独眼竜の纏う「気」は、蒼き焔となって、魔王の放った赤いそれを次第に 圧倒し始めていく。 信長の小姓、森蘭丸の放つ矢を巧みに交わすと、政宗の六爪は、「魔王の子」と 恐れられていた彼の身体を、容赦なく斬り捨てた。 「信長様…褒めて、欲し…かった……」 「おイタが過ぎたな、クソガキ。せいぜいあの世で、閻魔様にでも詫び入れて来い」 『BASARA』撮影最終日。 その後の編集・アフレコ等の仕事は残っているが、実質俺が政宗の衣装を 着るのも演じるのも、一応今日が最後である。 クランクアップの後には、スタッフによる打ち上げがあるので、スタジオには 先程最後の撮影を済ませた『幸村』たちの他に、久々に訪れた『元親』さんや 『光秀』、『元就』さんたちの姿もあった。 ……本当に、今日で終わっちゃうんだな。 はじめは「さっさと終わってくれ!」なんて、いい加減な事を考えていたけれど、 この半年余りで得た経験は、今まで俺が生きてきた中で、5本の指に入るほど貴重な ものになっていた。 オーディションを薦めてくれたマネージャーに、ゲーム会社の人たち。 素人の俺を、それでも求めてくれた監督にスタッフ、キャストの皆。そして…… (「『政宗』」) ──『幸村』。もうすぐ撮影が終わるよ。 お前と知り合えて、俺は本当に色々な事を学べたと思う。 ……お前は、どうなんだ? 単なる共演者だけの間柄じゃない、なんていうのは、俺の勝手な思い込みなのかな……? メイクを直してもらいながら、俺は壁際からこちらを見ている『幸村』 を、こっそり視界に捉えた。 「お前の出番はもう終わったのだから、着替えて来たらどうだ?」 「いいえ。すべての撮影が終わるまでは、ここにいます」 師匠の言葉に、『幸村』は首を振ってカメラの向こうにいる『政宗』を見つめ続ける。 そんな愛弟子の横顔を、『信玄』は面白そうに眺めながら、 「はじめは、ワシと顔を合わせる度に『降板させて下さい』と頼んできたお前が、 随分な変わりようではないか。…『政宗』くんの影響か?」 「えっ、なっ…あの……」 自分の揶揄に頬を染めた『幸村』を、『信玄』は喉の奥で忍び笑いを漏らした。 「どうやらお前は、今回の事で成長したようだな。…どうだ?学ぶべきものは、見つ けられたか?」 「──はい」 小さく、だがはっきりと頷いた『幸村』を見て、『信玄』もまた嬉しそうに首肯した。 広大な夕焼けのセットをバックに、馬の模型(後にCG処理されて、実際の馬に乗った ような映像になるらしい)に跨った俺は、高々と右手を突き上げた。 「got it!天下、獲ったぜ!」 ──だが奥州の武者が、天下と引き換えにしなければならなかった者たちのなれの果てが、 無数の墓標となって、政宗を取り巻いていた。 「……」 どうした、政宗。覚悟は出来ていた筈だろう。 こいつらの分まで、お前は生きていかなきゃいけないんだ。 そんな想いを胸に、俺は最後の台詞を言おうと、口を開きかけた。 だが。 「どうしたんだ、『政宗』は?」 「……『政宗』?」 動きを止めてしまった俺を、監督や『幸村』が訝しげに眺めてきた。 どうしたんだよ、俺。早く台詞を言うんだ。 「後悔はねぇ。行くだけだ」って。それで、すべて終わりだろう? イヤだ。これで終わってしまうなんて。今まで一緒に闘ってきた仲間やライバル たちと別れ、ひとりきりで進まなくてはならないなんて。 ……イヤだよ。これで終わっちゃうなんて!俺、もっともっとみんなと一緒 に仕事がしたいよ。『佐助』、『元親』さん、『幸村』!…みんな! 俺は……! 俺は……!? もはや、俺の頭の中は、何がなんだか判らなくなっていた。 一体、今ここにいるのは俺なのか、「政宗」なのか。 色んな想いが、まるで荒れ狂った波のように俺の胸を渦巻き続け、やがて 俺は無言で天を仰いだ。 抑え切れずに漏れ出た感情の昂ぶりは、ひと筋の涙となって、俺の頬を静か に伝っていく。 