初めてあいつに会ったのは、もう10年以上も前の事。
当時、児童劇団の中でリーダー格にいたオレは、ちょっと他のヤツらより芝 居が上手いというだけで、天狗になっていた。
あの日も、母親の影に隠れてオドオドこちらを見つめてくるあいつを、正直 「ちょろいヤツ」なんて内心バカにしていた位だ。
だけど、そんなオレの驕りは、レッスンを始めたあいつを目にした途端、瞬 く間に崩れ、その後の俺の役者としての方向を、決定付ける大きなきっかけ となったのだ。


「何してんだ?」
午前中の仕事を済ませ、他のキャストより遅れてスタジオ入りした 『佐助』は、ロッカー室に見慣れた人影を見つけた。
「…ぁ」
「そこ、『政宗』のロッカーじゃないか。お前のロッカーは、向こうだろ?」
「……何でもない」
明らかに挙動不審な様子でロッカー室から去っていく『幸村』を、『佐助』は首を 捻りながら見送ったが、撮影の時間が迫っている事を思い出すと、手早く着替えを始めた。
「まさか、実際に『佐助』を演じる事になるなんてな」
今回の出演以前にも、彼はゲームのモーションアクターとして、『BASARA』の仕事 に関わっていたのだ。
人間の動きをゲーム上で再現する為に、頭のてっぺんから足のつま先まで器具を付 けられて、様々なアクションをした事を思い出す。
イメージキャラである『政宗』のように、表立って顔を出すような事はなかったが、 それでもゲーム上でキャラクターが動き回るのを見る度、「それは、俺がやったんだぜ」 と優越感を覚えずにはいられなかった。
撮影用の衣装を身に付け、私服をロッカーに仕舞おうとした時、廊下の方から何や ら聞き覚えのある複数の声が『佐助』の耳に届いてきた。

「大丈夫ですか?『政宗』くん」
「平気です。もう殆ど痛くありません」
「まったく何よ、あの態度!ひと言『ゴメン』くらい言ったらどうなのよ!」
「いいんですよ。出て行こうとしてたのを、無理に引きとめた俺も悪か ったんですから」
「それでも、人に火傷させといて謝りもしないなんて、ちょっと『幸村』さんひど いですぅ…」

──この声は、『かすが』と『いつき』ちゃんだな。
同じ養成所仲間の怒声と『政宗』の科白、それに先程の『幸村』の様子を思い出した 『佐助』は、自分の幼馴染が何かトラブルを起こした事を悟った。
芝居の中では、どんな役柄も演じる事が出来るくせに、素の『幸村』は、不器用なまで に人付き合いというものが苦手なのだ。
『…俺がいれば、もうちょっとフォローも出来たんだろうが』
そんな風に考えていた『佐助』だったが、続いて聞こえてきた『蘭丸』の言葉に、物騒 に眉を逆立てた。

「『政宗』が新人で、自分が元・天才子役様でキャリア長いからって、どっか勘違いして んじゃねーの?ああはなりたくないよなー」
「「おら、ガキ。年上を呼び捨てにすんな(じゃねぇぞ)」」
「フフフ。『元就』も『チカぽん』も、見事なシンクロですねぇ」


──ふざけるな。そんな事、アイツが微塵も考えたりするものか。


確かに自分や他人の演技に、ストイックなほど厳しい所もあるが、それは少しでも芝居を良 いものにしていこうとする気持ちから来ているもので、この世界にありがちな『後輩いびり』 などというくだらないものではない。
『アイツは、ちっとも変わってなんかないさ。それは、昔から一緒にいる俺が、一番良く 知ってる』
その証拠に、この間珍しく『政宗』がNGなしで撮影をクリアしていた時、傍で見学していた 『幸村』が、頷きながら小さく呟いていたのだ。
「いい演技だ」と。
──幼馴染の自分でさえ、演技上で『幸村』から賞賛を聞く事など、ごく稀でしかなかった というのに。
「……らしくねぇ。俺とした事が、新人ごときにヤキモチかよ」
肩を竦めながら、佐助は先程まで幼馴染が佇んでいた『政宗』のロッカーに視線を向けると、 僅かに目を細めた。


