学生生活にも大分慣れた、ある日曜日。 「ねえ。キミ、戦国大の元子ちゃんだよね?」 応援の為に、大学のバスケ部と一緒に遠征先へ出掛けていた元子は、試合終了後、相手校の男子 学生に呼び止められた。 「あ…先程はお疲れ様でした」 「いいよ、そんな堅苦しくしなくても。試合には負けちゃったけど、才色兼備で知られる 戦国チア部を生で見れたから、ラッキーだったかな?」 「有難うございます。でも、先輩達に比べたら私はまだまだですから」 「そうかな?僕は、キミが一番可愛いと思ったけど。見とれちゃってたから、今日の試合 負けたのかもね」 面と向かって言われた台詞に、あまり男性に免疫のない元子は、思わず頬を上気させる。 「ところでさ。元子ちゃんって、コンパ出た事ある?」 人懐こい口調で、男子学生は先程より距離を詰めながら元子に尋ねた。 「いいえ。まだ…」 何せ、やっとこの間一年間の履修計画・届出を済ませ、色々な条件を乗り越えてバイトを 決めたばかりである。 遊びたい気持ちも勿論あるが、故郷から決して少なくない学費や援助をしてくれる実家の 両親に、なるべく負担はかけたくない。 「ダメだよ。折角大学に入ったんだから、たまには羽伸ばさないと。…そうだ、俺の入 ってるサークルで今度合コンやるから、良かったら元子ちゃんも来ない?」 「え?」 思わぬ申し出に目を瞬かせる元子の手に、学生は1枚のチケットを渡してきた。 目を通してみると、それは元子でも名前だけは聞いた事のある程有名な、学生 サークル主催のパーティチケットだった。 「俺、一応そこで幹部っぽいコトやってるんだ。先輩達に可愛いコ連れて来いって言われ ててさ。元子ちゃんなら大歓迎だよ」 「え…でも…」 チケットに印刷されたパーティの入場料を見た元子は、そのあまりの高額さに、戸惑いが ちに言葉を返す。 「大丈夫、今回は俺からの招待ってコトにするから。行ってみ て面白くない場合もあるかも知れないからね。まあ、言うなれば『お試し』 ってヤツ。…ただ、部活の先輩達には内緒にしといてくれる?」 「あの、お金払います」 「気にしないで。俺が、元子ちゃんと一緒に行きたいんだ。…ダメかな?」 はにかんだ笑顔を向けてくる学生に、元子は先程よりも更に頬を染めると、「有難うご ざいます」と、小さく頷いた。 「決まりだね。じゃあ、来週の土曜の夜に最寄り駅で待ってるから」 「は、はい」 やがて、部活の先輩に呼ばれた元子は、頭を下げると学生から背を向ける。 そのまま足早に去っていく元子の後姿を見つめながら、彼は僅かにその口元を歪めた。 「元子ちゃんですか?いやー、チア部のコは皆レベル高いけど、彼 女はまれに見る期待のホープですね」 武田ゼミの後輩である3年の鷲塚佐助に、それとなく元子の事を尋ねた毛利は、彼女の意外な人気の 高さに内心で驚いていた。 「1年生にして、あのダイナマイトバディは反則でしょう。性格も気さくで礼儀も弁えてるから、先輩から の受けも上々だそうですよ」 「ほぉ…」 「それにしても、毛利先輩が女性について話をするなんて、珍しい事もあるもんですね」 「……鷲塚さん。変な勘繰りは止めて下さい」 学年は1つ下だが、年齢は佐助の方が1つ上である。 同じ武田ゼミで彼と過ごしてきた毛利は、佐助の勉学に対する真摯な姿勢と歩んできた人生に、少なからず 敬意を抱いていたので、彼を呼ぶ時には敬称を付けている。 佐助は「こっちが後輩なんだから、呼び捨てでいいですよ」と言ってくれるのだが、毛利は彼に対して口調を改 める気はなかった。 「ただ…ちょっと最近、チア部の周りでキナ臭い噂も聞いてるんですよね」 「キナ臭い?」 語尾を濁した佐助の言葉に、毛利は反射的に眉根を寄せる。 「あ、いや。別に元子ちゃんたちがって訳じゃないんですけど…ウチのチア部って、他所からも人気があるか ら、学外のコンパにも頻繁に誘われるらしいんですよ。 