『佐助』が去った後、俺と『幸村』は、ただ呆然とお互いを見つめていた。
思えば、こんな風に正面切ってコイツの顔を見るのは、初めてかも知れない。
撮影用の格好をしていない所為か、(おまけに鉢巻も「尻尾」もない)私服姿 の『幸村』は、何だか俺の目には新鮮に映った。
「あの…さ。良かったら、これから一緒にメシでもどうだ?」
「…え?」
散々動き回ったお陰で、俺の中の腹の虫が、さっきから盛んに喚き続けていたのだ。
折角、誰の邪魔も入らずに話が出来るチャンスなんだし、思い切って『幸村』を誘ってみよう。
「駅前に美味い店見つけたんだ。値段も手頃だし。俺、奢るよ」
「いや…」
「あ、ひょっとして晩メシ、もう済ませちゃった?」
戸惑ったような『幸村』に、俺は僅かに小首を傾げる。
「まだだけど…」
「それとも、俺と行くのイヤか?」
「──ううん!そういう訳じゃなくて、あの…」
そう言って『幸村』は、自分の手を暫しうずうずと動かしていたが、やがて顔を上げると、 消え入るような声で返してきた。
「割り勘なら…一緒に行く」
「遠慮しなくていいぜ?俺今日、モデルの給料入ったばっかだし」
「割り勘じゃなければ、行かない」
何度言っても主張を曲げない『幸村』に、とうとう根負けした俺は、その条件を飲む事にした。


「…」
「………」
テーブルの一角に重ねられた皿の山に、俺は目を丸くさせる。
そんな俺の視線に気付いたのか、『幸村』は箸を止めると、恥ずかしそうに俯いた。
「『割り勘』の理由…判った?」
「…あ、うん」
一体全体、こんな細い身体の何処に、あれだけの量の食事を平らげられる程の胃袋が付い てるんだよ。
あれ?でも、いつも現場での『幸村』は、出された食事に殆ど手を付けてなかったような…
そんな俺の思惑に気付いたのか、『幸村』は顔を上げると、俺の疑問に答えてくれた。
「仕事中は、集中しているから、あんまり食欲がわかないんだ。だけどその反面、仕事が終わると 急にお腹が空き出して……」
「役者さんって、みんなそうなのか?」
「俺のようなのは例外だけど、大抵みんな食べる方だと思うよ。何時間もスタジオや舞台に立 って喋ったり歌ったり、忙しなく動き回っているから。体力勝負の世界だしね」
「へぇ…」
「俺の事より…君は、それで足りるの?」
俺の手元にある、チキンと焼いたパンの入ったサラダボウルに、冷奴とスープ だけの食事を見て、『幸村』が不思議そうに問い掛けてくる。
「しょうがないんだ。モデルは、自分の身体が商品だから。こうやって節制しないと」
「それだけで、お腹空かない?」
「んー…でも、もう慣れたしな。それに俺、2週間に一回『解禁日』を設けてるから」
「『解禁日』?」
「そっ。その日だけは、好きなモンを好きなだけ食べるんだ。2週間節制生活続けた 自分へのご褒美ってヤツ♪」
「ふふ…そうなんだ」