「……!」 政宗の姿を目の当たりにした『幸村』は、思わず両手で口元を押さえた。 ともすれば、緩んでしまいそうな涙腺を懸命に堪えながら、一心に彼の姿を 見守り続ける。 ………どれくらい、時間が過ぎたのだろう。 長かったのかも知れないし、あるいはほんの数秒だったかも知れない。 何かを振り切るように、乱暴な仕草で涙を拭った俺は、最後の台詞と共にひとり 荒野へと駆け出していった。 「──カット!これにて全撮影終了!クランクアップだ!」 「お疲れ!」 「お疲れ様でした!」 仄かに興奮気味の監督の声に、他のスタッフやキャストからも歓声が上がる。 「政宗、お疲れ様!最後の演技、良かったぞ!……政宗?」 だが、そんな監督の言葉に、俺は何も返す事が出来なかった。 馬の模型にだらしなく身体を預けたまま、俺は後から後からこみ上げてくる感情 そのままに、嗚咽を漏らし続ける。 その時、パタパタと足音が聞こえてきて、次いで俺の背に温かい何かが載せられた。 「『政宗』」 心地良いほど聞き慣れた声に、俺は漸く顔を上げると、泣き過ぎの腫れた目で『幸村』 の姿を見とめた。 ぼやけた視界の所為か、何だか『幸村』まで泣いてるように見える。 衣装を着たままの彼が、「真田幸村」そのものにも、いつもの『幸村』のどちらに も見えて、俺の心は再び揺らめき出した。 「──お疲れ様。…これで、終わりでござるよ」 そんな俺の気持ちを知ってか知らずか、『幸村』はどちらとも取れる口調で、俺に 語りかけてきた。 「辛かったでござるな……よく頑張ったね」 「ゆ…」 後は、もう言葉にならなかった。 完全に頭の中がグシャグシャになってしまった俺は、幸村の腕の中で、みっともないまでの 大声を上げて泣きじゃくっていた。 「お前、モデル辞めてウチの事務所来い!俺が、立派な名悪役に育ててやっから!」 「ちょっと待った!チカぽんてめぇ、何抜け駆けしてやがる!」 「フフフ。『政宗』クンは、私たちと『お笑い界のイケメントリコロール』として、新たな芸能 人生を歩んでいくのですよ?」 「いや…あの…俺、そっちの方はちょっと……」 一番広いスタジオに、机と料理その他を運んでの打ち上げは、まるでお祭りのように賑わい でいた。 上機嫌で俺に絡んでくる『元親』さんや、『元就』さんたちをはじめ、スタッフやキャストの 皆が入れ替わり立ち代り、俺に声を掛けてきてくれた。 「まあ、お疲れさん。見直したぜ。……『ほんのちょっと』だけどな」 「俺もだよ。お前、いいヤツなんだな……『意外』と」 『佐助』と杯と嫌味を交わした後は、『謙信』さんに労いの言葉を掛けて貰ったり、『いつき』 ちゃんと『蘭丸』の子役コンビにじゃれつかれたりで、もみくちゃにされてしまっていた。 うーん。気持ちは嬉しいんだけど、ちょっと休憩したいなあ、と頭の中で考えていると、 「『政宗』」 飲み物を手にした『幸村』が、俺の前に現れた。 「『幸村』」 「ちょっと、あの事で話があるんだ。悪いんだけど一緒に来てくれる?」 「え?」 「すみません、皆さん。暫く『政宗』お借りしますね」 要領を得ない俺を他所に、『幸村』は俺を連れて、スタジオから通用口を抜けて外へ出た。 スタジオの熱気とは異なり、爽やかな夜風が頬に当たる。 「『幸村』。あの事、って…?」 「ああ…あれ、ウソ」 「へ!?」 「だって、こうでもしないと『政宗』を独り占めに出来そうになかったから」 中々の演技だったでしょ?とおどけられて、俺は暫し呆気に取られた。 「本当に、お疲れ様でした」 「ううん、こちらこそ」 頭を下げてきた『幸村』に、俺も慌てて会釈を返す。 「終わってみると…何だかあっという間だったね」 「…ああ」 夜空の星を見上げながら、俺と『幸村』は通用口の石段に腰を下ろすと、扉に身体を預け た。 