最近のコンパって、六本木界隈のクラブやディスコ借り切って、盛大にやったりもするし」 「……」 「俺も昔、給料がいいからそういう店でバイトした事あるんですけど…時折、コンパ主催している幹部 連中が、水面下で良くないトラブルも起こしてるようなんですよ。確証がないから断言は出来ませんが」 「トラブル…?」 学外の活動に勤しむのも結構だが、本分を弁えずに何を考えているのだ、と毛利は佐助の話題に出てきたその連 中を軽視していたが、続けられた台詞を聞いた毛利は、思わず佐助に問い返していた。 「まあ、チア部のコたちもその辺適当にあしらってるって話だけど、新入生…特に地方から上京し てきたばかりの元子ちゃんとかだと、未だ判らないだろうから、何か厄介な事に巻き込まれないといいん ですがね」 毛利は何故か、胸の内に沸き起こった得体の知れない不安を、捨て切れずにいた。 気分を入れ替えようと研究室を一旦出ると、自販機で飲み物を購入する。 備え付けのソファに腰を下ろし、喉を潤していると、目の前を見覚えのある人影が通りかかってきた。 「あ、先輩。こんにちは」 「……」 先に気付いた元子が、毛利に視線を向けてくる。 咄嗟に返事が出来ないでいる毛利を他所に、元子はその形の良い脚を動かしながら、彼の元に寄ってきた。 「手…大丈夫ですか?」 「……たかがかすり傷。とっくに治っているから、気にしなくても良い」 「良かった」 明るく微笑む元子に、毛利は僅かに揺らいだ自分の胸の内を隠すように、手元の缶コーヒーに再び口を付ける。 何気なく視線を動かした所で、毛利は、元子の服装がいつもと違う事に気付いた。 「随分と、派手な出で立ちだな。部活はどうした?」 「あ…今日はちょっと……」 質問に、幾らか言葉を濁しながら元子は答える。 その様子に、毛利は彼女の目的が、何となく理解出来た。 今日は土曜日。特別な専門教科を履修していない限り、殆どの学生が休講である。 おそらく彼女も、休日を満喫する為に友人と遊びにでも行くのだろう。 「…まあ、たまには羽を伸ばすのも悪くはなかろう。ただし、君は未成年だ。くれぐれも、羽目を外すような 行為は慎むのだな」 「わ、判ってますよ」 思わず叱られた子供のように小さくなる反面、元子はそんな毛利の言葉を、何処か心地良いと感じている自分を 不思議に思う。 「あ、そうだ。先輩、ここのクラブからこのビルまでって遠いですか?」 書店で売っているガイドマップを取り出した元子は、毛利に尋ねた。 毛利は、彼女から仄かに漂ってくる心地よい香りに気付かないふりをしながら、元子から渡された地図を確認する。 「……少々離れてはいるが、歩けないという程ではない」 「良かった。有難うございます」 「買い物か?」 「ええ。それもありますけど、このビルの先にあるTV局のギフトショップに行きたいんです。実家の両親や妹に 頼まれてて。時間もあるから、先に買っておこうかなって」 礼を言いながら、元子は時計に目をやる。 「いけない、そろそろ行かないと。それじゃ先輩、失礼します」 「──気をつけろよ」 「も〜、そんなに念を押さなくても大丈夫ですってば」 やや拗ねたような表情を見せながら、元子は毛利の前から去っていく。 毛利は、すっかり冷めてしまったコーヒーを半ば強引に流し込むと、缶をくずかごに投げ入れる。 研究室に戻ろうと踵を返した所で、部活のジャージに身を包んだチアリーディングの女子学 生たちとすれ違った。 そのまま、何気なく通り過ぎようとした時、 「ねえ、今日元子は?」 「『急用が出来たので休ませて下さい』って、届け出てたわよ」 「珍しい事もあるもんね。…で、今日のメニューは?」 「その前に、ミーティング。最近、学外から勧誘してくるコンパサークルの中に、性質の悪いのが いるから、引っ掛かんないように言っとかないと。あいつら…美佐子にあんな事しておきながら、 今日も六本木で遊んでる筈よ」 続けられた言葉を聞いて、毛利は弾かれたように振り返ったが、既に彼女たちは姿を消していた。 |