「よーし!OK!最高!」
監督の声に、『幸村』は小さく笑うと額の汗を拭った。
あれから『幸村』の演技は、素人の俺でも判るほど生き生きとしていった。
心の底から芝居が楽しくてたまらない。…そんな彼の表情は、同性の俺から見て もとても魅力的で、反面、そのライバル役が俺なんかでいいんだろうか…なんて、 ネガティブな思考に捕われる事も、この頃ではしばしばである。


「ああ、キミ邪魔。どいてどいて」
「わっ!」
不意に、バタバタと足音を立てながら、数人が俺を突き飛ばしていった。
慌てて壁際に避けると、その人物らは、撮影を終えて休憩している『幸村』の所へ 一直線に進んでいく。
なるほど。雑誌の記者が『幸村』にインタビューしに来たのか。
だけど、何も突き飛ばす事はないじゃないか。これでも俺はモデルだぞ。怪我し たらどうしてくれるんだよ。
『幸村』を取り囲んでいる人影を、俺は忌々しげに見つめる。
「いい気なモンだよな」
すると、いつの間にいたのか『佐助』が些か気分を害したような声を出してきた。
「何が?」
「ヤツらだよ。この頃の『幸村』には見向きもしてなかったクセに、ネタになるのが 判った途端、ああやってハイエナのように群がってくるんだからな」
「まあ…確かに、記事が受ければ雑誌も売れるし、必死なんじゃないのか?」
「──お前、気楽だね」
「どういう意味だよ」
「きっと、共演のお前との事も、メチャクチャに書かれるぞ?それこそある事ない事 でっち上げて」
「え…」

そういえば、以前事務所の先輩が引き抜きにあった時、その先輩 がウチの事務所や社長たちの事を徹底的に非難する記事が、週刊誌に載った事がある。
これまで「同じ釜の飯を食った」仲間の裏切りとも取れる内容にいきり立 つ俺を、社長は無言で押し留めてきた。
「新入りのお前には判らんだろうが、これが芸能界ってモンだ」
後で、こっそりマネージャーに聞いた話だが、その週刊誌が発表される少し前、当の先 輩から、丁寧な謝罪の手紙が届いていたと言う。
──実は、その先輩はとある事件がきっかけで弱みを握られ、それを公表しない事を条件に、前々か ら先輩を欲しがっていた大手プロダクションへの移籍を迫られていたそうだ。
ウチのような弱小事務所にとって、ようやくメジャーで認められるようになっていたばかりの先 輩の移籍は、本当に痛手だったよな……

「ま、最近じゃ俺も『幸村』も、自分がインタビュー受けた雑誌って、殆ど目にしない けどな。だからお前も見ないようにするか、あんまり気にしない方がいいぜ?」
ひらひらと、手を振りながら去っていく『佐助』を見送りながら、俺はインタビューを受 けている『幸村』に、もう一度視線を移した。
俺は、何を言われようと構わないけど、もしそれが『幸村』へのマイナスイメージに 繋がってしまったら…
無遠慮に質問を重ねる記者に、それでも懸命に応えている『幸村』を一瞥すると、俺はある種の決意を 胸に、スタジオを飛び出した。


この建物の一番奥にある練習室にたどり着いた俺は、早速台本をめくると、セリフの練習を始めた。
『…ったく、命粗末にしちゃって。coolじゃないねぇ』…って、どうも しっくりこないなぁ……」
以前は、『元親』さんに指導をして貰いながら練習を繰り返していたこの部屋も、ひとりでいると妙にがらん とした寂しい気持ちになってくる。
「…ダメだ、ダメだ!『元親』さんはもういないんだから、ひとりで頑張るしかないだろ!?」
ここにはいない「伊達政宗」のライバルの姿を思い浮かべながら、俺は台本を目で追い続ける。
「えっと…『おめぇら!持ち場を墓場と思え!年寄りのジイサンくらい、きちんと足止めしてくれよ?』
「黙れぃ!お館様の邪魔は、この幸村が決してさせぬ!」
「──!?」

思わぬ相槌を聞いて、俺は後ろを振り返る。
見ると、いつの間にいたのか、『幸村』がゆっくりと近付いて来た。
「きっと、ここだと思ってた」
「ど、どうして…インタビューは?」
「とっくに終わったよ。退屈な質問ばかりだったし。それよりも、明日の撮影に向けて練習して た方が、ずっと有意義だから」
言いながら、『幸村』は手にした台本を開いた。
「今度こそ、リテークなしで行きたいからね。用意はいい?」
「『幸村』こそ…俺なんかと練習してて、いいのか?」
「……一緒じゃ迷惑?」
「ち、違うって!そんな事ないよ!」
傷付いたような表情の『幸村』に、俺は慌てて否定する。
「良かった。じゃあ、早速いくよ」
「あ、ああ」
『幸村』の笑顔にどきまぎしながら、俺も台本に目を通し始めた。


撮影の序盤で散々躓いた摺上原のシーンを、俺は懸命に台本を目で追いながら 台詞を繰り返す。
だが、幾度の掛け合いの後、『幸村』が不意に動きを止めた。
「…一体、何処を見ているの?」
「え?」
自分ではかなり力をいれて練習していたので、それなりに自信があったのだが、 俺を見つめる『幸村』の表情は、いつになく厳しかった。
「今、君がやってるのは、単なるセリフの読み合わせ?」
「いや…違うけど」
「じゃあ、どうしてこっちを見ないの?」
先程よりも『幸村』の語気が強まった事に、俺は困惑する。
「真田幸村と伊達政宗。物語上、宿命のライバルともいえるふたりの対決 なのに、余所見をしている暇なんてあると思う?」