鉄製の扉の冷たさが、酔いを醒ましてくれるような気がする。 「本当の事言うとね。俺、最初はこの仕事がイヤでたまらなかったんだ」 「…『幸村』?」 「この仕事は『お館様』…俺の師匠が、勝手に決めたものだったから。だから、はじ めの頃は『政宗』や皆の苦労も知らずに、八つ当たり紛いな事ばかり言ってて……ご めんなさい」 「いいよ。俺も、『幸村』のキッツイ小言があったから、かえって踏ん張れたっていうの もあるし」 「…そんなにキツかった?」 「まあね」 片目を瞑って答える俺に、『幸村』は小さく吹き出した。 「今まで俺は、元・天才子役っていう自分に植え付けられたイメージを、ただ躍起になって 振り払おうとしていただけだったんだ。結局それが、自分を雁字搦めにして いた事も知らずに…そんな俺の目を醒まさせてくれたのは、『政宗』。君だったんだ」 「え?俺?」 「うん」 『幸村』は頷くと、俺との距離を少し詰めてくる。 「子役の俺も今の俺も、同じ人間。その事に気付いたのは、君がいたからだよ。有難う。 まずはお礼を言わせて欲しい」 「……『まずは』?」 「うん。本題は、これからなんだ」 少し居住まいを正した『幸村』が、先程よりも真剣な表情で俺を見つめてくる。 「…ねえ。もし良かったら、これから本格的に役者の勉強してみない?」 「え?」 目を丸くさせる俺に、『幸村』はなおも詰め寄ってきた。 「クランクインから見違えるくらい、上手になった『政宗』を見て思ったんだ。 君には、間違いなく芝居の才能がある」 あの時。『幸村』は、『政宗』の演技に涙を流した。 誰かの演技に素直に心を動かされたのは、本当に久しぶりの事だった。 本当の自分に気付かせてくれた人物。 いつの間にか、『幸村』にとって『政宗』は、大切な存在になっていたのだ。 だから。 「俺は、これっきり『政宗』と離れてしまうなんて、嫌だ。君さえ良ければ、これ からもずっと……」 「『幸村』…」 不安に揺れる『幸村』の顔を、俺は思わずまじまじと見つめ返す。 これってプロポーズ…じゃない、『幸村』にスカウトされてるって事だよな。 あの『幸村』が、俺の事を認めてくれている? どうしよう。何て返事をしたらいい……? 暫く、俺は視線をあちこちに漂わせていたが、やがて結論に達すると、もう一度『幸村』 に向き直った。 「…有難う。正直、凄く嬉しい。でも、ダメだ」 「……どうして?」 「俺は、役者どころかモデルとしても、まだまだ修行中の身なんだ。勿論、今回の事で 芝居の世界に興味も魅力も感じてるんだけど…まずは、自分の本分を全うして行きたいんだ」 「『政宗』…」 「そんなに広い世界じゃないし、お互いに仕事を続けていれば…きっとまた何処かで会えるさ。 気休めなんかじゃなくて、俺は本気でそう思ってる」 「……」 「だから、残念だけど『幸村』の誘いは受けられない。本当にゴメン」 申し訳ない想いで、俺は『幸村』に向かって頭を下げた。 あそこまで言って貰ったのに、応えてやれない自分が情けなかったが、こればっかりは 譲れない。 傷つけてしまったかも知れないな、と思っていると、 「…そっか。そこまで決めているのなら、無理強いは出来ないね」 穏やかな『幸村』の声が、俺の耳に届いてきた。 「あ〜あ。残念。これで、『政宗』を欲しがってた他の皆を、出し抜けるって思ってたのに」 「え!?」 間抜けな声を出す俺に、『幸村』は悪戯っぽく笑みを浮かべる。 そうしている内に、スタジオから俺たちを呼ぶ声がした。主役の2人が何処かへ行ってしまったので、 探していたらしい。 「そろそろ戻ろうか」 「待って。最後にもうひとつだけ」 俺の手を取りながら、『幸村』が俺の前に立った。 「約束して。必ずまた、一緒に仕事をしよう」 「『幸村』…」 「──絶対だよ」 「…ああ」 力強く頷くと、俺は『幸村』の両手を、しっかりと握り返した。 |