漸く全ての撮影が終了した頃、既に夜も更けていた。
「あ〜…何だか今日は、特に疲れたな」
『政宗』の小道具である兜や鎧、そして独眼竜のシンボルともいえる眼帯から開放されて素に 戻った俺は、着替える為にロッカー室へと進んだ。
あれから、幸村との撮影はなかったものの、やはり気まずい思いを抱えたまま、なるべく意識し て彼の方を見ないようにしていた。
……きっと今日の事で、益々俺と『幸村』の関係は悪化してしまっただろう。
「もう絶望的だな、俺……明日からの撮影、どーすんだよマジで」
思い切り肩を落としながら、俺は自分の荷物が入っているロッカーの扉を開ける。
「…あれ?なんだコレ?」
着替えを取ろうとした俺の視界に、見慣れぬものが飛び込んだ。
ドラッグストアのロゴが入った小さな紙袋が、服の上に鎮座していたのだ。
手を伸ばしてそれを取ると、小袋に留めてあるテープをはがして、中を確認する。
次の瞬間、俺は思わず声を上げた。
そこには小さなメモと、買ったばかりと思しき火傷の軟膏薬が入っていたのだ。

『ごめんなさい』

メモに書かれた文字と薬を交互に見た後で、俺は今度は深く安堵の息を吐いた。
──良かった。俺は、『幸村』に嫌われている訳じゃなかったんだ。


「おかしいだろ」
不意に背後に気配を感じて、俺は弾かれたように振り返った。
見ると、私服姿の『佐助』が、面白そうにこちらを窺っていた。
まるで本物の忍者のような出現の仕方に、俺は思わず身構える。
「俺だったら間違いなく音を上げるような分厚い台本でも、一言一句完璧に科白を覚える 事が出来るクセに、自分の事になると、言いたい事の半分も伝えられないんだ」
「…?」
「昔からそうさ。引っ込み思案で臆病で、人の輪に中々入る事が出来なくて…」
「あの…それってどういう……」
「『幸村』は、お前らが考えてるようなヤツじゃないってコトさ」
…『佐助』の語気が、好意的でないように聞こえるのは、俺の思い過ごしだろうか。
黙っている俺を他所に、佐助はもう一度口を開いた。
「一応、撮影が終わるまでは同じ仕事をする『仲間』だと思ってるけど…単なる 好奇心なんかで、『幸村』に近付くのはやめろ。今日のそれも、お前に怪 我を追わせた事に責任を感じただけだ。それ以上でもそれ以下でもない」
「え…?」
「俺は、お前らみたいな『元・天才子役様』に近付いて、何かおこぼれに預かろうとする 浅ましい連中が、嫌いなんだよ」
事態がよく飲み込めてない俺に苛立ったのか、佐助の口調が、先程よりも荒くなる。
「『幸村』は、純粋に芝居を愛しているんだ。『子役』から抜け切れずに 辞めていくヤツが多い中、必死で踏ん張ってこの仕事を続けているんだ。そんなアイツ に近付いて、用が済んだら突き放して。その度に、アイツがどれだけ傷付いているか 知ってるのか?」
「ちょ、ちょっと待てよ。何で俺が、そんな事…!」
いわれのない悪意を感じて、流石に俺も気分を悪くした。
そりゃ、始めは昔TVで憧れてたヤツが間近にいて、有頂天になった事もあったけど、 今は違う。
俺は、時折見せる、役者としてじゃない素顔のアイツが、気にかかるんだ。
──何故彼は、いつもあんなに寂しそうにしているのかと。

佐助は、暫くの間俺を値踏みするように見つめていたが、やがて「ちょっと喋り過ぎ たか」と呟くと、先程より幾分か表情を和らげた。
「…だったら、余計な事は考えないで、与えられた仕事をこなしてな。ただし、俺の 目の黒い内は、アイツを傷つける事は何があっても許さないからな」
威嚇するかのようにひと睨みすると、佐助は背を向けて俺の前から去っていく。
訳が判らないまま残された俺は、佐助の言葉を頭の中で反芻しながら、手の中の薬を もてあそんでいた。



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