「ちょっと、俺のセリフを言ってみて」と言われ、真田幸村のセリフのひとつを、 なるべくそれっぽく読み上げる。
「こ、『ここで会ったが百年目、うおぉお相手仕る!』
『ハッ、吼えな吼えな、暑苦しいぜ!』
「──!」
「……今のが、俺と君の違い。判った?」
圧倒的だった。悔しいが、俺の眼前にいたのは確かに「伊達政宗」だったのだ。
熱血漢の宿敵「真田幸村」を前に、心の奥底に燻る熱い想いを隠しつつ、鋭利な一瞥 をくれる独眼の竜。
そして、自分の役だけでなく、それを器用に演じる『幸村』に、俺は益々落ち込み そうになる。
だが、
「…でもね。俺では伊達政宗にはなれないんだ」
素に戻った『幸村』は、歩を進めて俺の前まで来た。
「君だから、出来るんだ。ううん、君にしか伊達政宗は出来ないんだ」
「『幸村』…」
「もう、君は素人なんかじゃない。今の君は、誰が見ても立派に政宗を演じる事 が出来る」
気が付くと、『幸村』の両手が、俺の頬を包み込んでいた。
そのまま接近してきた『幸村』の端正な顔から、俺は目を離せないでいた。
「だから…ちゃんと、俺の事を見て」
「……」
「──『ちゃんと、拙者の事を見て下され。政宗殿』」
「『──All right.』」
幸村の瞳に誘われて、いつしか俺は、「伊達政宗」の口調そのものに応えていた。


いつまでも、このまま戦い続ける事が出来たら。
この紅蓮のもののふと、いつまでも命のやり取りをする事が出来たら。
この男の姿を、自分だけを映しているその瞳を、いつまでも独占し続ける事が出来たら…

だが、ついに終わりの時が訪れた。政宗の繰り出した爪が、幸村の身体を 深々と貫いたのだ。

「か…は…っ…」

後ずさりながらよろめいた真田幸村は、それでも最後の力を振り絞ると、伊達政宗に向き直った。
自分を倒した宿命のライバルに賞賛と、そして死闘の終わりを名残惜しむような視線を寄越して くる。

「そなたと、会えた事…感謝する…政宗殿……」
「幸村…」
「…申し訳…ございませぬ。この幸村、まだまだ…未熟にございました…叱ってくだされ… …おや、か…た、さ……」

伸ばされかけた腕は、しかし空の向こうにいる主(あるじ)までには到底届かず、やがて 力尽きた幸村の身体は、地面に崩れていった。

「……凄ぇ」
撮影を控えていた『蘭丸』は、『幸村』の迫真の演技を目の当たりにして、いつもの減らず口は 何処へやら、食い入るように見つめていた。
「『幸村(アイツ)』、本当にマジでやってやがる…『政宗(オマエ)』、どうするつもりだ…?」
出番は終わっていたが、スタジオの角にいた『佐助』も、ふたりの姿を固唾を呑んで 見守っている。

宿命のライバルを討ち取った政宗は、無言でその場を去ろうとしたが、つと踵を返すと、仰向けに 倒れた幸村の骸を見下ろした。
開いたままの彼の瞳孔には、最早何も映ってはいない。
幼さの残った口元からも、最早何も言葉は出てこない。
そしてその腕は、何も掴めずにだらしなく地面に投げ出されたまま──

「……」

政宗は地面に片膝を着くと手をかざし、開いたままの幸村の瞳と口を閉ざした。
行き場のないまま地に落ちた腕を彼の身体の上に載せると、やがてゆっくりと立ち上がる。
そして、今度こそ幸村から背を向けた政宗は、わき目も振らずに武田総大将の陣を目掛けて 駆け出した。


「………カット!」

いつもよりも長い間を置いた後で、監督のOKがかかった。
次いで、何処からともなく拍手が起こり、漸く我に返った俺は、慌てて周囲を見渡す。
「起こしてくれる?」
走らせた視線の先に、未だ倒れたままの『幸村』が、俺を呼んだ。
俺は『幸村』に近づくと、彼の腕を引いて立ち上がらせる。
すると、
「わっ!?」
身体を起こした『幸村』は、突然俺に抱きついてきた。
訳が判らず間抜けな声をあげる俺が可笑しいのか、俺に身体を預けた状態でクスクス笑っている。
「良かったよ。最高の演技だった」
「『幸村』…」
「でも、何であんな事したの?台本にはなかったじゃない」
「…そ、それを言うなら『幸村』だって同じだろ?」

そうなのだ。真田幸村が伊達政宗に倒されたくだりは、全部アドリブだったのだ。
台本と違う言動をする『幸村』に、はじめはどうしようかと思っていたが、気付いたら俺は そんな『幸村』に合わせていた。
我ながら、よくここまでアドリブが出来たもんだ。
でも。

(ちゃんと、俺の事を見て)

あの時の『幸村』の言葉に従っていたら、自然と口も身体も動いていたのだ。
宿命のライバル同士の戦いが、どちらかの死によって幕を下ろされたら。
俺が本当に「伊達政宗」なら。
敵とはいえ、自分が認めたライバルを、無様な姿で野晒しになんかしたくなかった。
だから、せめて。

「──眠らせてやりたかったから」
「…そう」

果たしてその答えが、『幸村』の納得のいくものだったのかは、良く判らないけど。
それでも、うっすらと微笑む彼の表情と温もりに、俺が安堵したのは確かだった。


──『BASARA』の撮影も、あと残り僅か。


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