それから、俺たちは色々な話をした。
俺は、『幸村』がてっきり芸能界のサラブレッドかなんかで、生まれてからずっと英 才教育のようなものを受けてきたのかと思ってたんだけど、どうやら違うらしい。
「引っ込み思案な俺をあんまり心配した両親が、知り合いの経営する 児童劇団に入れたんだ。それも半ば無理矢理だったから、最初はレッスンの度に、『行きた くない』って駄々こねて…」
その児童劇団で『佐助』や『お館様』と出会い、次第に芝居の面白さを実感していったそうだ。
「芝居をしている時だけは、臆病な自分とサヨナラ出来る。舞台やスタジオの中では、引っ込 み思案な『幸村』はいない、ってね。それでも芝居を離れると、結局元の自分に戻ってしまうんだけど」
食後のコーヒーを片手に、『幸村』は苦笑する。
「だから、どんなに忙しくても、我武者羅にやって行けたのかも知れない。俺が芝居をし ているのは、多分、臆病な自分から逃げる事でもあったんだと思う。…そんな不純な動機で続けて いたから、今になってツケが回ってきて、『元・子役の転落』を味わってるのかな」
「そういうのやめろよ」
自虐的な物言いをする『幸村』に、つい俺は少々きつめに口を挟んでしまった。
「良く判んない俺が、こんな事言うのもなんだけど…昔のアンタも今のアンタも、 同じ人間だろ?」
「『政宗』…」
「何だかそれじゃ、今までの自分を愛してないみたいじゃないか。そんな人間が、これから先の 自分を好きになれるのか?俺は…スーパーのチラシのモデルやってた自分も、今の自分も胸を張 って『これは俺なんだ』って言える。だから…だから、アンタだってもっと自信を持っていいんだ」

うわああ、ベテランの俳優に向かって、何を言ってるんだ俺は。
でも、子供の頃憧れてた人間に、自分を否定するような言い方をされるのは、イヤだったんだ。
……だって、俺にはどっちの『幸村』も、本当に眩しいくらいの存在なのだから。

カップを両手に抱え込んだまま、『幸村』はテーブルに視線を落としている。
怒らせたかも知れない、と思っていると、やがて『幸村』は顔を上げて、真っ直ぐに俺を見つめてきた。
眼鏡越しだが、その力強い眼差しに、俺は引き込まれそうになった。
「──どうして、気づかなかったんだろう」
「…え?」
「今の自分は、過去の自分から繋がってきた存在だったのに…」

(『幸村』よ。何故そうやって、かつての自分を打ち消すような芝居ばかりするのだ。そんな事ではこれか ら先、何を演じてもその場しのぎで、決してモノにはならぬぞ)

当初は、煩わしいお小言だと思っていたが、今ならあの時の師匠の言葉の意味が、判るような気がする。
「…だから『お館様』は、俺にこの仕事を薦めてくれたんだ……」
「どうした?」
「ううん、なんでもない」
首を振る『幸村』の表情が、先程よりも和らいでいたので、俺はそれ以上の追及はしない事にした。
これをきっかけに、もうちょっと『幸村』に近づけたらいいんだけど…ま、所詮それは無理な話だし、 今のままでもそれなりに満足だ。
そう思い直した俺は、「もう一品デザートを頼んでもいいか」と問う『幸村』に、笑って頷いた。


食事を終えた俺たちは、駅でそれぞれの電車を待っていたが、やがて『幸村』の電車が先にホームに滑 り込んできた。
正直、俺としては名残惜しかったが、明日も撮影があるし、19とはいえ未成年の幸村を酒に誘う訳にもいか ないので、このまま別れる事にした。
「それじゃまた明日、よろしく」
「うん…」
小さく頷きながら、『幸村』は電車に乗り込んだが、ふとこちらを振り返ると、はにかんだような笑顔を 向けてきた。
「あの…今夜は本当に有難う。俺、とても楽しかった」
「『幸村』」?」
「それで…あの、良かったら又……」
「え?何?」
続けて『幸村』が何か言っているのだが、電車のベルがうるさくて聴こえない。
何だろう、明日聞き直せばいいかな?と思っていると、ベルどころか、すべての雑音をかき消すような 大きく澄んだ声が、俺の鼓膜を直撃した。

「また誘ってくれると嬉しい…ううん、今度は俺から誘うから、一緒に行こう!絶対だよ!おやすみなさい!」

電車のドアが閉まって、俺に手を振り続ける『幸村』の姿が見えなくなった後も、俺は暫くその場を動けずにいた。



ブラウザの「戻る」でお戻り下さい。