4月。 優子にとって、大学生活2年目の春がやって来た。 とはいっても、これといった目的も意気込みも持たない彼女にとって、 一年の節目などあまり関係ない。 今日も、早朝から仙台の実家の母親から、電話越しの説教を食らった 彼女の機嫌は、外の陽気とはまるで正反対であった。 『いいですか。東京にいるからといって浮かれたりせずに、伊達家の人間として 自覚ある行動を心がけなさい』 『そんなの、女の私には関係ないわ。弟の小次郎がいるんだから、伊達家は何の問 題もないじゃない』 『…大体、私は貴方が東京へ行くのは反対だったのです。片倉が籍を置く 学校だから承知しただけで…』 『片倉からは、定期的に連絡がいってるんでしょう?ご心配なく。実家に いた頃と一緒で、孤独な生活を満喫しておりますから』 『──優子さん!』 『貴方がどう思っているかは知らないけど…私が伊達家に抱いているのは、落胆と 恨み言だけよ』 優子──伊達優子(だて ゆうこ)は、戦国の世を駆け抜けた独眼竜、伊達政宗を先祖に持つ、由緒正 しき伊達家の息女である。 女性にしてはやや長身で、決して悪くない、どちらかといえば「美女」の部類に属する筈なのだが、 人付き合いの悪さと世辞等が苦手な言動が祟って、五割以上損をして いるように見える。 文学部の中でも「変わり者」で有名な武田教授の研究室に、プレゼミ生として書物と戯れる日々を 過ごしている彼女には、今日が入学式で、道中見かけた真新しいスーツの集団 にも、何の興味も関心もなかった。 「…まあ、正式なゼミ生じゃない私が言うのもなんだけど、あの武田のオッサンの所に来たがる 学生なんて、よほどの物好きじゃなきゃ……」 「あの、すみませーん」 独り愚痴る優子の背後に、あどけなさを残したような声がかかった。 何事かと振り返ると、スーツ姿の青年が、仄かに頬を紅潮させながら息を切らせていた。 「ちょっと道をお尋ねしたいんですけど。文学部の武田教授の研究室は、どちらでしょうか?」 肩の辺りまで無造作に伸ばされた、クセ毛の黒髪を片手でかきながら、新入生らしき青年は人当 たりの良さそうな笑顔を向けてきた。 「あなた、新入生よね?どうして武田のオッサン…じゃない、教授の事を知ってるの?」 「俺の父親と、教授が知り合いだからです。俺も、子供の頃から教授には色々お世話になってるし」 「だから、大学もここに決めたんです」と、青年は元気の良い声で答えると、父親から預か ったという武田教授宛ての手紙を優子にかざして見せた。 「…ふうん。じゃあ、ついて来なさいよ。私もこれから教授の所へ行く用事があるから」 「本当ですか!?やった!入学早々、こんな美人と一緒に歩けるなんて、俺ツイてる!」 青年の反応に優子は暫し辟易するが、彼の身に纏う雰囲気はそう悪いものではな い事に気付くと、無言で前を歩き始めた。 「ああ、待って下さいよ先輩」 慌てて優子の後を、青年が駆け寄ってくる。その様子が、何だか幼い頃飼っていた犬を思 い出して、彼には見えないように口元を綻ばせた。 「そういえば、自己紹介がまだでしたね。俺、真田幸太郎(さなだ こうたろう)っていいま す。長野の山奥から上京してきました。よろしくお願いします!」 「…いきなり何?」 「だって、先輩は武田教授のゼミ生なんでしょ?俺、まだ1年ですけど、いずれは教授の所 へ付くつもりですし。そしたら、先輩とも一緒に勉強する事になるでしょうから」 「……」 邪気のない微笑を返す幸太郎に、すっかり毒気を抜かれた優子は、いつの間にか並んで歩い ている彼に短く告げた。 「──優子」 「…はい?」 「伊達優子。私の名前。それから…私の左側に立たないでくれる?」 「あ、す、すみません。馴れ馴れしかったですか?」 「そうじゃないの」 恐縮する幸太郎に、優子はやや伸び気味の前髪をかき上げながら首を振る。 「視野が狭まっちゃうのよ。そっちに立たれると」 「え?」 「私、右目が殆ど利かないから」 |