく優しいおにいちゃんなんだ。おにいちゃん、『助けを呼びに行く 』って、村を出たまま帰ってこないんだ」
「…What?何て真似してんだ、ソイツ…」
中身のない鳥かごを抱えながら、子供は唇を噛み締める。
「ったく、大人しく隠れてりゃいいものを…丸腰の村人なんざ、チンピラどもには 格好の標的だぜ?」
政宗のボヤキに、子供はその幼い眉を怒りに逆立てた。
「おにいちゃんは、『必ず帰る』って約束したんだ!おにいちゃん、お馬を操る の上手だし、あんなやつらに捕まったりするもんか!いい加減な事言うな!」
子供特有の大声が、鼓膜をこれでもかというほど刺激し、政宗はその端正な顔を 不快気に歪ませる。

(──そんな約束、あてになるかよ)

無意識に脳裏に浮かんだ苦い記憶が、もう少しで言葉となって出る所だったが、我に返った 政宗は、舌打ちひとつでそれを押し止めた。
この子供と、過去に『約束』を破られた自分とは、何の関係もないだろう。
もう少しで大人気ない真似をしようとした事に自己嫌悪すると、政宗は子供の目線に合わせるように して上体を下げる。
「安心しな。襲撃に遭った村には、俺の仲間が行ってる。助けが来た事が判れば、 お前の『おにいちゃん』も直に戻ってくるさ」
「…本当に?本当におにいちゃん、戻ってくる?」
「──ああ」

子供の曇りのない丸い瞳に、政宗は少しだけ眩しそうに隻眼を細めると、ゆっくりと頷いた。


カキン、と武器が弾かれた音に続いて、またひとり賊の身体が地に落ちた。
「ひっ、ひいぃ!」
桁外れの強さを目の当たりにした賊の生き残りは、短槍を携えた片腕の青年に、完全に戦意を喪 失していた。
腰を抜かしたのか、尻で後ずさりを繰り返す男に、青年はゆっくりと歩み寄る。
「た、助けてくれぇ!お、俺たちは頼まれただけなんだ!」
「頼まれた…?どういう事だ?」
村人らしからぬ口調で、青年は男に厳しい声で問い質す。
「俺たちは、金で雇われただけなんだよ。近くの国の連中から…な、何でも『同盟』とや らを揺るがせる為に……!」
だが、そんな男の台詞は、最後まで続かなかった。
何処から飛んできた矢が、男の額の真ん中を射抜いていたのだ。
危険を察知した青年は、反射的にその身を横に躍らせた。間髪入れずに、青年がいた場所に数本の 矢が突き刺さる。
だが、それだけには止まらず、矢はなおも執拗に青年の命を奪わんと襲って来た。
「くっ!」
青年は手にした短槍で矢を弾き返すと、そのまま腕を振り上げ、矢が飛んできた方向へ己の武器を 投げつけた。
瞬間、僅かにひるんだような声と手応えを覚え、射撃が中止される。

『貴様…只の村人ではなさそうだな。野武士崩れ…といった所か』
「──何者だ」
聞こえた声に、青年は鋭い目つきで周囲を見渡した。
『ククク…貴様には関わりのない事だ。今日の所はこれで引き上げるが、命が惜しくば、余計な事には 首を突っ込まぬ事だな。…それ以上、不具にはなりたくなかろう?』
「…待て!」
自分の片腕を揶揄された青年は、いつもの柔和なそれとはかけ離れた厳しい表情のまま、声の主を追おうと するも、青年が地を蹴った頃には、既に襲撃者の気配は跡形もなく消えていた。
叢の中で、所在無げに転がっていた自分の武器を拾い上げると、青年は大きなため息を吐く。

(『貴様には、関わりのない事だ』)

襲撃者が残した捨て台詞を、青年は頭の中で反芻させる。
その通りだ。
先程は、行き掛かり上悪漢相手に立ち回りを演じたが、せいぜい身を守るのが精一杯である。
昔はともかく今の自分では、到底戦場になど立てそうもない。
……唯一、「あの人」と対等になれた場所には、もう二度と立つ事は出来ないのだ。
──それでも。
(『同盟』を揺るがせると言っていたが…「あの方」は、この事をご存知なのだろうか…?)
何かあった時の為にと、青年は気を取り直すと自分を襲った矢の一本を取ると、首に巻いてい た手ぬぐいで、慎重に包んだ。
短槍の仕込み刃をしまって、元の棒に戻していると、不意に遠くから複数の蹄の音が聞こえてきた。
「!?」
立ち去る機会を逃した青年は、咄嗟に焼け残った民家の影に身を隠す。
やがて、近付いてきた蹄の音が、先程まで青年のいた場所で止まった。


「どうやら、村の住民は全滅のようですね」
「まあ、あんまり大きくない村だしな」
聞き覚えのある声を耳にした青年は、民家の壁越しから気付かれぬよう首を巡らせる。
「ん…?おい、小十郎。コレ、さっき俺たちが向こうで倒した賊の仲間じゃねぇか?」
村人達とは異なる屍に気付いた若武者が、隣で周辺の様子を見ていた男に尋ねた。
「そのようですね。一体どうして…」
「さあ。仲間割れでも起こしたんじゃねぇの?」
「…ちょっと待って下さい、成実殿。これは……?」

(あの人たちは…!)

眼(まなこ)に映ったふたりの人物は、青年の鼓動を跳ね上げた。
心の動揺が身体に現れたのだろうか、迂闊にも踵を壁にぶつけ、物音を立ててしまう。
「──誰かいるのですか?」
音に気付いた「小十郎」と呼ばれた男が、歩を進めてきた。
彼の足が、民家に差し掛かった瞬間、青年は壁伝いに移動すると、先程とは 対角の位置から、その辺に転がっていた桶を放り投げる。
乾いた物音に、研ぎ澄まされていた男の聴覚は過敏に反応した。
踵を返して、桶が転がった方向に移動しようとする彼の隙をつくと、青年は今度こそ、 その場を逃げるように去っていった。


「どうしたんだよ、小十郎」
気のない足取りで、伊達成実が自分の背に呼びかけてくる。
「いえ。確かに、誰かいたような気がしたのですが…」
「大方、焼けた民家の木片でも落ちた音だろう?もう、これ以上探すものはなさそ うだし、戻ろうぜ」
言うが早いが、もうここにいる必要はないと感じた成実は、さっさと自分の馬へ跨り始める。

(賊の骸にあった、あの槍傷…まさか……)


脳裏に浮かんだ、拭いきれない疑惑を持て余しつつも、成実に促された片倉小十郎は、荒れ果てた 村を後にした。




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